何を書こうかなと考えていたら、
今日、台湾と香港で行われた留学説明会の写真が来ました。
いよいよ動き出した感じですよね。ありがたいです。
でも、私はふわふわと浮つかずにいこうと思います。
地に足つける。考える前に飛び出さない=考えてから飛び出す。
が、なんであれ、早く、台湾、香港、行きたいです。
ACD@台湾 謝謝! Hello Japan@香港 多謝!
今日は、2021年度の授業最終日。
ディベートをしたクラスの先生の話を聞きました。
テーマは?と聞いたら、「ラインの既読機能、必要か不要か」。
なるほど、今の時代はそうくるのですね。隔世の感でした。
さらに、教室にいる学生とオンラインの学生をチーム分けして
ディベートをしたって、少し前まではあり得ないことでした。
私が日本語教師をしていた20年以上前は、
「住むのは田舎がいいか都会がいいか」はよく聞いたテーマ、
私が、好きでよくテーマにしていたのは「整形手術、賛成?反対?」
夏休みに一時帰国した(多くは隣国の)学生が戻ってきたら、
うっすら顔が、はっきりくっきり二重瞼の顔に変わっていた、
というようなことが普通によくあった時代です。
冒頭の先生はもう一つ、「日本語学校にテストは必要?」も。
賛成チーム、反対チームに分かれてのディベート終了後に、
「みんなの本当の気持ちは?」と聞いたところ、大半が必要と。
「でも、ただ必要じゃなくテストの質が重要って言われちゃって」
と、その先生。「そりゃ、大人ですもんね」と。
いや、大人じゃなくても。
写真の薔薇は、
コロナ禍の中、日本で勉強し続けてくれた卒業生のため、
続々と入国してくる、国でずっと待機してくれていた新入生のため。
卒業式は連休明けの火曜日22日。入学式は4月7日です。
「留学に価値はあるか」に賛成組の、ありがたいみんな…ですね。
2011年の東日本大震災直後の今日、
3月16日に学生がホワイトボードに残したメッセージ。
学生たちに国に帰ることを勧めたものの、
実際にみんなが日本を去って行くのを呆然と眺めていたときに、
これを見つけた先生から呼ばれて見たメッセージでした。
あれから11年後の今日、一番長い人は2020年4月から、
日本に来る日を待ちに待っていた学生たちが、
ようやく入国し始めました。
学生がいての学校。それが当たり前のことなのに、
ときどき、当たり前じゃなくなるのは本当に悲しいです。
でも、この写真のメッセージを書いて日本を去った彼とは、
嬉しいことに、その後何度か会う機会がありました。
悲しいことにも終わりがある。
そう思わなかったらやってられない。
文化庁の生活者初任日本語教師研修事業の東北ブロック、
メンバーの永島恭子さんが、
去年の東京オリンピックで務めた聖火ランナー。
その時のトーチとユニフォームを持参してくださったので、
(国際競技場で記念撮影をしていらしたとのこと…)
エンディングで、聖火/成果をつなぐことを宣言!しました。
その後、皆で着て、持って、ポーズをとって記念撮影。
伊東先生も!
皆がそれぞれ係となってした成果発表会。
ケッチさんも率先して演台を運んでくれたりしました。感謝感謝。
ケッチ係の二人も頑張りました(サインにそのことが書いてある^^)。
すべてを終えて家に帰ったら、なぜこんなに!?と思うほどの疲れと
眠気で、夕方まで爆睡。私は挨拶係、あとは遊軍だったのに。
半沢直樹の撮影で使われたという会場での昨日の会。
だだっ広い部屋をこんな風に使うっていうのも、コロナゆえ。
本当はここに集まるはずだった皆さんはzoom画面の向こうに、でした。
国内外、あっちこっちからの皆さま、本当にお疲れ様でございました。
公開シンポジウム、
「「生活者としての外国人」と共に生きる」が終わりました。
画面の向こうに120人余り、会場に40人位の人が集まりました。
(基調講演のケッチさん、ファシリテーターの仙田さん、
ゲストの西原先生・伊東先生、全国6ブロック、北海道・東北・
関東・東海・九州・沖縄のメンバー)
以下、私の冒頭の挨拶です。
会場の皆さん、画面の向こうの皆さん、こんにちは。
私たちは今、ぽかぽかと春の日差しが暖かい、
東京の多摩市にあるリンクフォレストという会場にいます。
これから、この1年間、文化庁の委託事業である、
生活者としての外国人に対する日本語教師初任研修の普及事業を
一緒にしてきた皆さんと共に、公開シンポジウムを始めます。
1年間ずっと一緒に活動してきたのに会うことができなかった
メンバーの中には、今日初めてつながった人たちもいます。
コロナ禍を経て、
私たちは、「つながることの大切さ」を知りました。
同時に、「つながることの難しさ」も知りました。
つながることができない理由は何でしょうか。
コロナのような環境による理由ももちろんあります。
けれど、大きな原因の一つは「壁」だと思っています。
壁にも色々ありますが、その多くは「見えない心の壁」なんじゃ
ないかというのが、今日の第一部のテーマです。
ここからは第一部の担当、総責任者の我らがケッチにつなぎます。
世界39カ国をまわり、そこでパフォーマンスをしてきたケッチが、
「見えない壁」について、話してくれます。
いつもは話をしないパントマイムのケッチが話します。
では、ケッチの登場です。よろしくお願いしまーす!
第二部のシンポジウムについてのご報告は改めていたします。
今、自分の口から出てくるのは感謝の気持ちだけ。
みなさんのおかげです。本当にありがとうございました。
福島サテライトでの日本語教師養成講座の実習担当、
佐藤先生と石橋先生が学校に。
特に、石橋先生は初インターカルトだったので、
皆への紹介と校内見学。その後、一緒にお昼を食べました。
福島サテライトの教室は、郡山の企業さんの中にあります。
そこの外国人社員さんの日本語の授業を担当していたご縁で
会議室を教室にしてくださいました。
その教室に、マッサージチェアがきたそうです。
「先生たちも疲れてるだろうから」と会長さんが??
技能実習生たちに日本語を学ぶ教室を作り、
インドネシアからの彼らのために、敷地内に唐辛子畑を
作ってくださった、私もよく知る会長さんです。
3月11日、今日は福島にとって重大な日。
二人の先生たちと一緒に、明日するシンポジウムの会場に
来ました。札幌からも名古屋からも那覇からも担当の皆さんが。
みんなで、みんなの明日を作っていけたらと思います。
2年と言っても、3度目の春です。2020年の4月は、
突然降ってきたコロナウイルス感染拡大という事態に、
「つながる」ことを目標に定めた1ヶ月でした。
国に帰らず日本にとどまってくれた在校生たち、
入学が決まっているのに日本に来られない新入生たち、
その彼らをZOOMでつないで、朝とお昼の毎日2回、
画面上で顔を合わせる「つながる時間」を1ヶ月しました。
私も毎回、話題を見つけて話しました。
当時はまだ画面共有なんていう機能を知らなかったので、
‘いらすとや’から取ったイラストをiPadに入れて、
それをパソコンのカメラに向けて映しながらの話。
飲み会をしないでください。
オンラインで飲み会をしてください。
みたいなことを、初級の学生たちには。
その2020年の4月から2年間、授業料を払って
オンラインで授業を受け続けてくれていた学生たち、
ただひたすら待ってくれていた学生たち、
彼らがいよいよ日本にやってきます。
とても印象的だったオランダとスウェーデンの男子たちが
早々にやってくると聞きました。
彼らに続いて、各国からも続々と!涙涙涙です。
おひな様、片づけられてもういないのですが、
赤い毛氈(もうせん)が敷かれた台はそのままに。
「使います」。・・・何に使うんでしょう。
きっと、やってくる新入生たちのための何かじゃないか。
涙涙涙。
8年前から、毎週日曜日の夕方(オンラインになってからは夜)
開講している、ミャンマーのコミュニティの皆さんの日本語教室、
今日は、2021年度の修了式と報告会でした。
一昨年までは西早稲田の早稲田奉仕園の講堂でされていたものが、
今年は授業同様にオンラインでの開催でした。
ずっと難民支援をされている、衆議院議員の中川正春先生、
この事業を委託する文化庁からは、日本語教育調査官の増田さん、
そしてインターカルトから、谷口さんと私が参加しました。
横山先生と内山先生と、インターカルトから五月女先生の3クラス。
この日本人の日本語の先生たちに、ミャンマー人のアシスタントの
方がついて、先生とミャンマー人学習者の皆さんのサポートをする
のが、このプログラムの大きな特徴です。
また、日本語が未習のまったくの入門レベルの学習者に対しては、
ミャンマー人の先生がミャンマー語で日本語を教えます。
学習者の皆さんは毎日仕事をし、日曜日の夜に2時間だけ日本語を
学ぶ、そういう学習環境における効率的な指導・支援の方法は…と、
この事業を主宰されてきたNPO法人PEACEの理事長、マリップさんが
試行錯誤された結果がこの形なのだと思います。
多様な学習者、多様な教師による多様な教え方。
マリップさんをはじめとする、ミャンマーのさまざまな民族代表の
理事の皆さん、そして事務局長として公私の別なく動かれている
宗田先生に心から敬意を表します。
「日本語の学習が人生を豊かにする」と信じてしています。
ミャンマーに、全世界に、一日も早く平和な日々がきますように。
上から二段目の真ん中にいる谷口さんの背景は、陽光桜という名の
桜だそうです。今日のお祝いのために撮って背景にしたのだと…。
陽光=平和の訪れ、と信じたいです。