Archive for 彭鈺棠

日本語で「相手」を何と呼びますか?

名前を知らない相手をなんと呼べば良いのでしょうか?」。。。

日本語は「世界の言語の中でもかなり難易度の高い」言語とされています。生まれつきの日本人は「難しさ」について意識することは少ないと思います。

日本在住のある外国人通訳者は「相手を呼ぶときが一番困ると言っています。特に名前を知らない場合には、代用する単語がない」と困惑します。

英語では「you」以外にも「Mr」「Miss」などで呼べますし、中国語では男性に対して「先生シェンしぇン」、女性に対しては「小姐シャオジェ」と呼べば失礼になりませんが、日本では相手の名前を知らない場合はとてもこまりますね。

先生や小姐は日本語訳で「~さん」となるが、日本語で「さん」だけ言ってもなんのことかは分かりません。

そこで、日本語の場合は「あの・・・、すみません、またはもしもしなどで表現しています。

このような使い方はある意味日本語の便利さとも言えるでしょう。日常生活のなかにも似たような表現方法がたくさんあります。これも日本語独特な持ち味だと感じさせられています。

同じアジア地域、そして漢字もしようしている国なのに、意味が同じのとまったく独自な持ち味を両立しているのは日本語だけだと思いますが。。。

皆様は日々どう感じ取られているでしょう?日本語は本当に深くて面白いですね~

にっぽんの心「演歌」

明治から昭和まで日本の教育を受けた家庭で育てられたので、小学校低学年の時分から日本語や日本の歌謡を聞かせられたお陰で、日本と言う国を特別に外国と意識したことがあまりなく、むしろそのときから昭和一桁の古い歌が覚えることができた。

例をあげるならあの名曲(青い山脈、お座敷小唄、ここに幸あり、柔、りんご追分、骨まで愛して、星影のワルツ、港町ブルース、瀬戸の花嫁、、、、などなど数え切れないほどある)今のオタクや萌えギャルにはほとんど分からない所謂「演歌=にっぽんの心」だと個人的に思う。

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日本の戦後は物資の貧しい、民心が暗い社会の中で唯一日本国民の精神を支えて今日に至るのがこの「日本の演歌」と言っても過言ではない。

私は「少し」前に日本に留学してきた。当時の留学生は皆日中一所懸命に勉学、夕方からはそれぞれアルバイトをしながら孤軍奮闘の毎日だった。今のように一人一台スマートフォンを持っていないし、メイド喫茶やフィギュア文化など一切なかった時代、(あったのが知らなかったか)「演歌」こそ留学生の「精神の糧」ではないだろか。特に体調不良、家族を思うや学業が思うように進まない時、日本の「演歌」小節、ビブラートのきいた音色がいつもそばで励ましてくれて、元気に頑張れたと思う。

そして、「演歌」の中からたくさん授業中や日常では学べない詩的な表現、美辞麗句を覚えることができて、より日本についての強い、深い、繊細、思いやりなどなど知ることができた。

個人的には「演歌」が大好きだ、もちろん現代のJ-ポップでたまには「口直し」するのもけっして否定しないが、やはり落ち着いた日本の文化でもあり「演歌」を今の若者世代にももっとその「宝物」の重みを感受してもらいたい、消えつつある「日本の演歌」をもっと活かしていけたらいいだろう。。。。。

皆様も時折「演歌」を歌ったり、聞いたり、レトロなひと時を味わいながら過ごしてはいかがだろうか?(ハハハ笑)    from Taiwan bohです。

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