夕方、32℃のバンコクに着きました。
明日の会場のサイアムパラゴンに行って、
主催者の長谷川さんやゲイさんに挨拶して、
タイ料理をたらふく食べて、
ホテルに戻ったら、ソファでそのままうたた寝、
顔だけ洗って寝ちゃおうかと思っている今です。
夏物を一月にも着るバンコクはPM2.5の白き空なり
37年前の香港の卒業生たちにもらった「私」。
2016年に彼らの日本留学30周年記念同窓会が香港であり、
一緒に行った落合先生共々、この私たちを模した人形を。
あの頃、私はまだ20代、学生たちとほとんど年が変わらず、
カラオケに、飲みに、お花見に、ボーリングにと、
本当によく一緒に遊んでいました。
ニッポンに留学したから会えた人日本語教師となりて会えた人
この彼らが昨日香港で集まり、来年の6月に皆で日本に来て、
日本で留学40周年記念同窓会をすることを決めたそうです。
「2026年6月の先生達の都合は如何ですか。」
というメッセージが今日きました。
私は明日からタイ。これから日本に留学する人たちに会いに。
若い時にものすごく年上だと思っていた人っていませんか。
実は自分よりちょっとしか上ではなかった人。
それがまさに韓国のHEDの宋さん。
1990年、日本語教師2年目の初めての海外出張、行き先は韓国で、
中村壽子校長先生の後ろにくっついていたひよっこの私に、
韓国のこと、海外で学生募集をするということ、等々、
教えてくれたのが韓国事務所の宋さんでした。
今、インターカルトのウィークリーコースに団体で来ている、
韓国人高校生たちの送り元で、その引率での大阪、東京、札幌。
で、今日、会いましょうかと突然決まったのは昨日です。
数えてみたら35年も前になる、ひよっこ気分に戻っての
お寿司を食べながらのひと時は、なんとも心地のよいものでした。
ときどきは鎧を脱いで休みたいつっぱることに疲れたときは
自分にお酒を注いでくれようとする人に対して、
コップを手のひらで塞ぐような無粋なことはしない。
・・・を信条にしてきましたが、最近は年相応に。
ふにゃふにゃと力が抜けるようなことがあった日に、
ひれ酒をひっかけて帰りました。いや、フグも食べました。
ひれ酒は、戦後の昭和初期に物資が不足していた時代に、
漁師たちが焼いた魚のヒレで酒をかき混ぜたことがきっかけで
誕生したと言われています。
ヒレの旨味が酒に移り、日本酒の味わいを深めるのが特徴です。
ひれ酒は、日本酒の良し悪しに関わらず、
風味や味わいを格段にアップさせる飲み方として、
現在でもその地位を確立しています。
・・・と、検索したらありました。
安酒にヒレ入れたれば極上酒それ本物と呼ぶか呼ばぬか
中学3年のときに、
美術でいい成績をつけてもらい、それで調子づいて、
高校では美術部に入り、なんだかんだで3年間。
そのおかげで、水彩画、油絵、デッサン、日本画と、
一通りのことを経験しました。
でも、高校が決まったときのこと、
中学の一つ上の先輩から電話があり、「弁論部に入りませんか」と。
え?弁論部?何するところ?と無知な私は思い、丁重に辞退。
いや、ほんとに主張したいことなどなかったあの頃でした。
が、しかし今、
言われたる「出過ぎた杭は打たれない」主張と行動一致の果てに
出過ぎた杭は打たれないとは、
うまいことを言ったもんだと思ったのですが、
なんであれ、最近またマスクをしているのは、咳のためだけでなく、
余計なことを口走らないための予防です^^;
写真はこの間の福岡でのセミナー。
左にいらっしゃる西南学院大学の山田智久先生の講演、
じゃない、まさに双方向コミュニケーションをとりながらの
学びの時間「日本語教師+α」、背中を追いかけずにはいられない^^