今日は、セミナーのために出勤でした。
朝10時の新宿西口地下広場。人がいない。
セミナー後の午後6時、帰宅時の同じ場所。
朝よりはいたけれど少ない。
はてさて、これからどうなるのか。
外国にルーツを持つ子どもたちの
「未来につながる支援」を考えるセミナー、
衝撃でした。言葉がうまくまとまらず。
明日、主催事務局の日本語教員養成研究所から、
報告のレポートがあがると思うので、
私もその後に。課題山積であることは確かです。
「ともに創り学びあう日本語教室を目指して」と題した
NPO法人PEACEのシンポジウムで、8年前からご一緒している
ミャンマーの皆さんのための日本語教室の紹介をいたします。
PEACEはミャンマーの少数民族を支援する団体として設立、
民族を超えて活動し、子どもたちに対して継承語としての
ミャンマー語教育をしっかりされているなど、様々な活動が、
私たちにとっての学びの場でもあります。
基調講演は、衆議院議員の中川正春先生です。
2022年1月29日(土)17:00〜18:15、
ここからYouTubeで見られるようです。皆さま、ぜひ。
そして今日は、都道府県と市区町村で「地域における日本語
教育」を担当する職員の皆さんを対象に文化庁が行った、
「生活者としての外国人」のための日本語教室空白地域解消
推進事業「日本語教室開設に向けた研究協議会」―空白地域に
おける課題を議論する―というタイトルの協議会に参加、
インターカルトが行なっている「生活者としての外国人に
対する日本語教師初任研修プログラム普及事業」の紹介をする
機会をいただきました。
(どっちもタイトル長いです…ね。)
私たちの普及事業で、北海道ブロックの大井先生と阿部先生が
中心にされているワークショップのテーマが、まさに「空白地域
に日本語教室を作ろう」で、その紹介もしました。
ミャンマーの少数民族も、日本語教室の空白地域も、どちらも
私は専門家ではないため、せめても紹介役をといった気持ちです。
そして何より、ともに創り学び合う。本当にそうです。
今日のセミナーは、徳山大学とインターカルト日本語学校が、
今年の9月8日に締結した研究教育活動での包括連携協定の
第一歩として開講する、山口県周南市の地域活性化を目的とした
リカレント教育講座の開講を記念して行いました。
当校の日本語教師養成講座のオンデマンドでの理論部分と、
徳山大学さんが行う教育実習を組み合わせた形で、
現時点での、告示校での日本語教師資格を取得できる講座として
文化庁に認められた講座、徳山大学内サテライトでの教育を、
リカレント教育と位置付けました。
リカレント教育は、生涯学習の一部ですが、
働くことが前提での学びで、かつ仕事のスキルアップ、
キャリアアップを目指す目的で受ける教育です。
今日のセミナーでは、
伊東祐郎先生には「地域における日本語教師の可能性」について、
立部文崇先生には「リカレント教育としての日本語教師養成の意義」
について、山口県周南市を事例としてお話しいただきました。
立部先生がお話の結びでおっしゃっていたこと。
地域の活性化は、多くの人に選ばれる街になること。
その環境づくりに寄与できるひとつのリソースが「日本語教育」。
そこに、日本語教師の可能性もあるのだと思いました。
土曜日。長い一日でした。
朝から日本語教育機関関係団体の会議。
それに被さるように文化庁生活者日本語教師初任研修、
北海道ブロック担当の「空白地域における日本語学習支援」。
終了と同時に北海道ブロックにポータルサイト作成の話。
その直後にFingerBoard教材作成チームに東海ブロックの話。
ここで美容院にダッシュで行って、
2時間後、ダッシュで帰宅して、
日本語教育学会秋季大会の賛助会員zoomセッションに参加。
「脱・日本語学校宣言」を50名近い参加者の皆さんに向けて。
参加してくださる方、多くて5,6人かなと思っていたので、
想定外の展開に、思わず喋りまくってしまい、さらには、
画面上の知った名前の方たちを指名しまくり、…失礼しました。
これら、美容院以外すべて、オンラインでです。
第6波とか、さらに変異株まで出てきて、ちょっと待ってよ。
でも、いつか明けるこのコロナ。
そのときのオンライン授業、そのときの完全対面授業、そして留学。
未来地図をちゃんと描いて、ちゃんと準備しておかないと、
気づいたら自分の居場所がないということにならないとも限らず。
そのうち、美容院もオンラインになったりして。…なわけはないか。
今、撮りました。東京駅の写真。
神田での仕事を終え、東京駅から中央特快に乗りました。
次世代のリーダーを考えるセミナーでした。
スピーカー3人の中ではもとより、対面でのオフライン参加の方、
ウェビナーの向こうの方々、合わせて80数名と聞きましたが、
その視聴者情報でも、私は完全に高齢者でした。
これ即ち、日本語学校業界の縮図。
これまで業界を引っ張ってきたリーダーたち、でもその数はごく一部、
私もその中では少し若手ながら、でもやっぱり決して主流ではない。
ああ、もうこの人たちの時代なのだなと思いました。
コロナを経て、IT化も進み、マーケティング手法もさらに磨かれ、
はてさて、日本語学校の地図はどう変化していくのでしょう。
今回、スピーカーを引き受け、何を話そうと考える中で、
色々思うことがありました。
その中の大きな一つが世代交代。「引き際」が大事だということ。
自分の首には自分で鈴をつけたいと思いました。
組織牽引のためには、知力、体力、気力のどれが欠けてもいけない。
それが衰えてきたら、それは身を引くとき。
今日、会った若い方たちの中に、かつてその人のお父さん、お母さんと
共に業界活動をしてきたという人が何人もいました。嗚呼。
引き際。そうなのです。後の人たちにそれを望まれる前にだなと、
彼らと話して改めてとっても思いました。
次世代がテーマでしたが、古めの現世代がテーマの今日でした。
私にとっては。
「現地語と継承語:複数言語環境で育つ子どもへの指導ストラテジー」。
今日は、バイリンガル・マルチリンガル子どもネット(BMCN)の大会に、
オンライン参加。トロント大学のカミンズ先生のお話を聞きました。
これまでの自分の固定観念と無知を思い知る貴重な機会で、
何らかの形で自分たちも関わるべき大きな課題と再認識しました。
私たちの関わり、
文化庁の生活者事業で、地域の子供たちの日本語教室をしたこと。
今年、海外での継承日本語のセミナーをしたこと。
まだまだ浅いです。
明日の夜は、そのセミナーでとってもお世話になった、
カルダー淑子先生が総合司会をされるセッション、
「海外で育つ子どもの継承日本語教師・親の立場から」に参加します。
写真は全然関係ないです。
お気に入りの写真フォルダに入っていた着物の写真。
子どものとき、大人になったら着物に割烹着姿…と思っていました。
その後、ウェイトレス、スチュワーデス、薬剤師を経て、結局…今のこれ。
ああ、急がないと日付が変わってしまう。あと10分。
今日は、日振協の主任研修のため品川。
ここ数年、私の十八番(おはこ)になりつつある第三者評価の話。
今日のタイトルは「日本語教育機関の質保証」。
久しぶりの品川駅。
改札を出て右に行くと港南口、東京入管がある方の口ですが、
私にとっては、去年の3月まで2年半籍を置いた大学院がある、
夜と週末に通った懐かしいところ。
でも、今日行った会場は高輪口。
去年同様、研修は全面オンラインで受講生は自宅から。
協会事務局と運営委員の皆さんと、講師をする人は、
東京と大阪の会場に集まって、そこからの配信でした。
本日初日、私の次は入管庁で、次は文化庁、そして日振協。
画面越しの全国の日本語学校の受講生、主任教員の皆さんは、
集まって繋がることができないのがお気の毒でしたが、
心持ち次第で、どんな状況でも何か掴む人は掴む。…ですね。
明日の2日目もふぁいと!で。
ああ、タイムオーバー。
日付を少し戻して9月3日分でアップします。ふう、疲れた。
昨日の夕方からのセミナー、
それを主催した会社のスタッフの女性がとことこ、にこにこしながら
私のところにやってきて、「私の父はインターカルトの卒業生です」と。
38年前に当時の高円寺校、進学課程で学んだそうです。
18歳のときに台湾から来日、見せてくれた写真に写るお父さんは今55歳。
娘さんによく、母校インターカルトのことを語ってくださってるそうです。
そのセミナーに行く途中で受け取ったメッセージの主は5年前の卒業生。
大学に進学し、今は大学院に進んだ彼が書いたという自身のIdentityに
ついての長い文章が、メッセージに貼られたリンクの先にありました。
Identityについて、私自身はこの仕事を得て、様々な国の学生たちとの
時間を過ごさなかったら、もしかしたらこの年までほとんど何も考えずに
きたかもしれないとも思い、元日本語学校の学生だった彼の作品は、
それを深く強く考えるきっかけを作ってくれたと、素直に思いました。
書かれた日本語はほぼ完璧、もちろんそれも素晴らしいのだけれど、
そうではなく、「書く」という行為の真髄を見た思いで、打ちのめされた
ような思いに襲われました。
そして、卒業生たちは日本人も。
日本語教師養成講座で教えた学生たちが、どんどんどんどん私を追い抜いて、
あちこちで活躍しています。今日、外国人向けに行った国際交流協会での
講座が新聞の記事になっていた修了生Mさんについて、
「青は藍より出でて藍より青し」と言ったら、Mさんの養成講座の教え子が、
自分もいつかM先生の口からその言葉をいただけるように頑張ります!と。
彼にとって私は師匠の師匠だそうなので、つまり私はおばあちゃんらしい^^;
冒頭に書いた昨日のセミナーは、今、究極の状況にある日本語教育業界を、
マクロの視点、ミクロの視点から見て、分析して、
5年後に生き残っていられるためにはどうあらねばならないかということを
考えるというのが趣旨の会だったのですが、頭を整理する良い機会でした。
卒業生のことを書こうとして探した写真、創立40周年の時のボールペン。
過去40年の先には新たな40年、と口で言うのは容易いけれど、
創立80周年が無条件にやってくるわけではない。
しかししかし、いつもふっと現れては驚かせてくれる卒業生たちがいたら、
気づいたら80年なんてこともあるんじゃないかなとも思います。
創立80周年は2057年。人生100年だとしたら、36年後、私、います。