• 268月

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    土曜日。
    今日から文化庁委託の生活者初任研修スタート。
    6時前に起きてまもなく8時半に学校に到着予定です。
    いつもよりずっと早い。出張直後だというのに偉いな。
    (と、褒めないと眠気が覚めない。)

    写真は今年5月のです。
    今、隣の家は取り壊し済み、右端角の酒屋さんもまもなく。
    その、向かって右隣2軒の後方L字型に建っている学校には、
    黒いシートがかかり、今、壁面の修繕をしています。
    風景が変わりました。
    隣に新しい建物が建ったらまたもっと変わりますね。

    日本語教育を取り巻く色々も日々変わろうとしています。
    今年の6月に日本語教育機関認定法ができ、その省令案も
    先日出て、今、パブリックコメントの募集中です。
    現職の関係者も、これから携わろうとする人も、
    まず、自分事としてとらえることが大事だと思います。

    以下、ご参考に。

    日本語教育の適正かつ確実な実施を図るための日本語教育機関の
    認定等に関する法律施行規則案、認定日本語教育機関認定基準案
    及び告示案に関するパブリックコメント(意見公募手続)の実施について

    そして、2024年4月の試行に向けて、さらに進んだ詳細を話し合う
    ワーキンググループが今月末から開かれ、YouTubeでライブ配信。
    以下から視聴申し込みできます。
    2は日本語学校、3は日本語教師養成と現職日本語教師関係です。

    ●ワーキンググループ2
    「認定日本語教育機関の認定基準等の検討に関するWG」
     2023年8月29日(火)15時~17時 →傍聴申し込み

    ●ワーキンググループ3
    「登録実践研修機関及び登録日本語教員養成機関の登録に関するWG」
     2023年8月30日(水)10時~12時 →傍聴申し込み

  • 048月

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    私は、昭和62年(1987年)に、
    今はない国際教育専修学校日本語教師養成科、
    現在のインターカルト日本語教師養成講座に入学しました。
    インターカルトは昭和52年(1977年)創立なので、
    日本語学校としてのインターカルトと、翌年できた養成講座は
    すでにありましたが、学校法人の専修学校ができたのは、
    昭和60年(1985年)に文部省に置かれた「日本語教育施策の
    推進に関する調査研究会」が出した報告の翌年です。
    ※文化庁のこのページにそのあたりの流れが書いてあります。

    この報告書に初めて「標準的な教育内容」というものが示され、
    その内容に沿った、その後の資格につながる、いわゆる長期の
    日本語教師養成講座がインターカルトにもできました。
    私はそれから2年目の学生、1年に2期動いていたので、
    期で言うと4期生になります。今から36年前。

    令和元年(2019年)に日本語教育推進法が成立、
    今年、令和5年(2023年)6月に日本語教育機関認定法が成立、
    来年4月1日から施行されます。

    それに伴い、日本語教育小委員会(文化審議会)の下に、
    日本語教育機関と日本語教師養成機関のワーキンググループが
    できて、ものすごい勢いで政省令案について話し合われています。
    そして、その中の現職日本語教師にとっての重大事項、
    「登録日本語教員(国家資格)になるための経過措置」において
    とても重要なのが、自分がいつ養成講座で学んだか、です。

    日本語教師が学ぶべき内容は今まで何度か更新されています。
    まずは、私が学んだ昭和60年の①「標準的な教育内容」、
    次が、平成12年の②「日本語教員養成における教育内容」、
    そして、令和3年の③「必須の教育内容」が最新、50項目のです。

    この③→②→①の順に、学んだ内容が違う(=少ない)ので、
    移行措置の際、微妙に課せられるもの(試験や講習)に違いが
    でてくるかもしれない、というのが今の状況(未定)です。

    今日、久しぶりに学校に現れてくれた私の2期先輩、養成2期生の
    小林直人先生(平成5年(1993年)に奥さんのベッツィーさんと
    共に渡米して以来、ずっと日本語教師をしていた)のことを書く
    つもりが、前置きが長くなりました。

    写真の上2枚が今日撮った写真です。
    そして下の2枚は小林先生と私、それぞれの30数年前。…歴史。
    写真に写ってる人は全員、「必須の教育内容50」の前の前組です。
    (前置き以外が非常に短い・・・小林先生のことはまた改めて。)

  • 227月

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    水上温泉で泊まった部屋の窓下に川がありました。
    昨日と一昨日は、日本語学校の一泊旅行。コロナ禍を経て3年ぶり。
    大昔の進学課程のスキー旅行から数えたら、40余年続く旅行です。

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    ※私のスマホの中の写真を並べてみました。
     公式写真集は週明けに学校のFB等にあがると思います。完全版はそちらで。

    ここ20年の大人気、富士急ハイランドと石和温泉のセットは、
    御用達⁉︎の旅館がコロナ中に家族用の仕様に改装したため、
    団体で入り切るのが無理になり、担当スタッフと旅行会社の皆さんが、
    考えに考えて決めたのが、今回の東武動物公園と水上温泉のセットでした。
    バス9台連ねていざ出発。

    いやぁどうだろうと若干の不安ありでしたが、結果は大いにオーライ。
    上記予定にプラスαの企画地は地上の熱さを忘れさせてくれる涼やかさで、
    初日宴会と二日目車中での学生たちの「楽しかったー!」の声、信じます。

    学生たちとはもとより、普段話す機会の少ない非常勤の先生や専任の先生、
    スタッフの皆と、あちこちでちょこちょこと話せたこともまた、
    私にとっては心穏やかにさせてくれる二日間でした。
    時を経ても、自由の中に規律ある学生たちは変わらずでした。

    ※プラスαの一つの、お昼をかけての道の駅では、一人木陰に座って、
     今、審議中の認定日本語教育機関のワーキンググループの様子を
     視聴いたしましたよ^^ちゃんと。

    鴨長明が「方丈記」に、
    ゆく川の流れは絶えずして しかももとの水にあらず
    淀みに浮かぶうたかたは かつ消えかつ結びて
    久しくとどまりたるためしなし
    世の中にある人とすみかと またかくのごとし
    と。

    ※翌土曜日。
     頼まれ仕事をしに学校に。家ではおそらくだらんとして終わらないから。

  • 097月

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    しもしないで無理とは言わない。
    ・・・は私の主義だけれど、やっぱりこりゃあ無理だと思うこと。

    万葉仮名の書道。

    書道教員の免許を取ったときに受けた教職課程の実技の授業で、
    万葉仮名の真似ごとをして魅せられ、いつかこれをするぞと。
    いつかの想定は老後なのだけれど、暇があればできるものではない。

    知り合いに万葉仮名の達人がいて、書道展の度に知らせてくれます。
    その度に行って、見ては撃沈。無理。

    今日は午前中美容院、その後六本木の国立新美術館の書道展。
    その後高田馬場に移動して、夕方から戸塚地域センター。
    スマホの画面にぴろんと熱中症警報アラート。
    でも、日曜日に歩く歩く歩く。

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    高田馬場は、在日ミャンマー人コミュニティ、NPO法人PEACEの、
    来週から始まる日本語教室、その説明会とプレースメントテスト。
    インターカルトはそのサポーター、私はオブザーバーのような役割です。

    理事長のマリップさんはじめ、理事の皆さんは、
    正真正銘の、することをして無理の壁を乗り越えてきた皆さんです。
    その姿に学び学んでかれこれ10年近くになります。

    本日14,563歩。明日は普通に月曜日(*_*;

  • 017月

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    2023年、半分終わりました。
    そして、私たちが今の校舎がある台東区に移転してきてから15年たちました。
    写真は学校の隣の酒屋さんの店内です。以下、その酒屋さんに送った手紙。

    ・・・

    今日の日まで本当にお世話になりました。
    学校からのメッセージの色紙を準備していますが、
    それとは別にお礼を申し上げたいと思い、ここに記したいと思います。

    15年前の2008年の春に転居してきたときは、これからどのように
    この地に根ざすことができるだろうかという心配が大きくありました。
    それで、区役所や教育委員会を訪ねたりもしたのですが、
    なかなかぴたっとする感覚を持つことができなかった中で、
    新川屋さんがいつも私たちのそばに寄り添い、
    時に盾にもなっていただけたことに、
    私たちは心から感謝しながら今日までまいりました。
    本当にありがとうございました。

    そして何より、国を離れて日本にやって来ている学生たちにとって、
    新川屋さんのご夫妻は、お父さん、お母さんのような存在で、
    お店の中で、路上で、彼ら彼女らと温かい交流をしてくださったことは
    本当にありがたいことでした。

    写真は、私が地域における日本語教育に関する講座を委託されたときの
    資料の中に入れてきたものです。
    新川屋さんのレジカウンターに、いつの頃からか置かれた地球儀です。
    これに初めて気づいたとき、とても嬉しく思ったことを覚えています。

    私がどうしてこの写真を地域の日本語教育に携わる人たちに見せてきたか。
    それは、日本語を母語としない外国の人たちにとって重要なことは、
    日本語の学習だけでなく、日本人、日本社会との相互理解、つながりなのだ
    ということを言いたいためでした。
    この地球儀を見ながら自分の国の場所を指して自分の国のことを語り、
    やりとりすることがいかに有意義であるかということの象徴でした。
    この写真は、これからも私の話の中に登場していくことになると思います。
      :
    ・・・

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    酒屋さんはお店を畳んで、昨日、6月30日に引っ越して行かれました。
    インターカルトに来てくださった方の中には、学校の入り口の脇の、
    飲料水の自動販売機と並んであった、このお酒の!! 記憶にあるかも。

    でも、これももうありません。でもでも、思い出と縁は永遠。
    そして、時代は一つ一つ終わっていく。

  • 306月

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    6月2日に日本語教育機関認定法が成立しました。
    これは、私たちが国の中に位置付けられたということです。
    文部科学省という教育を所管するところに身を置くことは、
    今までとは違う動きにくさもあるかもしれませんが、
    それ以上に、私たちにとって意義ある歴史的な大きな出来事、
    だと思っています。

    法律の成立に伴い、日本語学校と養成講座に係る様々な細則を
    検討するためのワーキンググループが動き始めました。
    私も、登録実践研修機関と登録日本語教員養成機関のグループで、
    多くの大学の先生たちに混じって議論に加わっているのですが、
    私たち420時間の養成講座の文脈では一瞬理解できないような
    筋立てや書き振りに遭遇しては、ふうっ…と。
    これは日本語学校の議論も同様で、そもそも語学学校とは、
    というところでの理解を含め、ふうっ、そうじゃなくて!と。

    もう何十年も言い続けてきたけれど、でもまだまだというのは、
    こちらがまだまだちゃんと伝えきれていないからとも考えて、
    これからも丁寧に、エビデンスも示しながら伝えていきます。

    写真左は、1977年にインターカルト日本語学校を創った、
    山内庸生氏のことを書いた本です。(1987年刊)
    右は、1989年にインターカルト日本語学校の母体が窮地に
    陥ったときに経営に参画してくださった今野康裕氏の本です。
    (1993年刊)

    この間、その今野さんがふらっと現れたことがきっかけで、
    この2冊を並べるに至ったのですが、改めて読んでみたところ…。

    1987年の「はじめに」
    国際間の理解は口でいうほど簡単なものではない。
    いま、日本の新聞や雑誌には、国際化とか国際人とかいう言葉が
    しきりに使われているけれども、それは言葉だけが踊っているので
    あって、日本や日本人が国際的になっているわけでは決してない。

    1993年の「まえがき」
    日本語学校の経営に携わっていて痛切に感じさせられることがある。
    日本人の大半が日本語学校およびそこで勉学に励む外国人学生の
    存在を知らないということだ。

    あれから36年と、あれから30年の、今2023年。
    日本の国際化も、日本語学校の認知も、ほとんど変わっていない、
    ということなのだなと。
    でも、今度の法律が変えてくれる。じゃない。
    法律で変える。これから真のプレイヤーとなる私たちが。

    ・・・と思いながら、昭和の時代からインターカルトで36年、
    こんな立場になって23年の私、もうひと踏ん張り。

  • 125月

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    韓国、4年ぶりです。

    インターカルトのポスター、コロナを経て一新しました。
    ブース用の5枚セット、まずは韓国語版を持って行ってきます。

    今までなかった韓国入国前「検疫情報事前入力システム」の入力済み、
    プリントアウトしたバーコードがついた紙、ちゃんと持ってます。
    コロナかオンライン化かどっちかの理由での前との手続きの違い色々。

    韓国といえば30代の終わり、財閥企業をまわって仕事をしていたのが
    ついこの間のことのようです。が、もうはるか昔の話。
    そしてその後、学生の8割近くが韓国という時代もありました。

    こういうことの一つ一つが分厚くなった私の記憶のアルバムに。
    ということで、新たなページ作りに、ですかね。。

  • 115月

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    連休明けてから毎日違うことに注力している感。
    今日はEDIX教育総合展、出展しているブースの担当です。
    昨日辻本、今日加藤、最終日は椿というラインナップ。
    会場にお越しの方は、どうぞお立ち寄りください。
    教材・教育コンテンツエリア、16-34です。

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    では、明日からは何に注力するのか。
    羽田から飛行機に乗って、海を超えて日本留学展♪
    久しぶりのアンニョンハセヨ〜です。
    タフだな。

  • 105月

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    学校にお客様を迎えたとき、
    本当にいい働き⁈をしてくれる学生たち、ほんとにほんとにありがたいです。

    大型連休明け初日の月曜日、
    立憲民主党の議員さんたちと文科省の皆さんがいらっしゃり、
    クラスに入って学生たちとグループワークなどもされました。

    その中でした学生たちとの交流の時間。
    登場してくれたのはタイ人とカナダ人の男子たちだったのですが、
    カナダの彼は、お父さんが日本人でお母さんがカナダ人、
    いずれ自分の子どもに日本語と日本文化を伝えたいので留学した、
    と話していたのが印象的でした。まさに「継承語としての日本語」、
    ここ数年、私たちが取り組んできた活動の好事例の彼でした。

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    今、衆議院文部科学委員会の生中継を視聴しながら打っています。
    先日来校された議員の先生たちが質問、日本語教育のことが話し合われています。
    機関、教師、留学生のことが熱くやり取りされていることに満足してはいけない
    けれど、しかし本当にこれ、私の日本語教育の歴史35年の中で初めてのこと。

  • 224月

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    この春から、ウィークリーコースの賑わいが戻ってきました。
    授業の中に、習ったことを使う練習をまず私たちとしてみるという
    のがあって、数人1チームの学生たちがオフィスにやってきます。

    昨日は、それを一緒にすることになっていた人たちの中の一人に、
    ちょうど電話がかかってきてしまい、急遽、私しますよ…に。

    CEFR:A2クラスの学生たちだったんですが、
    私のところに来たロサンゼルスとバンコクから来たという女子二人の
    いろんな質問の中の一つ、「仕事は楽しいですか?」に、
    即答で「楽しいですよ」と言ったら、二人同時にそっくり返って、
    「え〜〜〜!」と。

    え? 10代の彼女たちは、仕事は楽しいはずがないと思っているのか。
    と同時に、迷わず楽しいと答えた自分には、ちょっと安心^^

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