卒業式でした。
私の十八番の蜂と蚤の話をした後、元気玉を投げました。
(ドラゴンボール、悟空の元気玉…のつもり。)
皆に向けて投げたけど、
実は学生たちからもらってるんだと思います。元気玉。
インターカルトで勉強してくれてほんとにありがとう。
うちの近くのセブンイレブンで買ったスイカ。
(お店の中に普通に八百屋さんみたいなコーナーがある。)
レジの、私よりずっと若いおばさんが「まあ、かわいい!」と。
働いてる人、売っているものを知らない。
この小ささをどう写そうかと、ペンを脇に置いたりバナナと並べたり。
最終、手で持って、切ってお皿に乗せてスプーンと一緒に。
この「ひとりじめ」という名のスイカ、初物七十五日、縁起がいい。
色はイマイチだったけれど、甘くてみずみずしくて美味しかったです。
ところで、昨日は日本語教師養成講座のプチ同窓会。
自己紹介の図。この方、公立学校の先生だそうです。
コロナスタートと同時に始めた通信コースの、東京校の皆さんと。
久しぶりの横と、期を超えて縦でも繋がった同窓たちとの情報交換。
共通の話題は、これから始まる登録日本語教員、日本語教員試験のことで、
わかっていることを一生懸命語ったのだけれど、話し言葉は右から左へ。
それで、コロナ以降の得意技、図表を見せながらの話を動画で撮って、
皆さんに共有することにしました。
もちろん、福島、山口、福岡、沖縄、マレーシア、タイサテライトの皆さんにも。
で、スイカと同窓会と動画が繋がります。
ややこしい説明を「ひとりじめ」して、一人で何回も何回も視聴できます。
コロナを経て、身につけた便利技。
これは本当に授業でも使ってほしいと、とてもとても思っています。
考えてみたら、一日の中で家族よりも長い時間一緒にいる職場の皆。
特に、ここのところ海外出張がガタッと減ったので、
学校にいる時間が長くなったこともあります。
今日、ホワイトデー。
学生や同僚男子からチョコレートやクッキーの詰め合わせをもらって、
どうぞどうぞと配ってくれる女子たち。
ああ、バレンタインデーにあげたんだと言ったら、あげてませんよー。
授業の一環で、ときどき学生たちが私たちにインタビューしに来ます。
この間、「何をしている時間が好きですか」と聞かれたので、
「仕事かなー」と答えたら「えー!」とのけぞられてしまいました。
まだ若いからか、国が違うからか、仕事は辛いのが当たり前、の模様。
明日もまたインタビューと言われています。
学ぶ人、働く人のおかげで楽しき日々。
しかし、
卒業式の服のために減量を決意したのに、いきなり甘いもの三昧の今日。
札幌から来た方からいただいたサイコロキャラメル。
それ持って行った学校で撮った写真からの連想で、人生ゲーム。
幼なじみの家にあって、それで遊ぶのが大好きでした。
人生ゲームの年表というのを見たら、私が遊んだのは初代モノ。
当時の、すごろく(⁉︎)のマス目に書いてあったのは、
牧場のあとつぎになる、ロールスロイスを買う、ヨットを買う、
等々、いかにもアメリカからの輸入版そのままの日本語訳、
当時の(今も)私の生活の節目には想定できないものばかり。
でも、すごくおもしろかった。
それに引き換え、最新版の人生ゲームでは、
離婚、子供を手離し、さらに慰謝料を払うとか、
年末調整で税金が戻ってきたとか、脱税が発覚、追徴金を払うとか、
そんな夢も希望もないので遊んでるらしい。今の子たち。
夢と希望に溢れていた高度成長期ど真ん中で育った私たちの世代。
だけれど、人生ゲームの上がり近くに至った今は、最新版が表す今。
ここ数日、ちょっと切ないこれからを話してくれる同世代の人が、
偶然にも何人かいて、今さらルーレットの回し直しもできない現実に、
うーむと唸ることしかできなくて。
サイコロキャラメルは、1927年に製造販売開始、2016年に生産終了。
したらしいのですが、「北海道サイコロキャラメル」として復活!
したのだそうです。
なんぞのとき復活するために何度でも振り直ししたいな、
ではなく、ただ物を捨てられないだけなのだけれど、
中身なしのサイコロのカラ箱二つ、とってあります^^
韓国棋院に移籍し、記者会見であはは!と明るく笑う、
囲碁の仲邑菫(なかむらすみれ)ちゃんや、
臆することなくびゅんびゅん宙を舞うスケートボードの
開心那(ひらきここな)ちゃんなんかを見ていると、
どこの人とかどこの国とか関係なく自由に自然に生きる
この子たちが中心の時代が早くくればいいなと必ず思います。
悲しいかな、未だに通っている耳鼻咽喉科。
その向かいの公園を走り回る保育園か幼稚園の子どもたち、
そして先生たち。この仕事、若くないとできないなと。
私の幼稚園の先生、百々(どど)先生を思い出しました。
あの年で大変だっただろうなと思ってから、ん??と。
母よりずっと上、でも祖母より下、そうしたら、
あの頃の先生は今の私よりはるかに若い45才くらい??
なんだかもう。
細菌による化膿で聞こえにくくなってるのだけれど、
このままほんとに耳が遠くなっちゃったらどうしよう。
片耳聞こえないって、聞こえる量が半分以下なんですよ。
よく聞こえないから、人と話すのが億劫になる。涙涙。
塗った軟膏にも聴力阻まれたまま、本日、いざ福島。
那覇。空港の滑走路を臨むレストランのテラスから。
日本語教師養成講座で連携している沖縄ICLCさんの行事参加と、
まもなく始まる登録日本語教員養成機関、実践研修機関申請の、
あれこれ相談のため、行って帰っての一泊弾丸ツアー。
南国特有の花咲く、ブラウス一枚の24℃から帰ってきました。
よそを見る。
言うまでもなくです。いいに決まっているし意味があります。
見てるな、聞いてるな、感じてるな、考えてるな・・・の同行、
椿(先生)と。このタイミング、ICLCさんに心から感謝です。
食事をしながら、
軍用機が轟音と共にひっきりなしに飛び立っていくのが見えました。
この環境が日常なのでした。弾丸ツアー、弾丸だなんて。
よそごとではないと思いながら、機体を見上げるだけしかの自分…。