• 149月
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    私が言っていることは勝者の論理だと言われたことがあります。
    もう20年以上前のこと、言った人はそれなりに親しい人だったので、
    言われたときは、は?何それ?みたいな反応をしたのだと思うのですが、
    実はその後、この言われたことを思い出す場面が何度もありました。
    勝者の論理。
    つまり、常に強気で、それで人を言い負かすというような?
    ひいては、弱い人の気持ちがわからないというような?

    同じクラスの中で、まずすぐに発言する◯◯人は高い評価をされる傾向にあり、
    一方、まずじっくり考える国民性の◯◯人は評価が低くなることがある。
    ついこの間、教職にある方から聞いた話です。

    多分、大方の人がそれはおかしいと言うのではないかと思うのですが、
    でも、実際の教室活動や社会生活の中では、おそらくそうなのです。
    薄っぺらい理論ではなく、ちゃんと理屈が通っている(それらしい)話で
    あれば、認められたり評価されたりしてしまうものなのだと思うのです。

    他人事のように言っているけれど、要領がよく語調が強い自分はまさにそれ、
    結果的に凄いとか偉いとか言われるのだけれど、実は全然そんなことない。
    それに気づいている自分は、実は嬉しいよりも辛い。でも強気は変わらない。

    年を重ねてさらに図々しくなったこととも相まって、
    迷惑とか、やだなとか思わせている方々が結構いるのだろうなと思っています。
    一人一人には言ってまわれないのでこの場を借りて。(どうしたらいいのか。)

    なぜ今唐突にこのことを、かと言うと、
    またしてもそんな失敗をしたなと思っていることがあるのと、
    昨日のスピーチ大会で、そんな自分を反省させるようなことを話してくれた
    学生がいて、それが今まだちらちら頭をよぎっているからです。

    写真は、この間のバンコク日本博にいた、勝者?ウルトラマン。