羽田に着きました。
あとまだ少し旅は続きます。
冬空に東京タワーの輝きて今朝までいたる南国想う
ブースには、インターカルトに入学手続きをしてくれた、
今年4月新入生たちも何人か来てくれました。
うち一人の、日本語まだまだこれからの女子は男の人と一緒に。
「お兄さんですか?」という私の問いに、
質問の意味はわかった、でも答えの日本語がわからないという様子。
目の前にいる通訳の人に聞いてもいいのに、じっと考え続け、
あ、閃いたぞ!という表情の後、隣に座っている男の人を指して、
「愛しています」と。
思わずのけぞって笑ってしまったけれど、素晴らしき答え。
夏目漱石の、I love you=月がきれいですね、的な、違うか。
・・・4月の来日を楽しみに待ってますね。
そしてこちらは、
二人が夫婦だということを、今日知ってびっくりした卒業生の二人。
フェアの主催者Jeducationのスタッフ、マイさんと、
インターカルトから東放学園の放送芸術科に進学したキュウさん。
おそらくは出会うことなき二人なりインターカルトを選ばざりせば
今日は、日本に向けての講座講師から始まりました。
去年の8月から始まった文科省の現職日本語教師初任者研修、
毎週土曜日、一緒に走り抜けた皆さん、お疲れ様でした!
と言って、zoomを切って、ホテルを飛び出し、BTSに乗って、
サイアムパラゴンへ。「PM2.5」という理由で乗車券が無料!
会場に着くと、東放学園さんとのコラボプログラム、
日本から配信の、動画作成のワークショップが始まっていました。
事前予約した皆さんが食い入るように視聴していてびっくり。
そして、我らのブースの今回のメンバー。
いつものトールさんと卒業生のナットさん、辻本さん、遊軍加藤。
前にお仕事をご一緒し、今はアサンプション大学にいらっしゃる、
上原先生と久しぶりに再会いたしました。
こうしてJeducationフェアの初日終了。参加校の懇親会。
見回してみれば、古株というか最長老というかで、乾杯の音頭^^;
2002年に始まったフェア、今年で23年め!継続は力なりですね。
で、プーパッポンカリーと、カオニャオマムアン。美味しすぎたー。
バンコクでも口々に我聞かれるは「認定申請もうされましたか」
という一日でした。
辻本さんとスーパーに寄ってふらふら見て、買い物して、
ホテルに戻ったら、恒例のソファでうたた寝をしての今です。
37年前の香港の卒業生たちにもらった「私」。
2016年に彼らの日本留学30周年記念同窓会が香港であり、
一緒に行った落合先生共々、この私たちを模した人形を。
あの頃、私はまだ20代、学生たちとほとんど年が変わらず、
カラオケに、飲みに、お花見に、ボーリングにと、
本当によく一緒に遊んでいました。
ニッポンに留学したから会えた人日本語教師となりて会えた人
この彼らが昨日香港で集まり、来年の6月に皆で日本に来て、
日本で留学40周年記念同窓会をすることを決めたそうです。
「2026年6月の先生達の都合は如何ですか。」
というメッセージが今日きました。
私は明日からタイ。これから日本に留学する人たちに会いに。
若い時にものすごく年上だと思っていた人っていませんか。
実は自分よりちょっとしか上ではなかった人。
それがまさに韓国のHEDの宋さん。
1990年、日本語教師2年目の初めての海外出張、行き先は韓国で、
中村壽子校長先生の後ろにくっついていたひよっこの私に、
韓国のこと、海外で学生募集をするということ、等々、
教えてくれたのが韓国事務所の宋さんでした。
今、インターカルトのウィークリーコースに団体で来ている、
韓国人高校生たちの送り元で、その引率での大阪、東京、札幌。
で、今日、会いましょうかと突然決まったのは昨日です。
数えてみたら35年も前になる、ひよっこ気分に戻っての
お寿司を食べながらのひと時は、なんとも心地のよいものでした。
ときどきは鎧を脱いで休みたいつっぱることに疲れたときは
自分にお酒を注いでくれようとする人に対して、
コップを手のひらで塞ぐような無粋なことはしない。
・・・を信条にしてきましたが、最近は年相応に。
ふにゃふにゃと力が抜けるようなことがあった日に、
ひれ酒をひっかけて帰りました。いや、フグも食べました。
ひれ酒は、戦後の昭和初期に物資が不足していた時代に、
漁師たちが焼いた魚のヒレで酒をかき混ぜたことがきっかけで
誕生したと言われています。
ヒレの旨味が酒に移り、日本酒の味わいを深めるのが特徴です。
ひれ酒は、日本酒の良し悪しに関わらず、
風味や味わいを格段にアップさせる飲み方として、
現在でもその地位を確立しています。
・・・と、検索したらありました。
安酒にヒレ入れたれば極上酒それ本物と呼ぶか呼ばぬか
中学3年のときに、
美術でいい成績をつけてもらい、それで調子づいて、
高校では美術部に入り、なんだかんだで3年間。
そのおかげで、水彩画、油絵、デッサン、日本画と、
一通りのことを経験しました。
でも、高校が決まったときのこと、
中学の一つ上の先輩から電話があり、「弁論部に入りませんか」と。
え?弁論部?何するところ?と無知な私は思い、丁重に辞退。
いや、ほんとに主張したいことなどなかったあの頃でした。
が、しかし今、
言われたる「出過ぎた杭は打たれない」主張と行動一致の果てに
出過ぎた杭は打たれないとは、
うまいことを言ったもんだと思ったのですが、
なんであれ、最近またマスクをしているのは、咳のためだけでなく、
余計なことを口走らないための予防です^^;
写真はこの間の福岡でのセミナー。
左にいらっしゃる西南学院大学の山田智久先生の講演、
じゃない、まさに双方向コミュニケーションをとりながらの
学びの時間「日本語教師+α」、背中を追いかけずにはいられない^^