なんかついてるよと言われて、見たら糸くずが。
ああ、ちんからもん、と私。
でも、そんなこと言わないんだそうですね。
ちんからもん。小さなゴミみたいなもののこと。
調べてみたら、群馬弁とか上州弁とか。
私の故郷は、栃木弁ではなくこの言語圏です。
ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聞きにゆく
(石川啄木)
見たり聞いたり話したりするのも面倒くさいくらいに
忙しない(せわしない…と読む)。
毎年、当たり前にしていたお餅つきだけれど、
今年もできないままに、2022年1月、あと2日。
外国人は止まっているけれど、日本人は稼働中。
今日の土曜日、
日本語教師養成講座通信コースの教壇実習、
文化庁生活者事業の担当講師育成研修(北海道と福島)、
文化庁海外事業の模擬実習(マレーシア)と振り返り、
NPO法人PEACE主催のオンラインシンポジウム
「ともに創り学びあう日本語教室を目指して」→写真。
明日の日曜日は、かねてからお知らせしている、
「外国にルーツを持つ子どもたちの『未来につながる支援』
を考える」セミナー。380名を超える皆さんが集います。
と、オンラインでの仕事が当たり前になった今です。
今もう日にちをまたいでしまったのですが、
時計の針を戻して、1月27日。
今朝、これを書こうと決めたことを書きます。
タイトルの大友さんは、うちの隣の家の奥さん、
朝、エレベーターで一緒になりました。
以下、大友さんの語りの部分。
大友さんは、ずっと訪問介護の仕事をしています。
「あらぁ、久しぶりねぇ。」
「そうなのよぉ、まだ仕事、3軒してるのよぉ」
「90代のご夫婦2軒と、70代の独身男性の食事作り」
「私?もう84歳。高齢者が介護をしてるって有名なの」
以上。
必要とされるお年寄り。必要とされたいお年寄り。
後者については反面教師が少なからずいるのだけれど、
いつか自分もと思うと、引き際が大事だなと改めて。
写真は本文とまったく関係ない京王ライナーの乗車口。
コロナ以降、これのおかげで安心して通勤できています。
「ともに創り学びあう日本語教室を目指して」と題した
NPO法人PEACEのシンポジウムで、8年前からご一緒している
ミャンマーの皆さんのための日本語教室の紹介をいたします。
PEACEはミャンマーの少数民族を支援する団体として設立、
民族を超えて活動し、子どもたちに対して継承語としての
ミャンマー語教育をしっかりされているなど、様々な活動が、
私たちにとっての学びの場でもあります。
基調講演は、衆議院議員の中川正春先生です。
2022年1月29日(土)17:00〜18:15、
ここからYouTubeで見られるようです。皆さま、ぜひ。
そして今日は、都道府県と市区町村で「地域における日本語
教育」を担当する職員の皆さんを対象に文化庁が行った、
「生活者としての外国人」のための日本語教室空白地域解消
推進事業「日本語教室開設に向けた研究協議会」―空白地域に
おける課題を議論する―というタイトルの協議会に参加、
インターカルトが行なっている「生活者としての外国人に
対する日本語教師初任研修プログラム普及事業」の紹介をする
機会をいただきました。
(どっちもタイトル長いです…ね。)
私たちの普及事業で、北海道ブロックの大井先生と阿部先生が
中心にされているワークショップのテーマが、まさに「空白地域
に日本語教室を作ろう」で、その紹介もしました。
ミャンマーの少数民族も、日本語教室の空白地域も、どちらも
私は専門家ではないため、せめても紹介役をといった気持ちです。
そして何より、ともに創り学び合う。本当にそうです。
何度も書いている、今年マンションの理事。
昨日は大規模修繕工事中の屋上まで行って点検確認でした。
屋上だけでなく建物のあちこちに、短くちぎってペタペタ
貼られた緑のテープは、ペンキの小さな塗り残し、
作業員さんの靴のつま先型のうっすら残った跡などだそうで、
それらを最後、完璧にして納める。と、説明聞きました。
すごいな。
現場管理者、本社の工事責任者、支店の営業設計担当者、そして、
私たちのマンション担当者、この4人の男子たち、20代、30代、
いってて40代前半という人たちの元気と明るさとチームワークが
いいなと思っていて、雪やら何やらのために遅れているけれど、
2月に終わってしまうのは寂しいな…です。
普段のお付き合いはないけれど、和気藹々の理事チームも然り。
写真は日本ではありません。でも、これはこれでいいな、です。
こんな、ハンドルの遊びのような余裕を持ちながら、
完璧に運転していけたら、でしょうかねぇ。
黄昏(たそがれ)の語源は、「誰そ彼(たそかれ)」。
夕方の薄暗いときは人の姿が見分けにくく、誰?と尋ねることから。
今日もなんだぁかんだと忙しく、帰る途中の旧甲州街道手前。
甲州街道は五街道の一つです。
江戸時代、この道を旅人や馬や籠や飛脚が行き来していたかと思うと、
わくわくしますよね。…歴史に疎いからその程度^^;
黄昏(たそがれ)は、人生の盛りをすぎた年代のたとえでもあります。
書いてしまったけれど、もうこういうこと言うのやめようと思います。
年齢捨てます。今年は断捨離すると言った通り、物だけでなく、
自分のすることに優先順位をつけて、必要なことでも敢えて捨てる。
自分にとって本当に大事なことを見極めようと、試み中〜。