言葉には、大人の言葉と子供の言葉があって、子供の頃、
「疲れた」は大人の言葉、「くたびれた」が子供の言葉だと思っていました。
小学校2年生くらいの時、遠足の日に友達の家に遊びに行ったら、
「疲れたから寝てる」と言われ、まずは遠足で疲れてしまうこと、
そして、小学生なのに「疲れた」と言ったことに驚いたなあと思い出しました。
齟齬(そご)とか、乖離(かいり)といった言葉は、完全に大人の言葉です。
どうして今日、こんなことを思い出したかと言うと、乖離。
弾丸出張から帰ってきて、我が気力と体力の乖離をひしひしと感じたから。
気力はまだまだ有り余るほどあるんですけどね。
これ、ベトナムのレストランにいた(あった)、鶏というかチキン。
こういう姿を見るといつも、彼/彼女の思いはどうだったんだろう、
齟齬というのか乖離というのかわからないけれど、
この姿、望んでいなかっただろうにな…と切なくなります。
そして、話は戻りますが、私は己の気力と体力の乖離に切なくなってます。