アボカドの種を水につけておいたら、
芽が出て、茎が伸びて、葉っぱがこんなになってます。
桃栗三年柿八年。アボカドは収穫までに五から十五年とか。
十五年後って、はあ、私はいくつ。
冬のような秋の風を感じ始めてから、
考えなければいけないことがぽつぽつ。あちこちに。
一方、新しいことがいくつか始まり、大変ながらもわくわく。
・・・すべてすべて、ひとつひとつ。
BGM、ブルースカイブルー、西城秀樹♪
朝イチでマイナンバーカードを受け取りに(遅ればせながら)。
大國魂神社の境内にあるふるさと資料館が受け取り場所って風情ありますよね。
無事取得後、本堂にお参りに。手前のところに厄除けの看板があり、
見ると、とうに終わったはずの厄除け対象年齢の下のところに、私の生まれ年が!
八方除け!? つまり今年は八方塞がりなのでその祈願をと…。
なんと!八方塞がりとは!
なんとなくわからないでもないなという気分になり、
でもそれで謎が解けたような気もして、なんとなくほっとして、
兎にも角にも、祈願の申込みはせず自己完結。賽銭箱の横の看板に書いてある通りに、
お賽銭を(結構たくさん)入れたあと「二拝二拍手一拝の作法にて拝礼」して、
そのまま駅に行って、仕事しに学校に向かいました。
今日、私とzoomミーティングをした皆さん、
私が座っていたのはここ、ペンギンがいる場所です。
今日は、午前中と夕方、西新宿の同じビルの中で対面の会議。
その間の台東区の学校往復は時間の無駄なので、
会議と会議の間にあったzoomミーティング計3つ、
どこかのワーキングスペースでしようかと思ったものの、
そういうのが近くのどこにあるかわからなかったので、
(見つけてもどうせ道に迷って難儀するだけだから)
ビルの中の、工事なのか装飾なのか、パイプの管に座って。
仕事は何軒かのコーヒーショップを渡り歩いて。
ランチはとても久しぶりのジョナサンで。
流浪の民♪
小学生のときに入っていた少年少女合唱団で歌いました。
私が言っていることは勝者の論理だと言われたことがあります。
もう20年以上前のこと、言った人はそれなりに親しい人だったので、
言われたときは、は?何それ?みたいな反応をしたのだと思うのですが、
実はその後、この言われたことを思い出す場面が何度もありました。
勝者の論理。
つまり、常に強気で、それで人を言い負かすというような?
ひいては、弱い人の気持ちがわからないというような?
同じクラスの中で、まずすぐに発言する◯◯人は高い評価をされる傾向にあり、
一方、まずじっくり考える国民性の◯◯人は評価が低くなることがある。
ついこの間、教職にある方から聞いた話です。
多分、大方の人がそれはおかしいと言うのではないかと思うのですが、
でも、実際の教室活動や社会生活の中では、おそらくそうなのです。
薄っぺらい理論ではなく、ちゃんと理屈が通っている(それらしい)話で
あれば、認められたり評価されたりしてしまうものなのだと思うのです。
他人事のように言っているけれど、要領がよく語調が強い自分はまさにそれ、
結果的に凄いとか偉いとか言われるのだけれど、実は全然そんなことない。
それに気づいている自分は、実は嬉しいよりも辛い。でも強気は変わらない。
年を重ねてさらに図々しくなったこととも相まって、
迷惑とか、やだなとか思わせている方々が結構いるのだろうなと思っています。
一人一人には言ってまわれないのでこの場を借りて。(どうしたらいいのか。)
なぜ今唐突にこのことを、かと言うと、
またしてもそんな失敗をしたなと思っていることがあるのと、
昨日のスピーチ大会で、そんな自分を反省させるようなことを話してくれた
学生がいて、それが今まだちらちら頭をよぎっているからです。
写真は、この間のバンコク日本博にいた、勝者?ウルトラマン。