• 011月

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    「よき年」を「良き年」ではなく「佳き年」と書く理由は、
    「良い」は、比較対象があって、それに対してよいという印象で、
    「佳い」は、それそのものがよいという印象、というこだわりからです。
    No.1であることを最優先にするのではなく、only1でありたい、
    っていうのと似た気持ちかも。…ってお正月早々理屈っぽいか。

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    2021年の初日の出。朝7時ごろ。

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    西側に見える富士山。午後3時ごろ。
    両方とも、出かけずともうちのベランダから見えるのでありがたいです。
    通勤に片道1時間40分もかかって不便だけれど、こんな便利はあります。

    あけましておめでとうございます。
    丑年。だからといって、牛の歩みではなく、性分の猪突猛進で。
    でもまずは健康一番。2021年もご贔屓に。よろしくお願いいたします。

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    追記。午後7時です。

  • 1712月

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    福島の友達が送ってくれた自家製の干し柿と市販の干し芋。
    昔、子どもの頃、干し芋のことは乾燥芋と呼んでいて、
    色は濃い灰色で白い粉がふいていて、結構硬かったような。
    長く東京に住んでいるというだけで、都会人ではないため、
    私は、小洒落た洋物より、こういうのが好きです。

    ところで、この「小洒落た(こじゃれた)」の「小(こ)」。
    (以下、「大辞林」より)
    (A)意味を和らげたり、親愛感を加えたりして、主観的な感じ、
    印象を添える。どことなく…の感じだ。
    「━粋」「━憎らしい」「━ざっぱり」「━しゃく」
    (B)一人前ではない、大したものではないの意を表す。
    また、卑しめる意を表す。
    「━坊主」「━ざかしい」「━才」「━面」「━役人」

    「小洒落た」はどっちでしょうね。
    上に「小洒落た洋物」と書いた時の気持ちは?ですよね。
    親愛の気持ちを込めてだったら(A)…、でも、
    「わあ、素敵!小洒落てますねえ」とは言わないから、
    (B)ですよね。ちゃらちゃらした洋菓子なんてという。
    (少なくとも私の上の使い方においては)

    …って、こういうこと考えることが好きな人、welcome!!
    新しいコースのこと、まもなく皆様にお知らせします。

  • 1312月

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    あっという間の12月、いよいよトナカイの登場。
    イースターのウサギと並んでしまっている、うちの下駄箱です。
    イースターって、確か4月でしたよね。
    ウサギもトナカイも、ヒューストンのTomokoさんからの頂き物、
    とってもお気に入りで、思わず出しっ放し。…じゃないか。

    で、書いてしまってからナンですが、下駄箱って今も言いますか?
    下駄箱で検索したら、シューズボックスって出てきました。
    確かに下駄ではなく靴を入れてるけど、シューズボックスって
    とっても違和感、と思いながら、そういえば昇降口は?と。

    それも調べてみたら、なんだか若い人には通じないらしい。
    昇降口、校舎などの出入り口で、上履きと靴を履き替えるところと
    辞書にはあったけれど、今、もしかしたら履き替えないのかな。

    昔々、小学生のとき、学校の床をまず濡れ雑巾、次はから拭き、
    顔が映るくらいぴかぴかに磨きなさいと言われて、
    本当にそれくらい一生懸命、学校の掃除をしていました。
    今、掃除って誰がするの? 子どもがするとしても雑巾で??

    母校の柳原小学校、
    今は史跡足利学校として整備されたところにあった東小学校と
    統合されて、けやき小学校に。足利市は来年、市制100周年らしい。

  • 0912月

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    今日の健康診断、
    私のメニューに肺活量の検査はなかったのですが、
    その該当の人たちに、今のこのコロナの状況から云々、
    なのでキャンセルしていただくことできますか云々と、
    スタッフの人が一人一人に了承をとっていました。
    唾(つば)、飛び散りますもんね。

    言葉は生きている。
    新しい言葉がどんどん生まれる一方、消えていく言葉も。

    「口角泡を飛ばす」はどうなるのだろうかと。
    「こうかくあわをとばす」とは(念のため)、
    →口の左右の端から唾液の泡を飛ばさんばかりに口を動かして、
    激しく喋りまくったり、議論したりすることの形容。

    人の唾が顔にかかるの、ほんとに嫌なんですが、
    そんな場面がこの世の中からなくなってしまうとしたら、
    それは寂しい。

    ところで、
    この葉っぱが立派な大根は、学校に行く途中の八百屋さんの。
    大根の葉を炒めたのがものすごく好きなので、ほしいのだけれど、
    買って、1時間40分かけて家に持ち帰るっていうのはさすがに…、
    という、毎年、ほんとに残念な大根の葉っぱです。

  • 2911月

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    ゾウは大きいです。
    ネズミは小さいです。
    ・・・って言えますか?と聞かれたとき、
    ん?何聞かれてるの?って思いました。

    ゾウは大きい? でも、恐竜よりは小さい。おそらく。
    ネズミは小さい? でも、バッタより大きい。
    ・・・って、そういうことで、
    ただネズミの絵や写真を見せて、
    「ネズミは小さいです」と言って「小さい」を教えるの、
    それ違うでしょ、ということでした。

    なるほど!と、こういうことから始まった私の今。
    日本語教師は多文化共生社会の要、
    と最近はそんな主張をたくさんしているんですが、
    日本語教師の魅力はまず、言葉のおもしろさとの共生、
    と思っていると、一応ここで言っておこうかなと。

    Aウディさん、Bウさん、登場いただきすみません。

  • 129月

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    私が日本語の先生になりたいと思ったのは、
    国際交流をしたいとか、外国に行きたいとかではなく、
    純粋に日本語が好きだったからです。

    コロコロとゴロゴロ、転がってくるものの重さや大きさが違う。
    ハラハラは花びら、パラパラは小粒の雨、バラバラは小石とか?
    濁音になるとそれだけ強調の度合いが強くなるらしい、
    というようなこと、などなどに養成講座時代に気づかされ、
    本当にもう毎日が楽しくて嬉しかった。今は昔。

    ここのところ、「あづい」「いだい」「ゔー」で疲れ気味。
    炎天下でマスクして連発した「あづい」だけは、
    少し落ち着いたような今日の陽気でほっとしています。

    昨日は、日振協の文化庁事業「主任教員研修」の講座担当でした。
    会場の品川のお店で食べたサラダランチです、写真は。

  • 167月

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    go to where…?!?!
    私たちは一体どこに向かっているのか。

    コロナの感染が、再び拡大の様相を呈し始めている中、
    日常、と言っても元のではない、新たな日常を手に入れるべく、
    あっちこっちとの繋がりを取り戻し始めたスケジュール表は、
    元のそれのように隙間がほとんどなくなり、
    だから、一つ終えて考える間なく次への連続。これ良くない。

    He/She is my go-to person.
    彼/彼女は頼りになる人だ。
    go-toは、頼りになるとか、間違いないという意味。らしい。
    それぞれの立場のgo-to personで布陣を固められたら、
    ・・・それですね。
    とりあえず私は今日も、やる気満々の役回りで^^;

    世間のGoToキャンペーンは、
    それは、それぞれ自分の脳味噌で考えましょう。
    人の脳味噌に従って生きる、なんて、つまらないでしょ。
    でも、それが楽だとか、それしかない人も、いるのかな。。

  • 211月
    Categories: ことば Comments: 0

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    留学生の論文指導をしている方とやり取りしていて、
    突然、『言葉とは何か』(丸山圭三郎)という、
    去年買ったままの本があったなと思い出したので、
    今朝かばんに入れて行き、電車の中で第一章を読みました。

    アジアの学生と日本の学生たちが、それぞれの国の
    ポップスや民謡を翻訳し合ったという話がありました。
    その翻訳作業が困難を極めたという話です。
    大変だったのは文法などではなく、
    文化そのものの違いだったそうです。

    (引用)——
    たとえば、かぐや姫が歌ってヒットした「神田川」を
    マレー語に訳したマレーシアの留学生には、
    まず「風呂屋」という語が翻訳不能だったし、
    「同棲」は母国では恥ずべき行為。
    まして「洗い髪が芯まで冷え、小さな石鹸がカタカタ鳴る」
    まで待たされた女が、
    「あなたのやさしさが怖かった」などと言うその心情は、
    マレーシア人には到底理解できなかったと言っています。
    ——

    日本語を教えるということも、昨今の自動翻訳機も、
    冒頭の論文を書いている留学生も、
    問題や課題は、つまりこういうことかな、と思った、
    第一章でした。
    ことばと文化は切り離せない。でもイコールではない。

    写真は昨日、代々木のオリンピック記念青少年センターの
    窓から見えた、赤い夕日と遠くの富士山。
    ことばと文化です、今の興味とテーマは。

  • 191月

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    今日は日曜日なのに、11,448歩も歩き、頭も少し使いました。
    帰って来てから昼寝も2時間ほど。

    駅でドカンと目に入ってきた広告。「へんげ」。
    調べたら、今年、社名を変更したIT企業らしいです。

    「変化(へんげ)」とは、人や動物、あるいは神仏が、
    本来の姿を変えて現れること。
    七変化(しちへんげ)の「へんげ」ですね。
    ヤマトナデシコ七変化♬ の「へんげ」。(小泉今日子の…)

    変化(へんか)とは違う。
    この大きな広告を見上げて、変化(へんげ)の意味を再認識して、
    自分の変化(へんげ)願望も再認識した、本日日曜日。
    七とは言わない、とりあえず一変化でも。

  • 3012月

    他の国のことばではそのニュアンスを
    うまく表現できない「翻訳できないことば」たち。

    たとえば、
    IKTSUARPOK(イクトゥアルポク:イヌイット語)は、
    だれか来ているのではないかと期待して、
    何度も何度も外に出て見てみること。…だそうです。

    SAUDADE(サウダージ:ポルトガル語)は、
    心の中になんとなくずっと持ち続けている、
    存在しないものへの渇望や、
    または、愛し失った人やものへの郷愁。…だそうです。

    BOKETTO(ボケット:日本語)は、
    なにも特別なことを考えずに、
    ぼんやりと遠くを見ているときの気持ち。…ですね。

    などなどが、きれいな絵とともに。

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    どうして二冊あるかというと、
    これを私に貸してくださった人がいて、読んでみたら、
    返すのが惜しくなり、自分用に買ったからです。
    年が明けたらお返しします。と、この間連絡しました。

    今年はほんとに色々なことがありました。

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    以下、楽しい版。

    KARELU(カレル:トゥル語)
    肌についた、締めつけるもののあと。
    (靴下のゴムのあととか?)

    MURR-MA(ムルマ:ワギマン語)
    足だけを使って、水の中で何かを探すこと。
    (プールの中に落とした…なんだろ?)

    COTISUELTO(コティスエルト:カリブ・スペイン語)
    シャツの裾を絶対ズボンの中に入れようとしない男。

    良いお年を!

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