昔は、肉がなかったら食事じゃないと思っていたのだけれど、
お呼ばれで、今日は金目鯛ですと言われて、まあと喜ぶ。
湯水吸い鼻つく痛みに耐えかねて夢から覚むる金目鯛の宵
タイでもうちでも湯船に浸かってもどこでもうたた寝。
ところで金目鯛、キンメダイ目キンメダイ科という、
鯛とは違う分類をされている深海魚・・・だそうですzzz
スリーエーネットワークの「Ja-Net」。
その巻頭寄稿、松岡和美先生の「日本手話ってどんな言語?」
の真ん中あたりに大きな文字で書かれているのがこれです。
「目で見ようと耳で聞こうと言語であることは変わらない」
先週の土曜日に今年度の最終回を迎えた、
「生活者としての外国人」に対する日本語教師初任研修。
今年度の受講生50人のうち4人が、聾者の日本語の先生でした。
一方的な講義ではなく、グループに分かれての活動もたくさんある、
完全オンラインでの研修に問題なく入っていただけるだろうかと、
運営委員の皆さんはとてもとても心配していました。
が、写真左上の「日本手話」と表示された手話通訳の方々、
各回の講座担当の講師の先生たち、4人の受講生、所属する機関、
他の受講生たち、運営委員たちが、
当たり前に進めてくださったおかげで無事終了。
2月25日(土)の午後、オンラインでの研修報告会があります。
よかったら覗いてみてください。改めてお知らせがあると思います。
手で話す人々描く物語言葉教ふる人が訳せり
『きらめく拍手の音』イギル・ボラ 著 矢澤浩子 訳
訳者の矢澤さんは、インターカルトの元先生、
誇るべき私の教え子、共に韓国のビジネスマン向け研修をした人。
腹立てて啖呵を切りて始まりしインドネシアと私の人生
久しぶりの新宿サザンテラス。
日振協が代々木にあった頃、よく通った道です。
今日は一日中外で仕事で、終わってからここ、
久しぶりの下川原さん。
33年前の1992年、インターカルトジャカルタ校での
単身赴任時代、そこにいたことがきっかけで、
たくさんの人たちとつながりました。
その方たちの今。
日本語教育の試験、技能実習生送り出し、劇団、
日系企業の幹部、漫画家、落語家、ドイツで社長、
司会者、フリーアナウンサー、声楽家、指揮者。
そして下川原さんは今、
インターカルトもお世話になっている社労士さん。
ひょんなことから腹を立て、それがきっかけで、
「私が行きます」と手を挙げて行ったインドネシア。
そこで「学校をする」とか「営業をする」経験を
しなかったら、そのまま日本語の先生だけしていたら、
今の自分はなかったと思います。
おまけ。帰国間際の私のクラス。
ブースには、インターカルトに入学手続きをしてくれた、
今年4月新入生たちも何人か来てくれました。
うち一人の、日本語まだまだこれからの女子は男の人と一緒に。
「お兄さんですか?」という私の問いに、
質問の意味はわかった、でも答えの日本語がわからないという様子。
目の前にいる通訳の人に聞いてもいいのに、じっと考え続け、
あ、閃いたぞ!という表情の後、隣に座っている男の人を指して、
「愛しています」と。
思わずのけぞって笑ってしまったけれど、素晴らしき答え。
夏目漱石の、I love you=月がきれいですね、的な、違うか。
・・・4月の来日を楽しみに待ってますね。
そしてこちらは、
二人が夫婦だということを、今日知ってびっくりした卒業生の二人。
フェアの主催者Jeducationのスタッフ、マイさんと、
インターカルトから東放学園の放送芸術科に進学したキュウさん。
おそらくは出会うことなき二人なりインターカルトを選ばざりせば
今日は、日本に向けての講座講師から始まりました。
去年の8月から始まった文科省の現職日本語教師初任者研修、
毎週土曜日、一緒に走り抜けた皆さん、お疲れ様でした!
と言って、zoomを切って、ホテルを飛び出し、BTSに乗って、
サイアムパラゴンへ。「PM2.5」という理由で乗車券が無料!
会場に着くと、東放学園さんとのコラボプログラム、
日本から配信の、動画作成のワークショップが始まっていました。
事前予約した皆さんが食い入るように視聴していてびっくり。
そして、我らのブースの今回のメンバー。
いつものトールさんと卒業生のナットさん、辻本さん、遊軍加藤。
前にお仕事をご一緒し、今はアサンプション大学にいらっしゃる、
上原先生と久しぶりに再会いたしました。
こうしてJeducationフェアの初日終了。参加校の懇親会。
見回してみれば、古株というか最長老というかで、乾杯の音頭^^;
2002年に始まったフェア、今年で23年め!継続は力なりですね。
で、プーパッポンカリーと、カオニャオマムアン。美味しすぎたー。
バンコクでも口々に我聞かれるは「認定申請もうされましたか」
という一日でした。
辻本さんとスーパーに寄ってふらふら見て、買い物して、
ホテルに戻ったら、恒例のソファでうたた寝をしての今です。
37年前の香港の卒業生たちにもらった「私」。
2016年に彼らの日本留学30周年記念同窓会が香港であり、
一緒に行った落合先生共々、この私たちを模した人形を。
あの頃、私はまだ20代、学生たちとほとんど年が変わらず、
カラオケに、飲みに、お花見に、ボーリングにと、
本当によく一緒に遊んでいました。
ニッポンに留学したから会えた人日本語教師となりて会えた人
この彼らが昨日香港で集まり、来年の6月に皆で日本に来て、
日本で留学40周年記念同窓会をすることを決めたそうです。
「2026年6月の先生達の都合は如何ですか。」
というメッセージが今日きました。
私は明日からタイ。これから日本に留学する人たちに会いに。
若い時にものすごく年上だと思っていた人っていませんか。
実は自分よりちょっとしか上ではなかった人。
それがまさに韓国のHEDの宋さん。
1990年、日本語教師2年目の初めての海外出張、行き先は韓国で、
中村壽子校長先生の後ろにくっついていたひよっこの私に、
韓国のこと、海外で学生募集をするということ、等々、
教えてくれたのが韓国事務所の宋さんでした。
今、インターカルトのウィークリーコースに団体で来ている、
韓国人高校生たちの送り元で、その引率での大阪、東京、札幌。
で、今日、会いましょうかと突然決まったのは昨日です。
数えてみたら35年も前になる、ひよっこ気分に戻っての
お寿司を食べながらのひと時は、なんとも心地のよいものでした。
ときどきは鎧を脱いで休みたいつっぱることに疲れたときは