• 0211月
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    夕方5時ごろ、窓の向こうがオレンジ色なのに気づいて
    見たら、夕焼けでした。

    今日、天皇賞で大賑わいだった東京競馬場の上空、
    南の空はこんな感じ。好きな色合い、アートですね。

    冬になると、澄んだ冷たい空気と太陽の低い角度とが、
    夕焼けを濃く美しく見せてくれるのだそうです。
    反対に、夏は湿った空気で光が散りやすいから、
    夕焼けがぼんやり見える・・・ってことらしいです。
    はてな。

    それより、せいろを買いました。
    この間の前職の会があったイタリアンレストランで出た
    蒸した野菜がものすごく美味しくて、もっと食べたくて。
    つけて食べるソースも色々作ってみて、この連休は野菜腹。

  • 3010月

    インターカルトの事務局に3人のニューフェイス。
    男子2人と女子1人が、いい雰囲気を醸し出してくれてます。
    皆それぞれ他業種からの転職で、それがまたいい。
    先輩たちも自ずといい顔に…が、さらにもっといい。
    久しぶりの新しい顔で、学生たちも喜んでいるように見えます。

    先に入った2人の男子は、先週、日振協の生活指導担当者の
    初任研修に参加しました。
    よそにも仲間ができるのは、ものすごくいいことです。

    以下はおまけ。
    この間、私が新卒で勤めた大学の退職者の集まりがありました。
    44年前に入職した私たちが最年少で、あとは皆さん先輩たち。
    同期のうち5人が参加していて懐かしかったのですが、
    新しいキャンパスができた時の大量採用組だった私たちは、
    いつでもどこでも大騒ぎの、おそらく大ひんしゅく新人軍団。

    私は、女子の中で最後の退職で、
    (「日本語の先生になります」と言って退職しました)
    全職員での送別会で同期の男子たちに胴上げされました。
    人生初、その後はなしの胴上げ。スカート履いていたのだけれど。
    いや、それより何より、今より15キロくらい軽かったあの頃。

    インターカルトの新人たちには、
    新人ゆえの今を存分楽しみながら、色々たくさん吸収して、
    新たな時代を作っていってくれたらと心から願っている私です。

  • 2510月
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    すべてはこの日から。8年前の夏、
    大学院のゼミ友と行った福島でのフィールドワーク。
    技能実習生を受け入れる東栄産業さんの、
    会長さんとインドネシアからの皆さんへのインタビュー。

    それを縁に、会長さん、部長さん、実習生たちとの交流スタート。
    「インドネシア人て料理に物凄い量の唐辛子を入れるんですよ」
    とおっしゃっていた会長さんが、なんと!自分の家の庭を唐辛子畑に!

    そして。今年の夏、
    初代から数代後の実習生たちが、そこで収穫した唐辛子を私にと、
    彼らの日本語授業をしている佐藤先生を介して。
    しかし、こんなにたくさん消費できっこない!(瓶の中身は一部)
    ということで、私はそれで七味唐辛子を作ることにしました。

    まず、ネットに入れて吊るしてカラッとするまで2週間の陰干し。

    先週末。
    281個一つ一つの、茎を取って、種を出して、皮をミルで粉末に。

    七味唐辛子の作り方をあちこち見たら、九味になってしまいました。
    ・唐辛子 ・山椒 ・麻の実 ・白ゴマ ・黒ゴマ
    ・青じぞ ・ケシの実 ・ゆずの皮 ・みかんの皮
    ほとんどの材料は持っていなかったから、Amazonで買いました。

    完成。


    忙しいのによくやると、家族たちには呆れ顔で褒められました。

    ネットで見た「休養学」という記事によると、
    家でごろごろしていても、疲労は回復しないのだそうです。
    私はここのところ、この唐辛子三昧以外は、
    暇があったら寝て寝て寝る…寝て満足、だったのですが、
    必要なのは「攻めの休養」という主旨の内容。
    ああ、休養でまで攻めちゃうのが何とも自分に合ってる。
    で、九味唐辛子なり。

  • 2310月

    昨日から広島です。

    乗換案内のアプリによく出てくる広島の「府中」。
    この標識を見上げながら、
    日振協の中国・四国地区対象のセミナーを一緒にする、
    評議員の山田先生と共に、会場の広島YMCAに。

    当たり前のことなんですが、
    ここにもこんなにたくさんの日本語教育関係者が!
    文科省の調整官も東京から来てくださり、皆皆皆…で。
    とにかく、認定目指して皆で駆け抜けようの会。
    また参ります。

    そして、一夜明け。

    起きて、シャワーあびて、FBをちらっと開いたら、
    なんと!小林先生が広島にいると書いてある!
    インターカルトの先生を経てアメリカに渡って30有余年。
    今、奥さんのベッツィーさんと日本旅行中、ということは
    知っていましたが、まさかの至近距離に。

    で、急ぎ支度して、歩いて6分の小林ご夫妻がお泊まりの
    ホテルのロビーでしばしの再会を果たしました。
    小林先生は、インターカルトの養成と先生としての先輩、
    縁は続くよどこまでも。

  • 1710月

    今日の「ニュースステーション」で言っているのを聞いて、
    初めて知りました。「蟋蟀在戸(きりぎりす とにあり)」

    冷え込みが増すにつれて、あたたかい場所を探して、
    家の中にも入りこむコオロギの習性を詠んだ、
    暦に従って生きる農民の一年の詩の中の一節だとここに。

    虫の音、聞こえるだろうかと家の10階のベランダに
    出てみたら、はるか下の地面で鳴く声が聞こえてきました。

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    で、今日の話題は、その10階です。
    これは、6階の階段の途中にどなたかが置いてくださった椅子。

    ここで皆さんに報告していませんでしたが、
    9月3日から今日17日までの15日間、リニューアル工事のために、
    マンションのエレベーターが24時間完全停止していました。
    …ってことは、その間、階段で上り下りをしていたってことです。
    うち、10階。

    まだ膝が悪くないから下りは大丈夫。
    慣れていく中で、所要時間も2分半から1分半に。
    しかし上りは、この椅子があった6階で一度バテるのです。
    息も切れてきて、次8階、そして10階まで一気に。
    毎回、階段を前に時計のストップウォッチをかけ、
    上りは結局、最後まで2分半の壁を破れず。
    なんてことを毎日していた私は、やっぱり常に挑戦するんだと、
    家族その他に褒められ?ました。

    今日の帰宅時から、息絶えることなく楽々と、…住人在戸。
    新しいエレベーターの乗り心地は非常に良いです。

  • 1610月
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    日本語教師になったきっかけを聞かれたら、
    「言葉が好きだったから」。
    「例えば、私は、暇があったら国語辞典を見ているような、
    そんな子どもでした」と答えると、皆さん「へえ」と。
    これがその国語辞典です。本邦初公開。

    ぼろぼろになって、ばらばらになりそうだったので、
    いつだったかデニムの生地でカバーを作って、コクゴと刺繍。
    (ぼろぼろではないけれど、カンワ(漢和)もあります。)

    インターカルトの私たちの名刺には、各自それぞれ、
    写真とメッセージを載せています。
    今の私のには、
    「「人と人、人と社会を言葉でつなぐ」をライフワークに」と。

    こちらは、「ことば」でも「こころ」でも「こだわり」でも
    つながっている、いつかデニムのカバーが必要になりそうな、
    ありがたい方たち。

    長すぎた、猛烈な夏が終わって、ようやく秋ですね。

  • 1210月


    「人が本になり、その人の生き方や人生を語ります」と説明に
    あるように、『日本語学校物語』に登場した皆さんと一緒に、
    今日は本になりました。

    日本語学校物語のきっかけとなった第1回箱根会議の1997年、
    その前の、インターカルトで日本語教師の勉強を始めた1987年、
    そういう懐かしい時代の方々との再会と出会いがあった一方で、
    とても嬉しく、頼もしく思ったのは、
    日本語教育専攻の現役の大学生が何人も参加していたことです。
    次の時代を日本語教師として担ってほしい人たち。

    市ヶ谷駅前の外濠の向こう側の武蔵野美術大学が会場でした。
    この外濠はもともと江戸城を守る防御の堀で、川のように
    自由には流れない。こういう堰き止められた水のことを
    「構造としての水」と言うのだそうです。

    が、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」。
    ライフストーリーという伝記、歴史の中で語られつつある自分は、
    引き際をちゃんと定めなければいけないと思いながら、
    でも、今はまだ、しなくちゃならないことがあるからあと少し。

  • 1110月
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    コロナ前のジャカルタでの留学フェアに出展していた大学の学長が、
    私の小学校時代のクラスメイトで、6年生の時に転校したT君だと
    偶然わかり、そのつてで連絡を取り合うことになって、先週ついに、
    新宿でその中の4人での再会を果たしました。私、後列左から2番目。

    人によって記憶の箇所と深さが違うのだけれど、
    記憶の糸って不思議で、50年以上も前の人や事が蘇るのですね。
    特に、たった1年半で転校していったT君の記憶の連鎖は凄かった。
    思い起こせば、そんな時代もあったねと…♪の、よき日々でした。

    そして今日は、月に一度の母との鍼灸の日。

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    5年前から始めたこの行事。鍼とお灸の後、妹と合流して食事。
    次の回までにあちこちお店を探して予約するのは私の係で、
    今日は韓国の家庭料理でした。…並べてみると、今まで色々よく食べた。
    90にしては髪がふさふさな母です。

    私はというと、今日は家に帰ってきてからものすごく眠くなり、
    まあ、たくさん寝ました。寝て起きて、寝過ぎで頭が痛くて、
    頭痛薬飲んでまた寝てまた起きて。これ、好転反応…おそらく。

    好転反応とは、
    >施術によって滞っていた血行やリンパの流れが良くなることで、
    >体内に蓄積していた老廃物や疲労物質が移動し、
    >一気に体中を駆け巡るためです。

    今後に期待。

  • 0410月
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    月に一度通っている鍼灸院での、患者さんと先生の会話。
    88歳だという男の人が、先生に聞いていました。
    「片足立ちができなくなっちゃったんだけど、
    どうやったらできるようになるかな」。
    それに対して、70代の女性の先生、
    「88になったらね、片足立ちできなくてもいいんですよ。」
    耳の遠いその人に最大音量の声で。

    なるほど。確かに。
    それはそれとして、今の私にできなくてもいいことって何だろうと
    考えちゃいました。何でもかんでもしようとしているけど。

    本気でやったらできないことはない、何でもできると信じて、
    昭和の高度成長期に育った自分はいつも邁進しているんだけれど、
    いや、できないこと(できないかなあって思うこと)あるなと、
    最近思うので。

  • 0210月

    ミャンマーからレイレイさん来日。
    今年も、自分が送り出した学生さんたちを訪ねるため
    (レイレイさんは学生300人の日本語学校の校長先生。
    卒業生は何千人にもなるそうです)、
    まずは東京。昼間、学校に来てくれて、夜一緒に食事。
    レイレイさんの鞄を持って待ち合わせ場所まで来てくれた
    在校生のサイさんも一緒に。
    学校生活のおもしろい話をたくさん聞けて、楽しかったです。

    たとえば、一泊旅行のとき。
    各国からのクラスメイト、6人男部屋で飲み食いしながら
    共通語の日本語であれこれ話した後にゲームも。
    おそらく、可能形「〜ができます」の授業の日に先生がした、
    「私は座ることができます。私は何ですか。」
    「椅子だと思います。」「そうです。」というのを、
    旅館の部屋の布団の上に座ってみんなでしたんですって。
    レイレイさんと私、大笑い。でも、いいですよね、学生たち。

    今日、レイレイさんは、次の地、沖縄へと向かって行きました。
    今月いっぱい、教え子を訪ねて日本全国をまわるそうです。
    15年以上前に、インターカルトの卒業生の会社で働いていた
    のがレイレイさんでした。
    「みんなに幸せになってほしいから学校を作りました。」
    私はそれからずっと応援団。

    ミャンマー語の「こんにちは」は「ミンガラバー」。
    その意味は、幸せ、幸運、祝福に満ちた日になりますように。