Archive for 日本語に関すること

通信コース開講記念「継承日本語」終了しました

今年1月に「インターカルト日本語学校 日本語教師養成講座・通信コース」が開講し
現在、開講記念講座を行っている。

第1弾は「日本語教師のためのcan-do statements“3W1H”ブラッシュアップセミナー」と名づけて、3月4月に4回行った。

第2弾の講座は「継承日本語」をテーマに行ってきたが今日が4回目、最終回だった。
初めは「継承日本語」という言葉さえよく知らなかったが、毎回とても充実していて
この一連の講座が終わるのがなんとなく寂しく感じた。

この講座をすることになったきっかけは、インターカルト日本語学校のイタリアの
提携校の先生(国際結婚をし、イタリアで子育てをしている方)だった。
「海外に住んでいるからといって、子供がそんなに簡単にバイリンガルになれると
いうものではない」という話から「継承日本語」という言葉を知った。

私たち自身が学びたいという気持ちが高まり、色々なつてをたどり
今回の講座の先生方と繋がることになった。

1回目は、ギリシャ、イタリア、ベトナムで国際結婚をし
子育てをしている方が、食卓での家族の会話などを見せてくださり、
現在の悩みや将来について、ざっくばらんに話してくださった。
海外在住のセミナー受講者の方は共感なさることも多かったようだが
私たちは初めて具体的に「継承日本語」について考える機会になった。

2回目は、海外に住み続ける子供たちには、日本の国語の教科書も
外国語としての日本語の教科書も合わない、ということから
『おひさま』というテキストを作られた山本絵美先生のお話。
インターカルト日本語学校でも、この講座の後、多くの先生が
興味を持ち『おひさま』を手に取っていた。

3回目は、幼稚園の先生でもある深本明見先生が
シュタイナー教育をもとに行う「継承日本語」の活動を
たっぷり見せてくださった。
工夫された教育に、何度もうなずきながら聞いた。
海外で子育てをしている方が、温かい言葉に涙が出たと
感想を寄せてくださった。

4回目の今日は、集大成。
カルダー淑子先生が登壇してくださった。
海外で「継承語教育」に苦労されている方のために
日本語教育推進法の改定を求め、立ち上がった方だ。
専門家の立場から「未来に向けた継承日本語」と題して
継承語をどのように伝えるか、どうやって日本語を伸ばしていくか、
教室でのカリキュラム、小中高校生の継承語の授業の例などを
柔らかく、力強く語ってくださった。

大変興味深く、こういうのを海外と日本で分かれることなく、
一緒に何かできるとおもしろいのではないか、
私たち日本語学校がどう関わっていけるか、
次への一歩を踏み出したいと思う講座だった。

7月は第3弾「JLPT」を、8月は第4弾「音声」をテーマに講座を行う予定。
(日本語教員養成研究所 椿)

ティッシュ論争

こんにちは。

3Fスタッフの田村です。

 

日本語学校で働いていると、日々日本語や他の言語について疑問が湧いてきます。

今日は「ティッシュ」について。

 

みなさんはローマ字で「ティッシュ」をどのように書きますか。

 

ローマ字は今ではかなりあちらこちらで見かけますが、大きく分けてヘボン式と訓令式という2種類があります。

ヘボン式は英語の発音に近い表記法です。パスポートなどの公的な身分証明書で使われています。

訓令式は単純に日本語をアルファベットで表しているもので、英語の発音に近いかどうかはあまり考えられていません。

 

主旨が違うこともあり、同じ単語をローマ字表記にした場合も違いがあります。

例えば、「新橋(しんばし)」。

ヘボン式は「SHIMBASHI」-英語話者の場合N→BよりもM→Bのほうが読みやすいです。

訓令式は「SINBASI」-日本語話者はN→Bでもあまり気にしない?

 

では、「ティッシュ」はどのように表記するのでしょうか。外来語、かつ和語にはない「ティ」があるので難易度高めに感じます。しかも「ティ」の後に「ッ」もあることで、さらに難しい…

 

ローマ字の表を基に書いてみました。

ヘボン式は「TEISSHU」

訓令式は「THISSYU」

 

へえ~。なるほど。

 

でもこれって、「TEISSHU」は「ていっしゅ」、「THISSHU」は「でぃっしゅ」と読めなくもないような?

 

しかし!

とある本を見たら「TISSHU」と書いてありました。

 

いろんなウェブサイトを見てみたところ、特に「どれが正しい」というのはないのだそうです。

 

一番肝心なのは、それを見て日本語に近い音で読めることですよね。

機会があればインターカルトの学生に読んでもらって、どれが一番日本語の「ティッシュ」に近いか聞いてみたいと思います。

 

余談ですが、パソコンに「ティッシュ」とタイプするときはどうしますか?

私は「TELISSHU」です。

 

以上、ティッシュ論争でした。

語意の拡大化現象番付 (平成・令和版)

語の意味の中の、不当に軽い用法、拡大用法は、

今、巷にはびこりつつあります。
実は、8年前にこの誌上で扱ったのですが、確実に勢力を確固たるものにしているので、
令和3年現在の、番付を発表したいと思います。私 神本選です。

横綱  大丈夫
大関  号泣
関脇  秘境
小結  ヤバい
小結  こだわる
前頭  担保する
(新入幕)

 

「大丈夫」は、本来の「具合悪そうですね。一人で帰れますか?」

「えぇ、大丈夫…」の用法も、もちろん使われていますが、何かを断るときの使い方は、若者に限らず超高齢の方以外の人々に、広く使われています。
ファミレスで、長く談笑している席に、水をつぎに来たウェイターに

「大丈夫です」を連呼しているお客たちがいます。それが、60代後半ぐらいのグループで、びっくりしたことがあります。ここまで来たかと‥

また、笑っちゃうのがありました。秋葉原駅の昭和通り口近くに、ひとかたまりのいわゆる風俗店があって、呼び込みのスタッフの

「お兄さん、キャバクラいかがですか~?」に

「ダイジョブで~す!」と、とてもリズムよく声をそろえた、                              若い男子三人組。
「僕たちに、そんなキャバクラの心配してくれなくても、                                  気にしてくれなくても大丈夫」
と言っているようで、笑っちゃった。
ことほどさように、広く、各世代に浸透していて、もう大横綱の貫禄です。

「号泣」は、甲子園球児が試合に負けて、特にエラーをした選手が、

ワ~ワ~大声をあげて仲間に抱きかかえながら、去っていく様を表す言葉なのに、
「美人女優、号泣!」というタイトルで、ただ涙ぐんでいるだけのシーンをテレビなどで見ます。

数年前に、兵庫県の県議がカラ出張を疑われ、「私は知りません~ワ~ワ~」と号泣して、疑惑を否定している会見が報道されていました。大人が、県会議員という偉い人が、人目もはばからず、見苦しい泣き場面をせっかく見せてくれたので、おかげで「号泣」の誤用ともいうべき拡大用法は、  姿を一時消したと思われました。それがまた、盛んにやられている。みんな、特にテレビ局の人は記憶力が悪いんですね。               結局、「涙ぐむ」とか、「涙する」という雰囲気のある言葉が消えていくのでしょうか。

関脇の「秘境」は、今やただ単に交通の不便な山奥を、センセーショナルに言っているだけの言葉になっています。

しかし、今、広い世界のいずこかはいざ知らず、日本には、秘境はないと言えるのではないでしょうか。
死語は、例えば「アベック」、見ばが悪いの「見ば」のように、実体はあっても「古くさい」感じを与えるもの以外に、実体がないために死語になったものがあります。「ポケベル」「ブルマー」のような語です。

今や「秘境」は、「ポケベル」と同じ運命なのでしょう。しかし、「秘境」という字面から来る神秘性によるのか、拡大用法がまかり通っているのかもしれません。

小結の二語については、息が長いおなじみのものなので、説明は割愛。

 

新入幕の「担保する」は、今回、番付を作ろうと思ったきっかけの語ですが、

ここ1~2年でしょうか。ビジネスの世界で、見かけるようになりました。

・安全性を担保する(医薬品メーカー)
・公平性を担保する
・経営の独立性を担保する
などなど。
初めて耳にしたとき、「おや!」と感じましたが、

要は、安全性を保証する/保障するの意味。

担保というと、「借金のかたに、家屋敷を取られる」の「かた」の意味で、やや古い感が否めないのですが、

「安全性を担保する」というと、保証するより物々しい感じ。
意味も強度アップです。
それで、いつの間にか、市民権を得つつある用法になったのかもしれません。

これは、使い慣れた語には、従来あったインパクトがだんだん薄れ、

より衝撃が強い新しいものが求められることになるということでしょうか。

皆さんはテレビのCMで、Y倉R嬢が濃いピンクと赤を組み合わせたスーツで、元気に叫んでいるのをご覧になったことがありますか。私はあれを見て、実はとても衝撃を受けました。もともと、赤とピンクの組み合わせは、合わない組み合わせだと長く思っていたものだったのに、その違和感が、 とてもかっこいいと思ったのです。新奇なるものが持つパワーでしょうか。「マゼンタ色と赤」の新しさ。新奇なるものは、語意拡大化の要因の一つだと言えると思います。

語彙は、カタカナ語を中心に、新しい言葉が増え、また、意味の拡大化現象も、多く見られます。言葉は生きているとつくづく思います。

今回は、長期コース教師の神本令子でした。

マゼンタと赤

キャンディー問題

来週から春学期がスタートします。

3月下旬、例年なら冬学期の最後には、学校からも歩ける距離にある上野公園でのお花見をおすすめしたりしてきましたが、今年は言及せず。それどころか、冬休み中あまり出かけないように注意して終わる、という異例の春休みでした。

私はここしばらく中級を担当することが多かったのですが、先学期は久しぶりに、一番下のレベル、その中でも一番下のクラス、つまりは本当にゼロから勉強を始める学生のクラスの担任になりました。そして、ひさしぶりに欧米の学生相手にカタカナの授業をしてみて、これまた久しぶりに思い出しました、「キャンディー」問題。

みなさんが「キャンディー」と聞いて頭に浮かぶのはどんなものでしょうか。両端をキュッとねじって包んである いわゆる「あめ」とか、大きい渦巻のペロペロキャンディーとか。とにかくきっと硬くて舌でレロレロしないと溶けて小さくなっていかないものを想像するのではないかと思います。

これが、特に英語圏(アメリカ?)の学生には、スムーズに伝わらない。なぜなら、彼らにはチョコレートもキャラメルもグミもガムもcandyだからです。アメリカ人だと、スニッカーズなんかもcandyでいいそうです。どうやら粉を使わない甘いお菓子?

日本語の「キャンディー」を教えるたびに、あれはキャンディーか、これはどうだ?となかなか先に進まないので、今回は過去の経験を踏まえ、私たちが考える「あめ」を数種類用意することにしました。コーヒーキャンディーとフルーツキャンディー、そして日本人なら…「カンロ飴」!ちょっと醤油の味もしたりして日本っぽいし、みんなに紹介するのにいいかもと思い、週末スーパーで調達していき、授業当日みんなに見せました。

せっかくなので、1つあげるよ、と言うと、コーヒーキャンディーかカンロ飴を選ぶ人が多かったです。私は子どものころから「カンロ飴」が大好きなので、彼らの反応を楽しみにしていたのですが…。

二人のフランス人がカンロ飴を手に取りました。一人はワインやチーズが好きなイメージ通りのフランス人。もう一人は納豆大好きで毎朝食べているフランス人。納豆大好きフランス人は、「おいしい!とてもおいしい!」満面の笑みでした。しかし、もう一人には口に入れて、右⇒左と口の中で移動した直後、オエっと吐き出されてしまい。そこまで嫌われるなんて…カンロ飴ラバーの私は、学生の前では笑いましたが、正直ちょっと悲しかったです。

同じ言葉を教える授業でも、学生が違うといろいろな反応や意見が違って、本当に興味深いです。

余談ですが、今回「あめ」のパッケージをいろいろ見てみて、新しい発見がありました。どのパッケージの裏を見ても、名称は「キャンディー」じゃなくて、「キャンデー」でした。社会的には、そちらが正しいんでしょうか?「キャンディー」で教えている身としては、ちょっと複雑な気持ちです。

 

 

 

 

 

 

教務の島崎でした。

ゆうべ3時まで起きていたので・・・

長期コースの教師、神本です。
中級や上級のクラスで、「基礎文法」を担当する時には、
「基礎文法ができる人が、本当に日本語が上手な人です。」と学生にいつも言っています。
ちょっとの違いが大きな違いだからです。
基礎文法は、助詞・動詞の変化「辞める/辞められる/辞めさせられる」又は文末表現
の使い方が主ですが、
動詞を「~る」で言うか「~た」で言うか「~ている」で言うか「~ていた」で言うかは、とても学生が苦戦します。

例えば
「ゆうべ3時まで(起きていた)ので、今日は眠い。」は難しい。
同じ状況を言いたかったら、学生は間違いなくみんな、
「ゆうべ3時に寝た」と言います。
「ゆうべ3時まで起きていたので…」をすっと使えたら、かなりの実力者。自然な日本の使い手と言えるでしょう。

他の例で言うと、
A《動物園のサル山を見て》
暑いからかな?サルたちみんな寝ているね。あっ、あの子(起きている)。かわいい!
B《完全に徹夜をして、翌日の正午》
あ~あ、疲れたな。昨日の朝は7時に起きたんだから、
もう、29時間も(起きている)んだもん。
AもBも、難しくありませんが、「ゆうべ3時まで起きていた」は日本語らしい表現(日本語ならではの表現)と言えるでしょう。英語母語話者の学生に聞いてみたら、英語にその表現がないわけではないが、あまり使わないとのこと。中国語も、この言い方はないそう。
日本語では逆に、「ゆうべ3時に寝た」はあまり使わないと言えるのではないでしょうか。「3時に寝た」というより、「3時まで起きていた」の方が過酷な感じを受けます。

また、学生にとって難しいものをもう一例。
《会社で》
S:今日の打ち合わせ、何時からでしたっけ?
T:えっ、今日だったんですね。すっかり忘(れていまし)た。
これも、殆どの学生が、「忘れてしまいました」。や「忘れました」という誤答。
学生は、どういうわけか、「~てしまいました」が大好きで、この間違いが多し。
そんなに「~てしまいました」を使いたかったら、
「えっ、今日だったんですね。すっかり忘(れてしまっていまし)た。」になりますね。
相手に、打ち合わせのことを言われて、思い出したその時点で、
「忘れている」から「忘れていた」に変わるダイナミズムはすごい。すごいぞ!日本語!

同じく、(PCをチェックして)「修理に出したのに、(直っていない)。変だなあ。」
の「直っていない」も正解できる学生はごく少数。
「直らなかった」の誤答が多いです。

日本語の基礎文法の中でも、このアスペクト(その動き・動作などが、今どんな段階にあるかという文法表現)を、使いこなすのは至難の業。
「基礎文法ができる人が、本当に日本語が上手な人です。」と言っている由縁です。
アスペクトの説明の時は、線を引いて、区切りを付けたり、波線にしたり、いろいろ工夫して、わかってもらう努力を重ねているわけです。わかってくれると、私としては、とてもうれしい瞬間を迎えます。

☆最近の私の疑問(基礎文法ではありませんが)
お笑いの人で、「シュウペイです!」と言って両手をクロスして、おどける芸人がいますが、
なんで、「シュウペイ」なのか。「シュウヘイ」じゃないのか。
「シュンペイ」なら、わかる!「純白」「新品」「三分」「短編」「憲法」などで分かるように、
撥音「ん」の後のハ行音がパ行音になる音変化です。

みんなが、「シュウヘイ」と読み間違えるから、
わざわざ「シュウペイです!」と自分の名前をアピールしているのでしょうか。そうなら、涙ぐましいですし、この名前は、言わなくては読めないので、納得します。真相はいかに?

わたらせ渓谷鐡道「線路は続くよ どこまでも」

今どきの日本人の名前考

長期コースの教師の神本令子です。

インターカルト在籍中の欧米人学生の名前、ファーストネームですが、見ていて本当に感心します。というのは、オーソドックスというか、昔ながらの名前が多いからです。イタリア人なら、マルコ・パオロ・エレナ・マリア・シルビア・ソフィア

ロシア人なら、イーゴリー・アレキサンダー・アンドレイ・ウラジミール・マキシム・アナスタシア・ユリアナ・・・・

特に、ロシア人の名前は、小説や映画や、また、どこかで聞いたような名前ばかり。イワンさんが入ってきた時は、「イワンの馬鹿」の名前が本当にあることに、感激したものです。

寡聞にして、よく知らないのですが、上記の名前には、キリスト教の聖人の名前から来ている名前が多いとのこと。欧米文化には、キリスト教が厳然として、大きな影響力を持っているんですね。

それに比して、今どきの日本人の子供の名前は、「人と同じ名前はイヤ」とばかりに、極極(ごくごく) 個性的なものが多いようです。

世愛(せな)日本語なのにリエゾンしてる? 愛彩(あや) の愛はどこに行ったの?空星(そら)の星はどこに行ったの?

美里(みさと) じゃなくて、(みり)。これについては、元々「美」の(み)は、

音読みなので、弘美や明美が湯桶読み(訓+音)なんですね。(みり)が音読み同士で、正統かもしれません。でも、ほとんどの人は美里(みさと)と読むのではないでしょうか。

読めない名前の、最高傑作は、春風と書いてチューリップちゃん。確かに、チューリップの茎は細く、しなやかで、風が吹くと、一斉に同じ方向に花がなびきます。本当に春の風を感じます。この名前は、「土産」「雪崩」と同様に熟字訓の発想ですね。でも、カタカナ語まで、広げてしまうのは、やりすぎ!!

現在、長期コースに、インターカルトに入る前に日本の中学や高校で、外国人英語指導員を務めていた人が三人いますが、そのうちの一人、Lさんが言っていました。彼は、伊豆諸島の青ヶ島の中学にいたのですが、「先生たちが、『生徒の名前が読めない』と言っていました。」とのこと。

名前は、個人のものであって、使うのは個人だけではなく、いわば公のもの、

人と違うのは、名前じゃなくて、人そのもので勝負すべきではと思うのですが。これは、昔ながらのオーソドックスな名前の有名人が出てきて、感化される人が増えるのを待つしかないかとも思います。

ちなみに、昔風の名前で、かっこいい名前の人がいます。プロ野球・楽天のショート、茂木 栄五郎選手です。彼が活躍して、知名度が上がることを祈っています。

創立40周年記念特別公演「が~まるちょばTALK&SHOW」ご報告

 

昨年から行っております40周年記念事業、吉野家阿部会長と小柳師匠の公開講座、大同窓会、に続く3つ目の特別公演「が~まるちょばSHOW&

TALK」が2018年2月15日になかのZERO小ホールにて開催されました。赤いモヒカンのケッチ!がインターカルト日本語学校の日本語教師養成講座の修了生であることから生まれたこの機会、

前半はが~まるちょばの普段のSHOWをたっぷりとご覧いただき、

後半はトークで「パフォーマンス」と彼らの芸に対する想いについてお話いただきました。

 

 

 

 

 

 

 

開演と同時に二人がステージに登場すると、あっという間にが~まるちょばの「空気」に!

何も無い舞台の上も二人にかかれば、情景が浮かび、ストーリーが生まれ、

始まりから終わりまで会場中が笑いに包まれました。

そしていよいよお待ちかねのトークがスタート!

 

 

 

 

 

 

 

司会進行は大迫ゆかりさん

舞台ってやっているように見せる「振り」だけど、本当に怒って泣いてみせるから、伝わるものがあるということや、まったくウケなかった舞台でも、その状況を楽しんで、後でネタにするポジティブ思考、100%を尽くしてウケなかった時は相手が悪かったんだと思い切るいさぎよい話にプロ根性を見せていただきました。
最後の質疑応答でも暖かく真摯にお答えいただき、終了予定時刻を大幅に越えて閉幕しました。

エラベレル?

ブログの担当、前回が2015年3月12日なのでなんと1年11か月ぶりの登場です。半年に1回程度担当が回ってくるはずですが、2年近くもさぼっておりました。おまけに1週遅れ。さらにログインパスワードも忘れ再設定する始末。
まあ尤も待っていたという方は皆無だと思いますが。

日本老年学会・日本老年医学会が「高齢者」として定義される年齢を65歳以上75歳以上に引き上げ、65歳~74歳は「准高齢者」とするという提案をしたというニュースが1月の上旬にありました。
現行の「高齢者」とされる年齢を65歳以上としたのは60年以上前こと。
その当時の平均寿命を調べてみると男性:63.59歳、女性:67.54歳、65歳以上は全人口の7%程度だったようです。
それが2015年には、男性:80.79歳、女性:87.05歳、65歳以上は全人口の3分の1。ずいぶん変わったものです。
確か私が子供のころ(半世紀近く前のことです)70代の方は結構な?年寄りに見えていたような気がします。それに比べ今の70代はとてもパワーのある方も多いようにも思えます。これは私がその域に近づいてきているせいなのでしょうか。やはり子供の目から見たらやはりかな私たちに見えていたのと同じような見え方をしているのでしょうか。
現行では高齢者の仲間入りする年まで秒読みに入った身としては10年も経たないうちに「高齢者」と呼ばれることを想像すると正直言ってあまりうれしくはないかなと思います。
年金支給年齢を引き上げて年寄り連中もよれよれになるまで働けということになる布石の意味もあるのでしょう。
それはともかく言葉の定義に限らず言語というものは、変わっていくものなのでしょうね。

電車で誰かが話しているのが耳に入ったかテレビだったかははっきり覚えていないのですが、次のような表現を耳にしました。
「どちらか一つと言われても選べれないよ」
これを聞いて「ん?」と思いました。なぜそう思ったかはお分かりですよね。
まあ、その時はこの人だけの誤用あるいは言い間違いなのだろうと思っていました。
ところが、それからそれほど長くない間に次のようなものにも出くわしました。
「これじゃ火が消せれないじゃない。」
「コンパクトにしまえれるので便利です。」
「これだったら続けていけれると思いました。」
ほかにもいくつかはあったような気がしますが、根が無精でメモを取っておらず思い出せません。

通常はというか正しくは
「どちらか一つと言われても選べないよ」
「これじゃ火が消せないじゃない。」
「コンパクトにしまえるので便利です。」
「これだったら続けていけると思いました。」
となるかとおもいます。

選べない→選べ-れ-ない
消せない→消せ-れ-ない
しまえる→しまえ-れ-る
続けていける→続けていけ-れ-る
のように「ない」/「る」の前に「れ」が挿入されるという現象が起きているのですね。

なぜこのような現象がおこったのでしょうか。

日本語教育関係の方には説明するまでもないことですが
来る・するは不規則変化ということで除外して考えると
動詞は二つに分けられます。
一方は1グループ、五段動詞、子音語幹動詞
他方は2グループ、一段動詞、母音語幹動詞などと称するものです。
私個人としては、子音語幹動詞・母音語幹動詞という概念を使ったほうが合理的だと思うのでこちらを使います。

可能形の変化を順を追っていくと諸説あるでしょうが次のようにも考えられるかと思います。
1.可能の表現を
子音語幹動詞:語幹-arer-u 例.書く(kak-u) → 書かれる(kak-arer-u)
母音語幹動詞:語幹-rare-ru 例.食べる(tabe-ru) → 食べられる(tabe-rare-ru)で表すようになった。
これ、子音語幹動詞と母音語幹動詞で違うルールのように見ます。
しかし 語幹-rarer-u/ru というルールだが、子音の重複を避けるために
子音語幹動詞では頭の「r」が母音語幹動詞では末尾の「r」が脱落したと考えると
1つのルールとして考えられますが、無理があるでしょうか。

2.それが、子音語幹動詞のみ可能動詞が使われることが主流となった。
母音語幹動詞では語幹-rare-ruがそのまま変化せず。
子音語幹動詞:語幹+eru 例.書く kak-eru
形の上では、書かれる(kak-arer-u)から「ar」が脱落した形になっています。

3.実際の運用では「食べられる」→「食べれる」のように
「ら抜き」と言われる形が話し言葉では使わるようになってきた。
食べられる(tabe-rare-ru) → 食べれる(tabe-re-ru)
実はこれも、食べられる(tabe-rare-ru)から「ar」が脱落した形なのですね。
つまり子音語幹動詞がたどった道を母音語幹動詞も追いかけた、
子音語幹動詞のみが変化してしまい2つのルールになってしまったものが、
また1つになる方向に動いたとも考えられると思います。

次が今回の変化についてですが、
4.書ける「kake-ru」の「kake」と「ru」の間に「re」が挿入され、書けれるとなった。、
子音語幹動詞が語幹-eruになったことにより「kake-ru」のように母音語幹動詞に化けてしまったわけです。
そうすると母音語幹動詞の可能形(tabe-re-ru)と形の上の違いが出たために形を合わせる「re」が挿入され書けれる「kake-re-ru」となったと考えることができるのではと思います。
延々と前置きを書いておいて、非常にあっさりとした推測ですみません。

実際にはこのような変化は起こっていくのでしょうか。

ところで日本語教育では何を正しいとしているのかというと、

まず、20年も前のことなのですが、
平成7年に公表された「第二〇期国語審議会 新しい時代に応じた国語施策について(審議経過報告)」に次のような記述があります。
『国語審議会としては,本来の言い方や変化の事実を示し、共通語においては改まった場での「ら抜き言葉」の使用は現時点では認知しかねるとすべきであろう。』
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kakuki/20/tosin03/09.html

また、平成28年2月~3月に文化庁が行った平成27年度「国語に関する世論調査」の中に
二つの言い方のうちどちらを使うかという項目があります。その結果
「食べられる」「来られる」「考えられる」は「食べれる」「来れる」「考えれる」を上回っていたものの
「見れる」が「見られる」を、「出れる」が「出られる」をこの調査で初めて上回ったそうです。
ただ、その結果の脇に次のような記述がなされているので、前述の「ら抜き言葉」の使用はまだ認知できないという立場はいまだに変わっていないのでしょう。
『「食べれない」,「来れますか」,「考えれない」,「見れた」,「出れる」は,これまで共通語においては誤りとされてきており,新聞などでもほとんど用いられていない。』
http://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/pdf/2016092101_besshi.pdf

日本語校では
可能形は 子音語幹動詞:語幹+eru、母音語幹動詞:語幹-rare-ru
であると教えている・・・はずです。(教師の立場を離れてしばらくたっているのでこんな表現になってしましました。)
今後文化庁がいわゆる「ら抜き」以降の変化を認知するのかどうかはわかりませんが、認めていないという現状においては現場では教師に限らず職員もいわゆる「ら抜き」を使わないように注意すべきだと思いますが、この件に限らず「???」という表現やアクセントなどが使われているというのが現状のようです。
直接教える立場ではないとしても、意識していきたいものです。(自戒を込めて)

それでは次回はできるだけサボらないようにします。
高井でした。

間(ま)と間(あいだ)

明けましておめでとうございます。

教務の米山です。

相撲を観ていて不思議に思ったことがあります。それは取り組み(試合)の始め方です。何度も仕切りをして、両者の呼吸が合った瞬間に始まることがあります。つまり力士両者の「立合い」に任されているんですね。

「立合い」に関して、Wikipediaにはこう書かれています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%90%88%E3%81%84

力士同士が呼吸をあわせて「立ち合う」のが語源。審判など第三者によらず、競技者同士の合意によってはじめて競技が開始されるという意味で、対戦形式のスポーツの中ではきわめて稀有な形態である(詩人ジャン・コクトーは「バランスの奇跡」と讃えた)。

 

現在は制限時間一杯になってから始めることが多いですが、ラジオ放送が開始される前は制限時間はなかったそうです。

お互いの呼吸の「間(ま)」を合わせるために、仕切りをする時間「間(あいだ)」が必要なのかもしれませんね。

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ドラムのインストラクターの方の本を読んだことがあります。

ある三味線のお師匠さんに呼ばれて、邦楽の方々の中にまじってドラムを叩いたことがありました。そこでマイッタのが曲のスタートです。洋楽だったら、まずまちがいなく「1・2・3・4」とカウントがあって曲に入るのですが、邦楽にはこれがない。お師匠さんの「ハッ」で入っちゃうんです。これにはどうしてもついていけなかった。(『リズムに強くなるための全ノウハウ』市川宇一朗)

 

西洋のリズムは「時間の進行」に支配され、日本のリズムは「時」とか「刻」ではなくて、「間(ま)」によって支配されているのだそうです。

いずれにせよ、「間(ま)」というのは、「間合いを取る」という言葉にも表されるように相手との距離があってはじめて成立するわけです。そこにはお互いの暗黙の了解(信頼)が存在するのではないでしょうか。。

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私は夕食をすき家や日高屋でとることがよくあります。

食べ終わってレジに行くと、店員はこう言います。

  1. ラーメン390円と餃子210円で600円になります。
  2. 1000円お預かりします。
  3. 400円お返しです。ご確認ください。
  4. ありがとうございました。
  5. こちらレシートとサービス券です。次回お使いください。
  6. またお願いします。

別に問題ないですね。

ただ、私はファーストフード店でも、できるだけ「ごちそうさま」と言うようにしています。ところが、その「ごちそうさま」が入れられません。最後に言おうとしても、店員はすでにどこかへ行ってしまっています。

今はどこの店でもきちんと接客用語を使っています。でも店員も会社もその間(あいだ)に客の言葉が入ることなど想定していないのでしょう。普通は客も黙っています。だから最初から最後まで全く「間(ま)」がなく、店員が一方的に早口で言葉を並べているんだと思います。

まあ、ほとんどの人には必要ないのかもしれませんけど、私は一生懸命働いている店員さんには「ありがとう」「ごちそうさま」と一言声をかけたくなります。それがカワイイ女性だったらなおさらです。

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ただ、よく言われるマニュアルの接客用語には気持ちがこもってない、という話とはちょっと違います。

先日、久しぶりにヤフーオークションを利用しました。落札すると取引ナビで出品者と落札者の間に以下のようなやり取りが始まります。

<出品者>このたびは落札いただき、ありがとうございました。出品者の山田太郎と申します。お取引終了までどうぞよろしくお願いいたします。早速ですが、お支払い方法などにつきましてご連絡させていただきます。(中略)それでは、ご連絡をお待ちしております。

<落札者>ご連絡ありがとうございました。田中花子と申します。こちらこそ、よろしくお願いいたします。以下、ご連絡申し上げます。 

<出品者>出品者の山田です。ご返信ありがとうございました。商品代金○○円、送料○○円、合計○○になります。ご入金されましたらお知らせください。 

<落札者>田中です。本日、入金しました。ご確認ください。それでは、商品が届くのを楽しみにしております。よろしくお願いします。 

<出品者>出品者の山田です。ご入金を確認しました。ありがとうございました。本日、商品を発送しました。到着までいましばらくお待ちください。 

<落札者>田中です。本日、商品を受け取りました。このたびはありがとうございました。評価をさせていただきました。ご確認ください。またご縁がありましたら、よろしくお願いいたします。 

評価:非常に良い 商品無事に届きました。迅速で丁寧な対応をしていただきありがとうございました。機会がありましたらまた利用させていただきたいと思います。 

一般的な手紙やメールのやりとりと同様です。実際には受け答えの雛形を作って、特に感情を入れることなくコピペで送っている人も多いと思います。でも、そこには相手が返信してくることを前提として、やり取りに「間(ま)」があります。きちんと連絡が来ると安心するし、相手に対して信頼感も出てきます。そして品物が届く「間(あいだ)」も安心して到着を楽しみにすることができます。

ところが、今回落札後に取引ナビ(ベータ版)を開くと、新システムに変わっていました。あらかじめ用意されたフォームに必要事項を入力していくだけです。お互いに言葉をやり取りする必要はありません。最後の評価も用意されたテンプレートから選びます。

確かに手間もわずらわしさもなく、簡単で楽です。どちらがいいかは、意見の分かれるところでしょう。

最後に私も指示通りにテンプレートから選んで評価しました。

評価:非常に良い ありがとうございました。とても良い取引ができました。また機会がありましたら、よろしくお願い致します。 

ほどなく出品者からも連絡が来ました。

評価:非常に良い ありがとうございました。とても良い取引ができました。また機会がありましたら、よろしくお願い致します。

やはり、生きた言葉には相手との「間(あいだ)」に「間(ま)」が必要なんですね。

 

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落札した沢田研二のDVD6枚組ボックスセット。ほぼ新品同様の美品。包装も丁寧で迅速に対応してくれたので、一言お礼の気持ちを伝えたいと思いましたが。

 

ご協力を!

政治に興味があるわけではありませんが、昨日は投票に行ってきました。(ある意味しかたなく)

現行では、数多くの人が白票を投じたとしても無効票として扱われてしまい、選挙区からは誰かが必ず当選してしまうシステムとなっているようですね。
ぜひ、この選挙区には議席不要という欄を投票用紙に入れてもらいたいものです。そうすれば喜んで投票所に行くんですがねえ。
まあ、それはさておき、投票所の受付に次のような張り紙がありました。

「確認のためお名前をお呼びします。御理解・御協力をお願いいたします。」

「御理解」この部分は”理解”できます。しかし、「御協力」、これはいったいどうしろというんでしょうか。仮に、「名前なんぞ呼ばれたくない」と言ったらどうなるのでしょうか。投票させてもらえなくなるのでしょうか、別室に連れていかれてきついお叱りを受けることになるのでしょうか。試してみればよかったのでしょうが、ヘタレなもので何も言えず、名前を呼ばれ、「はい」と返事までしてしまいました。
この張り紙だけでなく、最近「(ご理解)、ご協力をお願いします」という表現がやたらに使われている気がするのですが、気のせいでしょうか。もっとも「ご理解、ご協力をお願いします」という表現でもいいのではというケースのほうが多いとは思うのですが、どうも、御協力じゃないだろうと思えるものもあるようで。(多少、表現を変えているものもありますが。)

住宅地を走行するため、速度を落として運転いたします。皆様のご理解とご協力をお願いいたします。(中央線・西武新宿線・西武池袋線沿線を中心に運行するKバスの車内放送)

減速運転にどうやって協力すればいいんでしょう。おもりでも持って乗れと?

当駅では一旦ドア閉め整列乗車を実施しております。お客様の降車がお済みになりますとホーム側のドアが一旦閉まります。ドアが再び開きましたらご乗車いただきますようご協力をお願いいたします。(元国有鉄道のM駅の放送)

「ドアが再び開きましたらご乗車ください」で十分なのでは?この話題とは関係ありませんが、「ホーム側のドアが一旦閉まります」じゃ、ホームでない側のドアはどうなっているんでしょう?

XX市では水道料金の見直しがされました。その結果、YY年MM月請求分から平均改定率13.8%の値上げをすることになりました。皆さんのご理解とご協力をお願いします。

節水に協力してくれというのならわかりますが、これは値上げの通達であって、協力もへったくれもないと思うのですが。

市内には、つぎの通り献血ルームと日赤プラザ献血ルームが常設されていますが、その他にも献血バスが各校区・企業・学校などを巡回しています。献血バスの校区巡回日程(企業・学校は除く)は下記のとおりです。皆様のご協力をお願いいたします。

協力の意味が分かりません。字面からは「献血にご協力を」には思えません。

乗務員がトイレに行くなどバスから離れることがございます。そのような場合、バスジャックやテロ等の危険からお客様を保護できない等の観点から、大変恐縮ではございますが乗務員が戻り次第のご乗車とさせていただきます。お客様には大変ご迷惑をお掛けしますが、ご理解・ご協力をよろしくお願いいたします。

乗務員がいたとしてもバスジャックやテロ等があったらどうしようもないかもしれませんが、一応乗客の安全確保のためにやっているわけで、こんなにへりくだる必要があるのでしょうか。

S市議会議員は市内の各種行事に金品を贈ること、お中元、お歳暮、花輪や祝儀等(親族などを除く)を贈ること、年賀状や暑中見舞いなどの挨拶状(自筆の答礼を除く)を出すことは公職選挙法で禁止されていますので厳守します。求める側も罰せられますので、市民の皆様のご理解とご協力をお願いいたします。

犯罪になるのでやらないよう協力してくれ・・・協力するしないの問題ではないのでは?

 

またまた言葉の使い方に難癖をつけるコーナーとなってしまいました。
いっそのことネタが見つからないとき以外はこの線で行こうかと思う所存です。

皆様のご理解とご協力をお願いいたします。

以上、高井でした。