Archive for 高井貞美

エラベレル?

ブログの担当、前回が2015年3月12日なのでなんと1年11か月ぶりの登場です。半年に1回程度担当が回ってくるはずですが、2年近くもさぼっておりました。おまけに1週遅れ。さらにログインパスワードも忘れ再設定する始末。
まあ尤も待っていたという方は皆無だと思いますが。

日本老年学会・日本老年医学会が「高齢者」として定義される年齢を65歳以上75歳以上に引き上げ、65歳~74歳は「准高齢者」とするという提案をしたというニュースが1月の上旬にありました。
現行の「高齢者」とされる年齢を65歳以上としたのは60年以上前こと。
その当時の平均寿命を調べてみると男性:63.59歳、女性:67.54歳、65歳以上は全人口の7%程度だったようです。
それが2015年には、男性:80.79歳、女性:87.05歳、65歳以上は全人口の3分の1。ずいぶん変わったものです。
確か私が子供のころ(半世紀近く前のことです)70代の方は結構な?年寄りに見えていたような気がします。それに比べ今の70代はとてもパワーのある方も多いようにも思えます。これは私がその域に近づいてきているせいなのでしょうか。やはり子供の目から見たらやはりかな私たちに見えていたのと同じような見え方をしているのでしょうか。
現行では高齢者の仲間入りする年まで秒読みに入った身としては10年も経たないうちに「高齢者」と呼ばれることを想像すると正直言ってあまりうれしくはないかなと思います。
年金支給年齢を引き上げて年寄り連中もよれよれになるまで働けということになる布石の意味もあるのでしょう。
それはともかく言葉の定義に限らず言語というものは、変わっていくものなのでしょうね。

電車で誰かが話しているのが耳に入ったかテレビだったかははっきり覚えていないのですが、次のような表現を耳にしました。
「どちらか一つと言われても選べれないよ」
これを聞いて「ん?」と思いました。なぜそう思ったかはお分かりですよね。
まあ、その時はこの人だけの誤用あるいは言い間違いなのだろうと思っていました。
ところが、それからそれほど長くない間に次のようなものにも出くわしました。
「これじゃ火が消せれないじゃない。」
「コンパクトにしまえれるので便利です。」
「これだったら続けていけれると思いました。」
ほかにもいくつかはあったような気がしますが、根が無精でメモを取っておらず思い出せません。

通常はというか正しくは
「どちらか一つと言われても選べないよ」
「これじゃ火が消せないじゃない。」
「コンパクトにしまえるので便利です。」
「これだったら続けていけると思いました。」
となるかとおもいます。

選べない→選べ-れ-ない
消せない→消せ-れ-ない
しまえる→しまえ-れ-る
続けていける→続けていけ-れ-る
のように「ない」/「る」の前に「れ」が挿入されるという現象が起きているのですね。

なぜこのような現象がおこったのでしょうか。

日本語教育関係の方には説明するまでもないことですが
来る・するは不規則変化ということで除外して考えると
動詞は二つに分けられます。
一方は1グループ、五段動詞、子音語幹動詞
他方は2グループ、一段動詞、母音語幹動詞などと称するものです。
私個人としては、子音語幹動詞・母音語幹動詞という概念を使ったほうが合理的だと思うのでこちらを使います。

可能形の変化を順を追っていくと諸説あるでしょうが次のようにも考えられるかと思います。
1.可能の表現を
子音語幹動詞:語幹-arer-u 例.書く(kak-u) → 書かれる(kak-arer-u)
母音語幹動詞:語幹-rare-ru 例.食べる(tabe-ru) → 食べられる(tabe-rare-ru)で表すようになった。
これ、子音語幹動詞と母音語幹動詞で違うルールのように見ます。
しかし 語幹-rarer-u/ru というルールだが、子音の重複を避けるために
子音語幹動詞では頭の「r」が母音語幹動詞では末尾の「r」が脱落したと考えると
1つのルールとして考えられますが、無理があるでしょうか。

2.それが、子音語幹動詞のみ可能動詞が使われることが主流となった。
母音語幹動詞では語幹-rare-ruがそのまま変化せず。
子音語幹動詞:語幹+eru 例.書く kak-eru
形の上では、書かれる(kak-arer-u)から「ar」が脱落した形になっています。

3.実際の運用では「食べられる」→「食べれる」のように
「ら抜き」と言われる形が話し言葉では使わるようになってきた。
食べられる(tabe-rare-ru) → 食べれる(tabe-re-ru)
実はこれも、食べられる(tabe-rare-ru)から「ar」が脱落した形なのですね。
つまり子音語幹動詞がたどった道を母音語幹動詞も追いかけた、
子音語幹動詞のみが変化してしまい2つのルールになってしまったものが、
また1つになる方向に動いたとも考えられると思います。

次が今回の変化についてですが、
4.書ける「kake-ru」の「kake」と「ru」の間に「re」が挿入され、書けれるとなった。、
子音語幹動詞が語幹-eruになったことにより「kake-ru」のように母音語幹動詞に化けてしまったわけです。
そうすると母音語幹動詞の可能形(tabe-re-ru)と形の上の違いが出たために形を合わせる「re」が挿入され書けれる「kake-re-ru」となったと考えることができるのではと思います。
延々と前置きを書いておいて、非常にあっさりとした推測ですみません。

実際にはこのような変化は起こっていくのでしょうか。

ところで日本語教育では何を正しいとしているのかというと、

まず、20年も前のことなのですが、
平成7年に公表された「第二〇期国語審議会 新しい時代に応じた国語施策について(審議経過報告)」に次のような記述があります。
『国語審議会としては,本来の言い方や変化の事実を示し、共通語においては改まった場での「ら抜き言葉」の使用は現時点では認知しかねるとすべきであろう。』
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kakuki/20/tosin03/09.html

また、平成28年2月~3月に文化庁が行った平成27年度「国語に関する世論調査」の中に
二つの言い方のうちどちらを使うかという項目があります。その結果
「食べられる」「来られる」「考えられる」は「食べれる」「来れる」「考えれる」を上回っていたものの
「見れる」が「見られる」を、「出れる」が「出られる」をこの調査で初めて上回ったそうです。
ただ、その結果の脇に次のような記述がなされているので、前述の「ら抜き言葉」の使用はまだ認知できないという立場はいまだに変わっていないのでしょう。
『「食べれない」,「来れますか」,「考えれない」,「見れた」,「出れる」は,これまで共通語においては誤りとされてきており,新聞などでもほとんど用いられていない。』
http://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/pdf/2016092101_besshi.pdf

日本語校では
可能形は 子音語幹動詞:語幹+eru、母音語幹動詞:語幹-rare-ru
であると教えている・・・はずです。(教師の立場を離れてしばらくたっているのでこんな表現になってしましました。)
今後文化庁がいわゆる「ら抜き」以降の変化を認知するのかどうかはわかりませんが、認めていないという現状においては現場では教師に限らず職員もいわゆる「ら抜き」を使わないように注意すべきだと思いますが、この件に限らず「???」という表現やアクセントなどが使われているというのが現状のようです。
直接教える立場ではないとしても、意識していきたいものです。(自戒を込めて)

それでは次回はできるだけサボらないようにします。
高井でした。

ます?ました?

言われてどうもすっきりしない表現があります。それは、「ありがとうございます。」という表現です。

何?アホぬかせ!とお思いの方もいらっしゃるかと思います。私が如何に変人だとは言っても、

私 :おすすめはありますか。
店員:こちらはいかがですか。
私 :じゃ、それをお願いします。
店員:ありがとうございます。

こういう流れで(どういう流れかよくわからないかもしれませんが)使われる「ありがとうございます」に文句をつけようなどというという気はさらさらありません。

じゃどんな「ありがとうございます」がすっきりしないのかというと、カフェなどで飲食が終わって、あるいは何か物を買ってその店を出ようとするときに言われる「ありがとうございます。」です。どうして「ありがとうございました。」じゃないんだろうと思ってしまうのです。

もちろん、しょっちゅう行っている店で帰りがけに「いつもありがとうございます。(またよろしくお願いいたしします。)」と言われるのなら、引っかかることはありません。

 

通常、「V辞書形/Vます」は非過去、「Vた形/Vました」は過去と区別されるようです。おなじみの例ですが、

・トンガへ行くときにガイドブックを買います。
・トンガへ行くときにガイドブックを買いました。
・トンガへ行ったときにガイドブックを買います。
・トンガへ行ったときにガイドブックを買いました。

この4つの文の違いは、「行く」と「行った」は本動詞の時制に対して・・・という説明をすれば過去/非過去の対立で説明できなくもありませんが、何かすっきりしないところもあるように思えます。どの場合でも正しいかどうかは言えませんが、この場合は完了/不完了の対立と考えたほうがいいような気がします。実際スラブ系の言葉では、動詞に完了体/不完了体という区別があるそうです。ただ、完了体、不完了体の動詞それぞれに現在形と過去形が存在するらしいので、同じには語れないと思いますが。

 

先ほどの「ありがとうございます」と「ありがとうございました」の話に戻りますが、

私自身は、お礼を言うべき/言われるべきサービスが完了しているかどうかで判断しているようです。帰りがけに「ありがとうございます」と言われてすっきりしないのは、もうサービスが完了しているから、よく通っている店で「いつもありがとうございます」で引っかからないのは(個々のサービスではなく)継続的にその店を利用しており、その意味でサービスが完了していないと思っているからなのでしょう。

 

では最後に、

次のような場合、( a )( b )に入る言葉の組み合わせのうち、最もすっきりするのはどれでしょうか。

A:本日も中日本旅客鉄道をご利用いただき、( a )。この電車は当駅始発の東京行きでございます。発車まで3分ほどお待ちください。

B:間もなく終点東京に到着いたします。本日も中日本旅客鉄道をご利用いただき、( b )。

1.(a)ありがとうございます   (b)ありがとうございます
2.(a)ありがとうございます   (b)ありがとうございました
3.(a)ありがとうございました  (b)ありがとうございます
4.(a)ありがとうございました  (b)ありがとうございました
5.(a)、(b)とも、どちらを使っても問題ない

私は、なんといっても”2“なのですが、皆様はいかがでしょうか。

 

おっさんの屁理屈でした。

ご協力を!

政治に興味があるわけではありませんが、昨日は投票に行ってきました。(ある意味しかたなく)

現行では、数多くの人が白票を投じたとしても無効票として扱われてしまい、選挙区からは誰かが必ず当選してしまうシステムとなっているようですね。
ぜひ、この選挙区には議席不要という欄を投票用紙に入れてもらいたいものです。そうすれば喜んで投票所に行くんですがねえ。
まあ、それはさておき、投票所の受付に次のような張り紙がありました。

「確認のためお名前をお呼びします。御理解・御協力をお願いいたします。」

「御理解」この部分は”理解”できます。しかし、「御協力」、これはいったいどうしろというんでしょうか。仮に、「名前なんぞ呼ばれたくない」と言ったらどうなるのでしょうか。投票させてもらえなくなるのでしょうか、別室に連れていかれてきついお叱りを受けることになるのでしょうか。試してみればよかったのでしょうが、ヘタレなもので何も言えず、名前を呼ばれ、「はい」と返事までしてしまいました。
この張り紙だけでなく、最近「(ご理解)、ご協力をお願いします」という表現がやたらに使われている気がするのですが、気のせいでしょうか。もっとも「ご理解、ご協力をお願いします」という表現でもいいのではというケースのほうが多いとは思うのですが、どうも、御協力じゃないだろうと思えるものもあるようで。(多少、表現を変えているものもありますが。)

住宅地を走行するため、速度を落として運転いたします。皆様のご理解とご協力をお願いいたします。(中央線・西武新宿線・西武池袋線沿線を中心に運行するKバスの車内放送)

減速運転にどうやって協力すればいいんでしょう。おもりでも持って乗れと?

当駅では一旦ドア閉め整列乗車を実施しております。お客様の降車がお済みになりますとホーム側のドアが一旦閉まります。ドアが再び開きましたらご乗車いただきますようご協力をお願いいたします。(元国有鉄道のM駅の放送)

「ドアが再び開きましたらご乗車ください」で十分なのでは?この話題とは関係ありませんが、「ホーム側のドアが一旦閉まります」じゃ、ホームでない側のドアはどうなっているんでしょう?

XX市では水道料金の見直しがされました。その結果、YY年MM月請求分から平均改定率13.8%の値上げをすることになりました。皆さんのご理解とご協力をお願いします。

節水に協力してくれというのならわかりますが、これは値上げの通達であって、協力もへったくれもないと思うのですが。

市内には、つぎの通り献血ルームと日赤プラザ献血ルームが常設されていますが、その他にも献血バスが各校区・企業・学校などを巡回しています。献血バスの校区巡回日程(企業・学校は除く)は下記のとおりです。皆様のご協力をお願いいたします。

協力の意味が分かりません。字面からは「献血にご協力を」には思えません。

乗務員がトイレに行くなどバスから離れることがございます。そのような場合、バスジャックやテロ等の危険からお客様を保護できない等の観点から、大変恐縮ではございますが乗務員が戻り次第のご乗車とさせていただきます。お客様には大変ご迷惑をお掛けしますが、ご理解・ご協力をよろしくお願いいたします。

乗務員がいたとしてもバスジャックやテロ等があったらどうしようもないかもしれませんが、一応乗客の安全確保のためにやっているわけで、こんなにへりくだる必要があるのでしょうか。

S市議会議員は市内の各種行事に金品を贈ること、お中元、お歳暮、花輪や祝儀等(親族などを除く)を贈ること、年賀状や暑中見舞いなどの挨拶状(自筆の答礼を除く)を出すことは公職選挙法で禁止されていますので厳守します。求める側も罰せられますので、市民の皆様のご理解とご協力をお願いいたします。

犯罪になるのでやらないよう協力してくれ・・・協力するしないの問題ではないのでは?

 

またまた言葉の使い方に難癖をつけるコーナーとなってしまいました。
いっそのことネタが見つからないとき以外はこの線で行こうかと思う所存です。

皆様のご理解とご協力をお願いいたします。

以上、高井でした。

ひっかかってしまうもので・・・

季節とは全く関係ない話題で。

JR東日本の秋葉原駅にあるポスターが貼ってありました。

それはエスカレータを歩くと危険だから、歩くのはやめてくださいね。ということを伝えたいものだと思うのですが、そこに書いてある文を読むと、

「エスカレータは立ち止まって乗るものよ」

とありました。ただ、みなさんはどうお感じになりますか。私は読んだ瞬間「てやんでぇ、べらぼうめぇ!そんな器用な乗り方なんかできるかぃ!」と思いました。(ちなみに私は江戸っ子じゃありません)

交通機関のアナウンスの中には、変だったり、訳が分からなかったりするものが結構あるような気がします。最近、聞いた中で思いつくものをいくつか挙げてみます。

1.駅のホームのアナウンス
1番線に電車が到着しております。危ないですから黄色い線までおさがりください。

2.駅のホームのアナウンス
ドアが閉まっております。無理なご乗車はおやめください。

3.電車、駅停車中のアナウンス
当駅で特急列車の通過待ちを行います。X時Y分の発車でございます。5分ほどお待ち合わせください。

4.バスの車内アナウンス
ベビーカーに、お子様を載せたままご乗車する際は、補助ベルト付きの座席で、後ろ向きに固定し、しっかりと支えてください。また、ベビーカーに荷物を載せてのご乗車や、車内混雑時にはたたんでご乗車願います。

5.バス走行中のアナウンス
当路線はご乗車の区間によって運賃が変わります。ご乗車時に降車停留所を乗務員にお伝えください。

何か引っかかるものがあるでしょうか。別に変なところはないのでは?とお思いでしょうか。それともこれのどこが変なのよ、とお思いでしょうか。

 

私は次のように感じました。実際に思ったことを文字にしたので、きれいな言葉とは言えませんが、その点はご了承ください。

1.到着してるっちゅうから階段走って降りたのに。おかげで転びそうになったじゃねえか。

2.閉まっているのに無理な乗車って、窓から乗ろうとしてる奴でもいるのか?
・・・そんなわけねえか。

3.誰とも待ち合わせなんかしてねえよ。だいたい5分間待ち合わせるってどういうことよ!

4.ベビーカーに荷物を載せてのご乗車や・・・これ何が言いたいのよ!
それから、客に対して「ご乗車する際は」って何だよ!

5.停留所でのアナウンスならともかく、すでにお金を払って乗っている客に対して言っても意味ないだろうが!

 

巷には所謂”変な”日本語があふれているように感じます。性格なのか仕事柄なのかはたまたほかの原因なのか、どうもこういうものにひっかかってしまいます。

 

そんな中、正しい日本語を身につけてくれている、学生のみなさんに敬意を表します。

 

高井でした。

線までさがれと言うけれど

本題に入る前に2点ほど

その1

2本の平行な白線の間に線に対して垂直方向を向いて立っています。線の幅は30センチ、足のサイズを25センチということにします。なぜ線なのに幅があるのだ、という声もあるかもしれませんが、数学ではないので大目に見てください。
ここで、「白線までおさがりください」言われました。どのような動きをしますか。選択肢 1~6 の中からひとつ選んでください。

1.前に進み、かかとが前方の線から離れている(接していない)状態で立つ。
2.前に進み、前方の線に乗っている状態で立つ。
3.前に進み、つま先が前方の線に接している状態で立つ。。
4.後ろに進み、かかとが後方の線に接している状態で立つ。
5.後ろに進み、後方の線にのっている状態で立つ。
6.後ろに進み、つま先が後方の線から離れている(接していない)状態で立つ。

「おさがりください」というのですから 1 ~ 3 だという方はいらっしゃらないと思います。私は4なのですが、5または6という方もいらっしゃるかもしれません。

その2

島式ホーム、相対式ホームという言葉が出てきます。字面からわかるとも思いますが一応簡単に説明しておきます。ご存知の方はこの部分を読みとばしてください。

島式ホームとは、次の図のようにホームの両面に列車が発着する形状のホームのことです。

shimashiki

図ではホームの両側の進行方向が逆になっていますが、進行方向が同じ場合もあります。秋葉原駅のつくばエクスプレス、JR山手線・京浜東北線のホームがこのタイプです。

相対式ホームとは次の図のように片側に列車が発着するホームが向かい合っているタイプです。

soutai

秋葉原駅のJR総武線、東京メトロ日比谷線のホームがこのタイプです。

 

前置きが長くなってしまいました。

東日本旅客鉄道(JR東日本)中央線のある駅で電車を待っていると次のようなアナウンスが流れました。

「間もなく4番線を電車が通過します。危ないですから黄色い線までおさがりください。」

このアナウンス、どう思いますか?

私、こう見えても・・・どう見えているかわかりませんが・・・見えていませんね。日陰で生きているとはいえ、蚤につく虱ほどの常識なら持ち合わせているので、どうすればいいかはわかっているつもりです。

そのとき、「黄色い線までさがる。」 これを言葉通りに動いたらどうなるんだろうということが頭に浮かびました。

先ほどの行動パターンとあわせて考えると、

黄色い線より線路側に立ち、線路のほうを向いて待っており、6の行動をとる人は、問題ありませんが、
同じところで待っていても 4 または 5 の行動をとる人は駅員のヒステリックなアナウンスで注意される、運転手に警笛を鳴らされる、あるいはその両方を浴びるかのいずれかでしょう。

4の行動をとる人が黄色い線よりホーム中央側に立ち、線路に背を向けて待っている場合は、セーフといえばセーフですが線路に向かって後ずさりしてくる客を見て運転手は危険を感じ、警笛を鳴らすでしょう。

6の行動をとる人が黄色い線よりホームの中央側に立ち、線路に背を向けて待っていた場合に至っては電車を数時間止めてしまうという惨事をひきおこすことにもなりかねません。

さらに屁理屈をこねれば、
島式ホーム、例えば、JR御徒町駅の山手線内回り(3番)・京浜東北線北行(4番)ホームで電車を待っているとします。3番線の黄色い線のホーム中央寄りに線路側を向いて立っている場合は、4番線の黄色い線までさがらなければならないことになってしまいます。特に6の行動をとる人は・・・

つまり「黄色い線までさがる」ことでアナウンスの意図通り危険が回避されるのは、”黄色い線より線路側に立ち、線路のほうを向いて待っており、かつ6の行動をとる人”のみということになるわけです。しかし、ホームに立っている大勢の中で、この条件を満たす人が何人いるんでしょう。ほとんどいないのではないでしょうか。というわけで、「黄色い線までさがる」という表現は適切ではないのではと思った次第です。

 

さて、「黄色い線までおさがりください。」という表現、いつから使われるようになったのかは定かでないのですが、記憶違いでなければ、以前JRでは(国鉄時代だったかもしれません)「白線の内側におさがりください。」、「白線の内側でお待ちください。」などと言っていました。鉄道会社によっては今も「白線(黄色い線の)内側」という言い方をしています。

これも何年前かは覚えていないのですが、「白線の内側とはどちら側のことを言うのか」という論争というほど大げさなものではありませんが、ああでもない、こうでもないと意見出てきたことがあります。代表的なものは、次のようなものだったかと思います。

  • 白線の内側と言うためには白線が2本必要である。そのため、1線しかない駅では、「白線の内側で待つ」ことは不可能である。
  • 白線の内側と言ってもホーム形状によって意味が異なる。たとえば、島式ホームでは白線の内側はホーム中央だが、相対式ホームでは線路側である。(これも線が複数必要であると考えに基いていますね)
  • 線の内側というのは線の上に完全に乗っている状態である。よって、足が線幅より大きい場合「白線の内側」にはなり得ない。
  • 日本人は線路の内側といえば通常線路と反対側をイメージするが、ある国の人は線路側をイメージする。よって「白線の内側」という表現は紛らわしく、使用するべきではない。

これが原因かどうかはわかりませんが、その後、JRのアナウンスで「黄色い線(白線)まで」という言い方が使われるようになったと記憶しています。変更の経緯はどうであれ、「黄色い線まで」という表現よりは、「黄色い線(白線)の内側まで」と言った方が何だかすっきりするような気がするのですが、いかがでしょうか。

 

肝心なことより瑣末なことが気になってしまう屁理屈好きの高井でした。