Archive for 米山陽一

やればできる

こんにちは。教務の米山です。

先日『DOUBLE FANTASY -John & Yoko展』に行ってきました。そこに展示してあったジョン・レノンの成績表。国語(English Language)53%、フランス語19%、地理35%、数学3%、理科8%、美術26%・・・😲

60年以上前の個人情報が衆目に晒されるのもどうなのと思いますが、そんなことジョンは気にしないでしょう。また、希代のロックンローラーに優秀な成績を期待するファンもいないでしょう。私も「ふーん」と眺めていました。ただそのプレートに目が止まりました。

「ジョンの成績は芳しくなく、全ての教科で低い評価となっている。『やればできる』というのが先生たちの共通した認識だった。」

当時のジョンに光るものがあったと思いますが、私は「先生たちの共通した認識」にちょっとほっとした気持ちになりました。

私たちの学校にも成績の芳しくない学生はもちろんいます。教務室でもそんな学生の話題がしょっちゅう飛び交っています。その中には「やればできる」学生もいます。でも大抵やらないことが多いです。一度やってできると安心して止まってしまう学生もいます。どうしたら学生にやらせることができるか、先生たちは毎日考えています。

とかく相手の悪いところが目につき、ダメ出ししがちになります。いいところもあるはずですが、いいところを探して評価するのは難しい作業です。でも問題のある学生ほど自分の良いところを正当に評価されると納得します。その一つが「あなたは、やればできる人なんだ」と相手に伝えることではないでしょうか。

私は大学時代にサンフランシスコ州立大学のワークショップに参加しました。よくある夏休みを利用した1か月程度の短期語学留学です。ところが、行ってみたら日本の高校英語教師を対象としたプログラムでした。もともと得意でない私の英語力はクラスでダントツ最低でした。それでも、せっかくアメリカに来たのだからと学内外で拙い英語をできるだけ使って話しました。

そのクラスでは毎日英語で日記を書いて提出し、担当教師からコメントをもらっていました。ある日のコメントにこんなことが書かれていました。

(Tomはクラスでの私のニックネーム。Tom and Jerryから。)

帰国して、その後何度か人生の新しいステージを前にして躊躇した時、この言葉が自然に浮かんできました。そして“You will do well wherever you go”と背中を押してくれました。

新御徒町ふしぎ発見!ワンダーストリート

こんにちは!教務の米山です。

インターカルト日本語学校は台東区にあり、最寄り駅は地下鉄の新御徒町駅です。

A2出口を出ると正面に春日通り。右に曲がると”日本で2番目に古い商店街”の佐竹商店街があります。

でも今回ご紹介するワンダーストリートは、左に曲がった一本脇の裏通りです。ちなみにここは私の通勤路です。

それでは、あなたもミステリーハンターになって一緒に歩いてみましょう。

 

ミステリースポット① 謎のステレオスピーカー


看板には〇〇株式会社、〇〇研究所とあります。学校がこの地に移って来た時から気になっていました。広い玄関上がってすぐのところにオーディオファン垂涎の大型スピーカーがドーンと2台置かれています。部屋側を向いていますが、なぜ玄関に?いつどんな時に聞くのでしょうか。

 

ミステリースポット② 謎のアンティーク&リサイクルショップ


看板からして、水木しげるの妖怪漫画のような雰囲気が漂っています。アンティーク好きの私は興味津々なのですが、普通の民家を使っているため入り口で靴を脱ぐことになります。文字通り敷居が高くて、まだ入ったことはありません。それよりタイムスリップして別の世界に行ってしまいそうで、まだ入る勇気がありません。

 

ミステリースポット③ 謎の看板


この喫茶店には週1、2度ランチを食べに行きます。店内も年季が入った感じですが、それ以上にこの看板はいつの時代のものなんでしょうか?ヴァンダイクと言えば17世紀の画家が有名ですが、店内にそれ風の絵はなく(インド土産のような絵はありますが)、よく国会中継とメジャーリーグのテレビがついています。

 

ミステリースポット④ 謎の箱


住宅の間にちょこんと鎮座していている(佐竹)秋葉神社。秋葉原の地名の由来にも関係あるらしいですが、私が注目したのは賽銭箱の右の白い箱。AEDの文字が見えます。インターカルトも2018年からAEDを設置していますが、それよりずっと前から置かれているようです。万が一の時の駆け込み寺ならぬ、駆け込み神社ですね。

 

ミステリースポット⑤ 謎のエレキギター


店の手前に白いエレキベース、壁には赤いエレキギターがかかっています。でも音楽は聞こえません。奥では白髪ロン毛を後ろで束ねた初老の男性が黙々と作業をしています。小さなショウウィンドウを見るとベルトのバックルやライターがあり、メタル細工のアクセサリーの工房のようです。ROCKが聞こえます♪

 

ミステリースポット⑥ 謎のプチ竹林

春は桜が咲き、私もお弁当を買ってお一人様で花見をする竹町公園。でも正面口左の小さな竹林は最近まで気が付きませんでした。なぜここに竹林?なぜ入り口の柱にフクロウ?なるほど、表通りの佐竹商店街を見てわかりました。

 

ミステリースポット⑦ 謎の門柱


今時見られない立派な医院の玄関。今は閉院されているようですが、泣く子も黙る威厳があります。特に目を引くのは膨らみを持たせた円柱です。これはギリシャのパルテノン神殿で知られるエンタシスの技法です。世界史の授業で聞いた憶えがありますが、こんなご近所ででお目にかかれるとは。

 

そしてこの通りを抜けると、すぐ正面がインターカルト日本語学校です。350メートルほどの通りにこれだけのミステリースポットが集中しているなんて奇跡です。おかげで毎日楽しく通勤しています。

 

でも、ひょっとすると一番ミステリアスでワンダーなスポットはここかもしれません。

トナカイ

授業で使う教材の中には、自分が読んでも「へー」というものがあって勉強になります。

その中からクリスマスシーズンにぴったりの例を、NHKの「チコちゃんに叱られる」風に紹介します。

一緒に考えてみてください。

 

ねえねえ、岡村、この中でトナカイが似合う素敵なオトナってだ~れ?

 

問題1

ヨーロッパの古い時代のクリスマスカードにはトナカイでなくて豚が描かれていたそうだけど、どうして?

 

「サンタクロースは実は猪 八戒(ちょ はっかい)だったから」ですって?

ボーっと生きてんじゃねえよ!

 

問題2

今、サンタクロースのそりを引いているのはトナカイですね。じゃ、そのトナカイは雄、雌、どっち?

 

「角があるから当然オスでしょう」ですって?

ボーっと生きてんじねえよ!

 

皆さんはお分かりになりましたか。

答えは教材の問題をしながら考えてください。

 

読む練習《文の並べ替え》

◆並べかえて、はっきりと意味の通る文章にしましょう。

問題1

A そのわけは、17世紀ごろまでは、クリスマスは、森に放し飼いにしていた豚を料理して食べる季節の始まりに当たっていて、人々の関心はトナカイよりもブタにあったからです。

B 現在市販されているクリスマス・カードには、トナカイの引くそりに乗って世界中の子供たちへプレゼントを運んでいるサンタクロースの絵がよくかかれています。

C かわりに多いのはブタの絵をかいたクリスマス・カードです。

D ところが、古い時代のクリスマス・カードには、トナカイの登場するものが意外なほど少ないのです。

 

問題2

A クリスマスのサンタのそりを引いているトナカイには角があるので、クリスマスが冬にあたる北半球の場合、このトナカイはメスということになるだろう。

B シカ科の動物には、ふつうオスだけに角があるのだが、例外的にトナカイはオスとメスの両方に角がある。

C これに対し、メスの角は冬の間は生えたままで、春先になってから落ちる。

D オスもメスも角は毎年生え変わり、オスの場合、角は晩秋に落ちて春になると再び生え始める。

 

※問題の内容には諸説ございます。

 

皆さん、よいクリスマスをお過ごしください。

 

文字の力

先日出張で韓国に行ってきました。個人的には韓国は初めてで、渡航自体久しぶりでした。何しろパスポートの有効期限(10年)が切れていました。海外にしょっちゅう行っている方は慣れているでしょうが、私のようにめったに行かない者にとっては大仕事です。私は日本語教師ですが、日本語以外の外国語はほとんどできません。言葉が通じないことは海外に行く時の高いハードルです。韓国語は聞いても全くわからないし。ところが、今回久しぶりに外国へ行って、空港から街に出たとたん襲ってきたのは外国語の音声ではありませんでした。

外国語の文字です。目の前にバーンとハングルが飛び込み、有無を言わせない強烈な力で異国に来たことを思い知らされました。10年以上前に台湾に出張したときも繁体字の洪水のような街の看板に眩暈を覚えたことがありましたが、漢字であればなんらかの手がかりにはなります。でもハングルは記号にしか見えません。以前バングラデシュの学生が漢字を下から上に書き上げていたことを思い出しました。きっと彼も漢字が模様にしか見えなかったのだと思います。これは可愛らしいタイ文字でも右から書くアラビア文字でも同じでしょう。

そのため出張中は韓国語ができる同僚や通訳さんに必要なものは全て翻訳してもらいました。自分の担当するセミナーのパワーポイントは発表用に韓国語になっていますが、自分のために日本語の翻訳も用意しました。よし、これで準備万端です。ところが、壇上で用意されていたパソコンを開けてびっくり!画面のツールバー、タスクバーがハングル表記でした。

やはり聴覚よりも視覚に訴えるものの方がインパクトがあると思います。今回は文字の力を実感しました。

その夜は、

聴覚、視覚で理解できなくても、嗅覚と味覚の力を頼りに・・・

最後は、ウコンの力。

감사합니다 / カムサハムニダ☺

来る12月3日にインターカルト日本語学校の創立40周年の大同窓会が開かれます。

それを前に、ふと30周年の時の記念冊子に寄せた自分のメッセージを読み直してみました。

 

5年前、それまで勤めていた会社を退職し、インターカルトの門を初めて叩きました。信濃町駅前の大通りを外れて脇の小さな坂道を下っていくとき、将来の自分の姿の姿を見たようで言い知れぬ不安を感じたことを思い出します。その後は、時にその日の自分の授業を悔やみながら、時に日本語教師への道の険しさを感じながら、その坂道を上りました。それもあと数ヶ月。新しい町の新しい道をどんな気持ちで歩くのか楽しみです。また今後、学生たちがそれぞれの人生の大通りを明るく闊歩するよう願い、努力していきたいと思います。『30周年記念メッセージ集』(2007年12月1日)発行

 

転職して日本語教師になった当時の心境、秋葉原に新校舎ができて移転するときの希望を「道」になぞって書いていました。

 

JR信濃町駅前の外苑東通りからインターカルトに向かう下り坂

 

坂の下からJR信濃町駅に向かって上る

 

「道」というと、高村光太郎の「道程」をまず思い浮かべる人も多いでしょう。

 

自分の歩んだ道のりは、そんなにりっぱなものではありません。

坂道を上ったり、下ったり、道草食ったり、寄り道したり、ふらふらと横道に入って裏道を覗いたり、あわてて逃げ道を探したり、近道のつもりが回り道になったり、先が行き止まりで道に迷ったり、無理に急いで追越車線を走って途中で失速したり、結局もとの道に出てしまったり、岐路の前で立ち尽くしたり、誰かが道しるべになってくれたり、交差点で思わぬ人と出会ったり・・・。

 

でもどうにかこうにか、ここまで歩いて来られたのは沿道の皆さんの応援があったからこそです。ありがとうございます。

 

実は冒頭のメッセージを書くとき思い出したのは、こちらの詩でした。

 

 

この道を行けばどうなるものか

危ぶむなかれ

危ぶめば道はなし

踏み出せばその一足が道となり

その一足が道となる

迷わずゆけよ

行けばわかるさ

アントニオ猪木『猪木寛至自伝』

 

最後の「行けばわかるさ」というところが気に入りました。

そう、逆に言えば、先が分からないから歩いているのかもしれませんね。

 

卒業生の皆さんも、それぞれの道を自分なりに元気に歩んでいてくれればなと思っています。

 

それでは皆さん、ご一緒に

行くぞ~!!!!!

1、2、3、ダ~~~~~~~~~!!!!!

 

「先生」とは?

先月は学期末で、定期テストの採点、成績評価、卒業後の進路指導に追われていました。成績優秀で真面目な学生ばかりでしたら苦労はありませんが、もちろんそんなことはありません。欠席や遅刻の多い学生。定期テストの点数が悪くて次のレベルに進級できそうにない学生。卒業後の進路がなかなか決まらない学生・・・。

「全く、もう・・・」とため息をつきながら、ふと学生時代の自分はどうだったか思い出してみました。そして今の自分の「先生」とは?と考えてみました。

敬語の導入では目上の人の代表として必ず先生が出てきます。韓国語では「ソンセンニン」で先生様になりますね。当然尊敬される存在です。もちろんそれ相当の実績と人格を備えた先生もいらっしゃいます。でも私はそうではありません。

教師は教室に入ったら、教師の自覚を持ち、学生の前では自信を持って接しなければなりません(ハッタリもありますが)。問題はどうやって自信を持つかということだと思います。全てではありませんが、自分が経験して実感したことは自信を持って言えると思います。

以下、笑い話として読んでいただければ幸いです。

 

高校に入学してのんびりしていた私は。初めての定期テストの結果を見てびっくりしました。成績順位がクラス45人中44番!さすがにあわてましたが、「でもビリじゃなくてよかった」とちょっとほっとしていました。すると後ろの席から「俺より馬鹿なやつがいるよ」と言う声。振り返って彼と成績表を見比べると見事同点44位でした。さらに30点以下の赤点(落第点)が4科目で進級が危うくなりました。次の学期は反省して、生まれて初めて予習と復習をしました。すると順位は15番!見事30人抜きでした。

実感したこと「勉強しなければ成績は下がる。勉強すれば成績は上がる」

 

大学受験は一浪して2年間に、のべ15学部受験し、14学部に不合格。最後に残った大学にやっと合格しました。おかげで受験料はかかりましたが、入学金の先払いはなし。

実感したこと「最後まであきらめなければ、道は必ず開ける」

 

就職活動が始まっても将来の目標がはっきりせず、面接でもどう答えていいかわかりませんでした。そこで赤坂あたりを歩き、「会社説明会開催中」の看板が出ている会社に片っ端から飛び込んで、20社ぐらい面接を受けました。待ち時間の15分で受け取ったパンフレットに目を通し、その場で志望動機を考えて面接で答えました。結果はともかく度胸だけはつきました。

実感したこと「考えるよりまず行動 最後は度胸」

 

某S百貨店の最終面接(集団面接)で「あなたのモットーを聞かせてください」という質問がありました。同席の学生に先にいろいろ答えられてしまい、言う事がなくなりました。とっさに「私は楽しく食事をすることをモットーとしています。出された料理は残さずおいしく食べます」と答えました。後日電話で「残念ながら今回についてはご期待に添えない結果となりましたが、系列のレストランSはいかがでしょうか」。不採用になりましたが、不思議と答えた言葉に後悔はありませんでした。付け焼刃での答えはすぐに忘れてしいましたが、そのモットーは今でも変わりません。

実感したこと「迷ったら、自分の言葉で伝えよ」

 

個人的な昔話ばかりで失礼いたしました。反面教師にしていただければとお思います。

 

でも、今の自分の「先生」とは?の問いに、私はこう答えます。

「先に生まれて、あなたの代わりに失敗しておきました!」

自分を色で表すと何色ですか?

先日、イタリア人の女子学生が黒のスーツを着てきました。聞けば午後に企業の面接があるという。周りの先生たちは「素敵ね、大人っぽいね」と言っていました。でも私は違和感を感じました。イタリア人の女性なら、せめて気に入った色柄のスカーフでもつけたらいいのに。別の日、やはり面接があると言って、スウェーデン人の男子学生が黒のスーツを着てきました。ネクタイも黒無地。さすがにこれは注意しました。

ところで、リクルートスーツが黒一辺倒になったのはいつごろからでしょうか。ネットで調べてみました。

「黒スーツ」が流行を始めたのは2000年ごろの就職イベントの大規模化が一因ではないかと分析している。不況による買い手市場化で、学生は萎縮し、就職イベントの参加者が数千人規模から数万人規模になるにつれて、なるべく目立たないようにと黒を選ぶようになった。(AERA 2014年4月7日号)

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リクルートスーツが個性をなくすという批判は、以前から言われてました。日本事情としても教科書などによく取り上げられています。

個性が求められる時代に、みんなと同じ服で登場しなくてはいけない理由はない。無難だからという守りの姿勢もいただけない。(「中級を学ぼう 中級中期」1課 関連読み物)

ただ、最近の学生や若い人たちを見ていると、黒のスーツを着ることに抵抗はないように思えるのです。

そこで、どうしてリクルートスーツが黒になったのか、考えてみました。

★ファッションとしての黒

私の印象に残っているのは、1970年代後半のミュージックシーンにパンク、ニューウェイブと共に登場した2トーンです。当時の若者が着ていた白黒の服装です。それまでのサイケ~ヒッピー~ジーンズ~ウェストコースや、グラムファッションなどと一線を画すものでした。それ以降、若者のファッションのメインストリームから黒が外れたことがなかったと思います。42442

ファッションとして定着しているなら、若者たちは抵抗なく、いや喜んで、みんなと同じ色を着るでしょう。

★ビジネスシーンでの黒

そもそもビジネスマナーとして黒はどうなんでしょう。

若い世代を中心に、黒のスーツを着る人が増えています。いまや一概にマナー違反とはいえませんが、欧米のビジネスマンで黒のスーツを着る人はいません。どんな場面にも通用するのは、ネイビーとグレー。柄は無地、もしくは控えめなストライプです。(PRESIDENT Online)

私のころ(1980年代)、リクルートスーツといえば、紺かチャコールグレーでした。ちなみに私は、みんなと同じ紺ではおもしろくないので、ピンストライプにしたと記憶しています。ホテルやレストランなどの職種以外で黒のスーツを着ている人はめったにいませんでした。

★スーツ業界にとっての黒

黒スーツが増え始めたのは2000年からというが、実はこの時期から、スーツ量販店がブランド戦略を加速させているのだ。同時に量販店で働く店員は、口うるさく着こなし方などをアドバイスしてくるベテランから、採寸するだけの若者に取って代わった。企業にとっては人件費を安く抑えられるが、その一方で、スーツ売り場の店員はいわば素人レベルとなり、社会的なルールを伝えることがなくなってしまったのではないか。前述の「AERA」の記事でも、スーツの量販店で店員に「1着目は黒がいい」と勧められた」という証言もある (Business Journal)

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「黒を着こなせる人は本当のおしゃれな人だ」と言われますが、そうでなくてもそれなりにまとめられるでしょう。黒を勧めれば販売員も楽です。黒スーツを普及させようとしているのは量販店ではないか、という声もあります。以前、私はスーツに合わせるネクタイを買う時は、デパートのネクタイ売り場で信頼できる女性販売員に相談したものです。ちょっと面倒ですけど、それも服装の楽しみ方ではないでしょうか。

★企業にとっての黒

それぞれの業界、企業によって様々でしょう。中には採用活動における「服装自由化」を宣言したソニーグループのような企業もありますが、今なお学生の間には「黒の神話」が根付いています。毎年あれだけの黒スーツの学生と面接しているのですから、少なくとも企業側は黒のスーツを否定していないでしょう。

「当社は個性を重視する」などとよく聞きますが、その「個性」とともに日本の企業で重視されるのが「協調性」です。その辺のバランスが曖昧なのではないでしょうか。「平均的な個性を重視しています」というのが無難な線かもしれません。

そして、企業の面接で学生に対してよく出される質問がこれです。

「自分を色で表すと何色ですか?」

間(ま)と間(あいだ)

明けましておめでとうございます。

教務の米山です。

相撲を観ていて不思議に思ったことがあります。それは取り組み(試合)の始め方です。何度も仕切りをして、両者の呼吸が合った瞬間に始まることがあります。つまり力士両者の「立合い」に任されているんですね。

「立合い」に関して、Wikipediaにはこう書かれています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%90%88%E3%81%84

力士同士が呼吸をあわせて「立ち合う」のが語源。審判など第三者によらず、競技者同士の合意によってはじめて競技が開始されるという意味で、対戦形式のスポーツの中ではきわめて稀有な形態である(詩人ジャン・コクトーは「バランスの奇跡」と讃えた)。

 

現在は制限時間一杯になってから始めることが多いですが、ラジオ放送が開始される前は制限時間はなかったそうです。

お互いの呼吸の「間(ま)」を合わせるために、仕切りをする時間「間(あいだ)」が必要なのかもしれませんね。

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ドラムのインストラクターの方の本を読んだことがあります。

ある三味線のお師匠さんに呼ばれて、邦楽の方々の中にまじってドラムを叩いたことがありました。そこでマイッタのが曲のスタートです。洋楽だったら、まずまちがいなく「1・2・3・4」とカウントがあって曲に入るのですが、邦楽にはこれがない。お師匠さんの「ハッ」で入っちゃうんです。これにはどうしてもついていけなかった。(『リズムに強くなるための全ノウハウ』市川宇一朗)

 

西洋のリズムは「時間の進行」に支配され、日本のリズムは「時」とか「刻」ではなくて、「間(ま)」によって支配されているのだそうです。

いずれにせよ、「間(ま)」というのは、「間合いを取る」という言葉にも表されるように相手との距離があってはじめて成立するわけです。そこにはお互いの暗黙の了解(信頼)が存在するのではないでしょうか。。

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私は夕食をすき家や日高屋でとることがよくあります。

食べ終わってレジに行くと、店員はこう言います。

  1. ラーメン390円と餃子210円で600円になります。
  2. 1000円お預かりします。
  3. 400円お返しです。ご確認ください。
  4. ありがとうございました。
  5. こちらレシートとサービス券です。次回お使いください。
  6. またお願いします。

別に問題ないですね。

ただ、私はファーストフード店でも、できるだけ「ごちそうさま」と言うようにしています。ところが、その「ごちそうさま」が入れられません。最後に言おうとしても、店員はすでにどこかへ行ってしまっています。

今はどこの店でもきちんと接客用語を使っています。でも店員も会社もその間(あいだ)に客の言葉が入ることなど想定していないのでしょう。普通は客も黙っています。だから最初から最後まで全く「間(ま)」がなく、店員が一方的に早口で言葉を並べているんだと思います。

まあ、ほとんどの人には必要ないのかもしれませんけど、私は一生懸命働いている店員さんには「ありがとう」「ごちそうさま」と一言声をかけたくなります。それがカワイイ女性だったらなおさらです。

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ただ、よく言われるマニュアルの接客用語には気持ちがこもってない、という話とはちょっと違います。

先日、久しぶりにヤフーオークションを利用しました。落札すると取引ナビで出品者と落札者の間に以下のようなやり取りが始まります。

<出品者>このたびは落札いただき、ありがとうございました。出品者の山田太郎と申します。お取引終了までどうぞよろしくお願いいたします。早速ですが、お支払い方法などにつきましてご連絡させていただきます。(中略)それでは、ご連絡をお待ちしております。

<落札者>ご連絡ありがとうございました。田中花子と申します。こちらこそ、よろしくお願いいたします。以下、ご連絡申し上げます。 

<出品者>出品者の山田です。ご返信ありがとうございました。商品代金○○円、送料○○円、合計○○になります。ご入金されましたらお知らせください。 

<落札者>田中です。本日、入金しました。ご確認ください。それでは、商品が届くのを楽しみにしております。よろしくお願いします。 

<出品者>出品者の山田です。ご入金を確認しました。ありがとうございました。本日、商品を発送しました。到着までいましばらくお待ちください。 

<落札者>田中です。本日、商品を受け取りました。このたびはありがとうございました。評価をさせていただきました。ご確認ください。またご縁がありましたら、よろしくお願いいたします。 

評価:非常に良い 商品無事に届きました。迅速で丁寧な対応をしていただきありがとうございました。機会がありましたらまた利用させていただきたいと思います。 

一般的な手紙やメールのやりとりと同様です。実際には受け答えの雛形を作って、特に感情を入れることなくコピペで送っている人も多いと思います。でも、そこには相手が返信してくることを前提として、やり取りに「間(ま)」があります。きちんと連絡が来ると安心するし、相手に対して信頼感も出てきます。そして品物が届く「間(あいだ)」も安心して到着を楽しみにすることができます。

ところが、今回落札後に取引ナビ(ベータ版)を開くと、新システムに変わっていました。あらかじめ用意されたフォームに必要事項を入力していくだけです。お互いに言葉をやり取りする必要はありません。最後の評価も用意されたテンプレートから選びます。

確かに手間もわずらわしさもなく、簡単で楽です。どちらがいいかは、意見の分かれるところでしょう。

最後に私も指示通りにテンプレートから選んで評価しました。

評価:非常に良い ありがとうございました。とても良い取引ができました。また機会がありましたら、よろしくお願い致します。 

ほどなく出品者からも連絡が来ました。

評価:非常に良い ありがとうございました。とても良い取引ができました。また機会がありましたら、よろしくお願い致します。

やはり、生きた言葉には相手との「間(あいだ)」に「間(ま)」が必要なんですね。

 

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落札した沢田研二のDVD6枚組ボックスセット。ほぼ新品同様の美品。包装も丁寧で迅速に対応してくれたので、一言お礼の気持ちを伝えたいと思いましたが。

 

電話と日本語の話

こんにちは。インターカルトの米山です。

最近の電話と日本語についていくつか考えてみました。

 

 ①ストラップは死語? 

 

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少し前、カタカナの授業で、教科書に「ストラップ」が出てきた。

「皆さんが携帯につけているのが、ストラップです」と意味を説明したが、学生は「?」

学生の携帯はみんなスマホで、誰もストラップをつけていない。

時代の変化に今さら気づき、しばし呆然。

確かに電車の中でもスマホにストラップをつけている人は見かけない。

気になってネットで検索してみると、こんな書き込みがあった。

「ストラップを付ける事自体が慎重な日本人特有な文化ですから、海外スマホだと付けいてる=ダサいというイメージがあるので、あまり付けている方は居ませんよ。」

なるほど。だとすると日本文化としての「ストラップ」のルーツを考えると根付に遡ることになり、土産物屋でストラップが定番なのも納得がいく。

 

②敬語が使えなくなっているのは携帯電話のせい?

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 こんな記事を見かけた。

「固定電話の時代は、電話に出た友人の家族など一度は誰か別の人を通さないと友人と話すことができませんでした。相手によって言葉遣いを変え、敬語を使う機会が多かったのです。しかし、現代では携帯電話で話したい友人と直接話すことができるため、敬語を使う必要がありません。」(筑紫女学園大学 日本文学科 中村萬里教授)

確かに昔は女の子に電話するとお父さんが出てきて、緊張しながら敬語を使わざるを得なかった。そして電話口の声は威厳のある昭和の父親だった。

 

③「友達」の意味も変わる?

 

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 今の電話の使用方法は通話より、メールやSNSでのコミュニケーションのほうが多いかもしれない。

でもFacebookで会ったことのない人から突然リクエストが来る。「はじめまして」も「よろしくお願いします」の挨拶もなく、「友達」になる。

「友達というのは実際に会って話したり、けんかしたり、仲直りしたりして相手の気持ちを考える関係だと思う。」(NHKテレビ「今夜も生でさだまさし」)

 時代によって「いいね!」の評価も変わるのかもしれませんね。

上を向いて行こう

こんにちは。教務の米山です。

最近、寒い日が続いている。
ドアを開けて家を出るとき、つい背中を丸めてしまう。
でも駅まで歩く道の途中で、ふと見上げると雲ひとつない青空が広がっている。
そんな朝は、今日一日よいことが起きるような気分になり、たとえ月曜日の朝でも元気が出てくる。

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また、仕事を終えて家路を急ぐ途中でも、見上げると夜空に冷たそうだが、秋以上に美しい月が輝いている。そして何故かオリオン座の三ツ星を見つけると安心する。

とかく下を向いてうつむきがちになることが多い今日この頃だが、上を向くだけで気分が変わることがある。

ところで最近、行き帰りの通勤電車の中で気になっていることがある。
なんか車内がさびしい。
車内の広告が昨年あたりからかなり減っている。

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まだ景気は回復していないのかなと思っていたが、インターネットで調べてみたら、ちょっと違うようだ。

最近はスマホが普及してスマホで情報収集する人が多くなり、車内の広告を見る人が少なくなったというのが理由らしい。

さらにこんな記事も。
『2015年秋に山手線の中吊り広告消滅』
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141102-00000001-pseven-bus_all

でも、それってどうなんでしょう。
私にとって通勤電車の中で車内広告を眺めるのは、世の中の流れを知る貴重な時間だった。
また以前は車内広告で見た言葉に興味を持って、その意味を聞きに来る学生がよくいたものだ。

上記の記事にも書かれている。
「車内吊りがデジタル広告に変わったら、おじさんたちが若い子のファッション用語を知る機会はますます減りますし、男性週刊誌のHな特集の話題もなかなかできなくなります。それに中吊り文化は、世界的に見ても日本特有でしたので残念ですね」

確かに車内で周りを見ると若者だけではなく、おじさんたちもみんな下を向いてスマホの小さい画面で小さい文字を見ている。

でも、私は身動きできない電車の中でも上を向いて、週刊誌のグラビアアイドルの見出しに妄想している方が、ずっと健康的?だと思うんですが。

それでも上を向く。

追記
スマホと車内広告の関係の研究もある。
『スマートフォンの普及による若者の電車内行動の変化』
http://libir.mukogawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/10471/876/1/p115-122.pdf
ここでは「OOH(電車の中吊り広告などの交通広告や屋外広告)とスマートフォンは両立できる可能性を有している」と結んでいる。