日本語教師養成講座の授業をもって四半世紀。
この間に関わった1000人を超える人たちの
名前、顔、筆跡、いずれかでかなり覚えているつもりですが、
そんな中、個性的で異彩を放っていたがゆえに、
今でもピシッと印象に残っている人が、何人かいます。
Mr.たわらさんも、その一人。
ケニアを経て、今はエジプトで日本語の先生です。
学生が描いたというこんな絵を見ると、
ああ、いい先生してるんじゃないか〜と、
私はただひたすら誇らしい気持ちになってしまいます。
小学校5年か6年のとき、地元にウィーン少年合唱団が来たのですが、
壇上で彼らに一本ずつ花を渡すという役の一人になりました。
花は確かカーネーション。
それが事前に一本ずつ配られ、持って歩いていたら、
花が首から折れて、だらんとかろうじてくっついている状態に。
どうしよう(゚o゚;; と、とても焦ったと思います、もちろん。
余分はないと言われ、自らか誰かがか、花と茎をセロテープで貼り、
それをウィーンの少年の一人に渡したのを、
新宿駅に貼られたポスターを見て思い出しました。
こんな失敗を繰り返しながら大きくなったのだなと改めて。
もう十分に大きくなったのだから、人に寛容に、
己にもいちいち動揺せず、ででんといたいけれど…まだ小さい。
私は胆石です。
I am a TANSEKI.ではもちろんなく、正式には胆嚢結石「胆石症」。
年初に届いた健康診断の結果表をじっくり見る暇なく、
さっき改めて見てみたら、私の胆石、増えているらしい。
6〜10㎜多数、そして11〜15㎜…とだけあるけれど、確かこれは2個。
原因は何か。
ネット情報によると、コレステロール系結石、色素結石、その他
まれな結石に分類される由。頻度70%という統計から見ても、
個人的な予測からいっても、私の原因はもちろん最前者でしょう。
痛みも何もないので年に1回の要経過観察ですが、
前々回のマレーシアで胃のあたりに疝痛。
それを見た友人のsakiさんがくださった婚家に伝わるという秘薬、
ようやく心身共に余裕ありのこの週末に飲んでみようと、昨日から。
無味無臭、ただし真っ黒。次回の健康診断の結果を乞ご期待〜。
ちなみにこの秘薬の送り主は今、
南国からロシアに渡り、シベリア鉄道での旅…の真っ最中! (^。^)v
日本語教師になった28才とか、ジャカルタ駐在の32才とか、
今の立場になった41才とか、…私の区切りの年齢。
今まさにこれらの年齢という人たちを前に、またしても昔語り。
1聞かれて30くらいも自分の歴史を…ほんとにもう…です。
写真。
Finger Board / Magic Kitを使って授業をする田栗先生。
私が教師になった時には存在しなかったこういうツール。
これから、私なんかには想像もつかない歴史が積み重ねられ、
27,8の人たちにも、いつか昔語りをする日がくるのでしょうかね。
で、語っちゃあ、私何言ってんだかと、同じようになのかどうか。
★追記
写真に写っているテレビの台(元テレビ&ビデオの台)、
これはかつてのインターカルトの先生で、
その後アメリカに渡り日本語教師をしている小林直人先生の、
1980年代の手作り作品です。(この他にも各教室に今も配備。)
小林先生は息子さん3人をインターカルトに送ってくれて、
彼らはインターカルトで日本語を学びました。
ああ、これも歴史ですね〜。
羽田に着いたら大雨、肌寒い。
リムジンバスの車窓からは、道道にごく普通に満開の桜があるのが見え、
これを目当てに世界中から人が集まってくることの不思議を考えながら、
うとうとどかーんと眠りに陥りました。
卒業式の時学生が使っていたスマホにちょこんとくっつく魚眼レンズがほしくて、
行きの成田空港の売店で800円ちょっとで買ったのですが、
まあ、安かろう悪かろうの典型、
それもレンズではなくカメラにつける吸盤が完全にテキトーな代物で使えず。
無料の魚眼風アプリで加工した今日の写真は、一昨日のホーチミンです。
その前のクアラルンプールはもう遠き思い出の感、ですが、
百歩前進の今回の両国出張、皆様ありがとうございました。
タイトルを考えながら気づいた。魚眼と魚の目、全然違う…。