• 114月

    今朝の日経新聞の一面に、
    「人口、2053年に1億人割れ」という大見出し。
    2053年といったら36年後、下手したら生きているではないですか。

    財務省のホームページに、こんな図解が。
    65才以上の高齢者1人を20〜64才の人が何人で支えるか。
    1965年は「胴上げ型」で、9.1人で支えていたそうです。それが、
    2012年、ほぼ今は「騎馬戦型」で、2.4人で支えている? そして、
    2050年になると「肩車型」、なんと1人を1.2人で!になるのだそうな。
    下手すると90を超えた私も、誰か1人に肩車されるということですね。

    高齢化社会と労働力不足、もちろん大きな関係があります。
    でも、労働力の労働って?…と少し考えてしまいます。
    自動化、IT化、そして今、AI(人工知能)。
    それらの出現によって消える人間の仕事がある。(と今日の記事にも。)
    今ある仕事の相当量が、10年後、20年後にはなくなるって言いますよね。

    もちろん、ゆえに生まれる仕事も。けれど「消える>生まれる」なのでは?
    そうすると、単純に今の労働量を基準に考えるのはどんなもんだろう?

    …とまあ、色々考えることがあるなあと思いながら、
    明日から始まる新学期の準備を見ていると、ほら、やっぱりと。

    IMG_4332

    今学期から、窓口で支払いするものの一連の操作をiPadに入れたアプリで。
    そしてそれが学校のシステムとネットでつながり、とにかく便利になるらしい。
    授業料はすでにF社グローバル決済代行サービスを導入済みでとても便利に。
    さらに、これ、何やら写真屋さんのようなカメラとコンピューター。
    三人で実験中でした。

    何であれ、便利になりました。便利とは、すなわち省力ですよね。

    COMPASSという会社の神野さんという人が、
    「60分授業のうち、子どもにとって意味のある時間は6分」
    と書いているのを読み、極論かもしれないけれど、そんなぁとは…。
    彼は、開発したタブレット教材で、1学期分の数学を32時間で終わらせ、
    残りの時間は未来の勉強に充てるとか。
    ティーチングはAI、心のケアやコーチングは教師…で事業展開しています。

    今の私の最大の関心事は、
    ITもしくはAIが効率性においてどれだけ(日本語)教育に貢献するのか。
    そこでの教師の限界は何なのか。
    それでも絶対に存在する、教師=人間だからこそできることは何なのか。

    IMG_4311

    昨日の入学式。20の国と地域から来た140名余りの新入生たち。
    つまり、生身の人間たち。
    話がぶっ飛びましたが、実は全部つながっています。

  • 114月

    日本語教師養成講座は、先週の金曜日が開講式。
    すでに、文法や音声といった日本語教師の肝となる授業が始まっています。

    IMG_4308

    世に言う老若男女うち揃った皆さん、
    養成講座の学生の間は、それに関係なく「卵先生」と呼ばれます。

    そして今日は日本語学校の入学式。20の国と地域から。
    この間新入生だった学生が通訳として活躍する姿は、
    いつものことながら、こちらが誇らしい気持ちになります。

    IMG_4306

    写真が正式にアップされていないので、とりあえず自分の写真を。

    余談ですが、このピンクの着物、23の時に作ってもらったものです。
    私がこの仕事をしていなかったら、すでに絶対にお蔵入り、
    つまり、この年齢の人間が着る色柄ではないと思うのです。
    でももし年相応のにしたら、学生たちは地味とか暗いとか思うのではないか。
    それで堂々と着ています。
    この仕事で得したと思う瞬間。縫ってくれた亡き祖母のことも思い出して…。

    入学式の後、外で食事をしながらの打ち合わせがあり、
    日が変わった0:33、中央線の中で書いています(~_~;)