たとえば電話。
一人一台どころか一家に一台なかった時代に生まれた人は、
今のこの状況になるまでを経験しているのだからわかるはず、
なのに、何を恐れているのか。
わからない言葉、昔は辞書で調べなければ意味がわからなかった。
けれど、今は、歴史でも料理でも病気でもなんでもかんでも、
一人一台(以上)のスマホ一つで、一瞬にしてすべてがわかる。
それを当たり前にしている人が、なぜ手をこまねくのか。
そんな人は置いておいて、でもこれからの人たちは数年後には、
当たり前にAIを使っている、もっと進化するであろうChatGPT
のようなものを別のことのために道具として使っている。
今という今は、そんな未来に繋がっている今なのに。
その未来と今の繋ぎの役割を一番ちゃんとしなければならない
教育現場が、夏休みの宿題を生成AIに作らせるのは不正だから
禁止せよとかなんとか。(ニュースで言ってます。)
相手(AI)がそう来るなら、その先を行けばいいと思うのだけど。
作文書いて、先生が添削して、ってそういう今までの前提を
取り払って、じゃあどうするって考えるの、わくわくしません?
こういうことを考える過程で、意外にも、今まさにのCEFR、
私たちにとっての日本語教育の参照枠の考え方と交わる部分も
見えてきて、ますますわくわくしています。
今、一番一生懸命にしていること。
それは、この間成立した日本語教育機関認定法に係る色々で、
本当の本当に今一番重要な時なのだけれど、
それが一段落したら、上に書いたような新しい道を見つける、
おこがましいけれど道を作ることに一生懸命になれたらいいなと、
徒然なるままに。
以上、十日間のご無沙汰でした。
ちょっとあちこちした後にコロナにかかり、ぐずぐずしています。
非常に軽症のようなのでまもなく復活。
オンライン上ではすでに少々しゃがれた声で復活してるんですが。
※写真は2017年に行ったアメリカです。
オースティンであったEdTechのイベントにFingerBoadの
都築さんたちと。オースティン在住の卒業生ピーターさんと
息子くん、そしてヒューストンから来てくれた井上さんと。
→スマホの写真フォルダを「AI」で検索したら出てきた一枚。
写真右下の成田で買ったお土産の袋の「AIRPORT」の文字、
そこの頭2つの「AI」で拾ったのですね。ふーむ。