初四国は愛媛県、縁は日本語教師養成講座の修了生。
私が30代半ばのうら若き‘先生’だった頃の教え子、
まなみさんが副主任を務める日本語学校を訪ねました。
初めてお目にかかった理事長先生の一貫した溢れる思いが、
すうっと染み込む水のように
多忙を理由に乾かし切った我が脳みそのスポンジに染み渡り、
ああ、ここがまなみさんの活躍する場、来た甲斐あったなと。
大歓迎の眼差しで乗り出して私の挨拶に応えてくれた、
教室で学ぶ学生さんたちの様子にも、ああ来てよかったと。
新居浜市の歴史も初めて知りました。
(すみません、地理歴史に疎いままの我が人生ゆえ…)
以下、伺った話をうまく要約できないためWikipediaより。
江戸時代に開坑された別子銅山で繁栄の足がかりを築き、
その後非鉄金属・産業機械・化学工業など住友グループと
その協力企業群により発展を遂げた。瀬戸内有数の工業都市。
へえへえへえを100回くらい押したかった。
(古いですね、この感想^^; )
ところで、googleカレンダーで母と予定を共有しています。
それによると、本日、
「 13:00 – 15:30 慰問 太田 黒Tシャツ スパンコール」。
太田は群馬県(うちは栃木県、でも隣の市)の老人ホームに、
仲間と共にスパンコール付きの黒Tシャツを着て大正琴演奏の慰問
…の模様。聞くところによると、
慰問される側には母よりはるかに年下の人がいるのだとか。
そりゃあそうでしょう、母83歳。
明日は、32年前に亡くなった父との結婚記念日ですよねー。
訪ねた日本語学校の母体は社会福祉法人。
今、外国人人材に関わる様々な話題の中に在る私にとって
とても貴重な機会に。ありがとうございました!