• 229月

    1987年、日本語教師養成講座の文法初日、
    「見れるとか、食べれるという言葉を使う人、手を挙げて」
    と文法担当のS先生が私たちに問いかけた時、
    (※見れるとか、食べれるではなく…という意味です)
    私は「なに!?」とあやうく声をあげそうに。
    曲がりなりにも日本語教師を目指す者が、
    ら抜き言葉など使うはずないだろ。
    しかし、何人かがぱらぱらと挙手するのを見て、
    ひっくり返りそうに。あり得ん。
    後に、S先生曰く「あの時の加藤さん、物凄く怖い顔していた」。

    「「ら抜き」初の多数派」という文化庁発の記事
    もちろん私も大人になって、というか、
    言葉は生きている、だから時代時代で変わってゆくものなのだ、
    ということが理解できるようになったのだけれど、
    でもね、やっぱり。

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    蓮の花托のプレート、ホテルの部屋のトイレのです。
    「蓮は泥より出でて泥に染まらず」なのだそうです。
    こういう正義感あるぞ!みたいな生き方、好きです。

    30年近くたっても、相変わらず憤慨したりお節介を焼いたり。
    今、ホーチミンの空港。クアラルンプールに向かう飛行機を待ってます。