「加藤さん!」と声をかけた人は、
国分寺街道沿いの葉桜を眺めながら通り過ぎる私に、
おそらく「おいおい」と思った、行く先の美容院の人。
道を間違える、数字の桁が違う、すること忘れる等々、
なんだかずっこけてることがよくあって、恥ずかしいです。
道を歩いていると、あちこちに春の花々で嬉しいです。
歩いているときに、国に帰った昔の学生から、
日本で就職が決まったので間もなく行きますと連絡がきたのは、
さらに嬉しいニュースで、うきうきに拍車がかかります。
昨日の明るくない気持ちが尾を引いて、
彷徨(さまよ)ったり、脅しのメールがきたりという、
とんでもない夢を見て目覚めた今朝でした。
けれど、今日は久しぶりに午前も午後も外回り。
おそらく2年ぶりで、やっと戻った日常を実感しました。
朝、家を出てエレベーターに乗ったら、途中の階から
乗ってきたよその旦那さんが市の大きなピンクのゴミ袋を
片手に、スマホを見ながら乗ってきました。
一緒に一階で降りて、その人が先に外に。
私は立ち止まって毎朝晩の母への電話をするべく、
スマホを見ていたら、先に歩き出していたその男性が
こちらに向かって戻ってきました。ん???と見たら、
手に大きなピンクのゴミ袋。スマホに気を取られて、
ゴミ持ったまま駅に向かって行っちゃったんですね。
笑笑笑笑笑!でも私は、気を遣って気づかないふり^^
そんなこんなで今夜は楽しい夢を見られそうです。
4月1日から、成人年齢が20歳から18歳に引き下げられました。
「自分は大人だと思うか」
日本財団が、6か国の18歳前後の若者たちにした調査の結果が、
ニュースになっています。
「自分は大人だと思う」と答えた人の割合。
イギリス86%、アメリカ86%、インド84%、中国71%、韓国47%、
日本は27%、だったそうです。
私が18歳だったとき、つまり大学に入ったばかりのとき、
私と同じ年の人が言ったことに対して、年上の人が、
「いい大人が何言ってんの」と言ったのを聞いて、私は、
「え!? 私も大人なの??」と本当にびっくりしたのでした。
自分を子どもだとも思っていなかったと思うけれど、
大人だとは、全然思っていませんでした。
その後、自分を特別に大人だと認識したことがあったかどうかは
はっきり覚えていないけれど、最近の自分ときたら、
大人を飛ばして、自ら進んで自分の老いを話題にし、吹聴し、
何かあるとそのせいにしている…かも。
※お医者さんが、加齢だの年相応のだのと言うことも原因だと思う。
もう年のことは言うまい。年を理由にブレーキはかけるまい。
「NHK NEWS WEB」にニュースの全文があります。
日本の若者は、「自分の将来が楽しみだ」とか「多少のリスクを
伴っても新しいことにたくさん挑戦したい」といった質問でも、
6か国中、YESと答えた人が最も少なかったそうです。
これ心配。少年も少女も大人も皆、大志でも夢でも何でも抱け!
目は複眼、耳は聖徳太子、口は機関銃が、自慢ではないけれど、
自負しているところではあります。
迷惑かけてる皆さまには申し訳ないですが。
様々な事業を組織を超えたチームで協業する楽しさを
日々感じながらきたここ数年、それが今年もまたいくつか。
始まってしまえば、ゴールのさらに向こう目指して
突っ走るだけなのだけれど、よーいドンの前は、
その整理がつかなくて、ええい!もうどうにでもなれ!
という気分になったり、ならなかったり。
頭が混乱しているから、スケジュールも滅茶苦茶になって、
今日は、明日の2時からのオンライン会議の画面の前で、
しばらく始まるのを待っていました。
その上がりの学校近くの商店街にあるカレー屋さん。
レバニラ炒めの中華屋さんと一瞬迷ってカレーにしました。
愚痴りたくないけど、ふう。
頭冷やして一人で食べるカレー、美味しです。
口惜しいは、残念とか、くやしいとかいう意味です。
『枕草子』では、
準備を整えて待っていたことが、いきなり中止になってしまうこと、
遣いまで出したのに、招いた人が来ないこと等々、いと口惜し。
私版では、
とうもろこしが物凄く好きなんですが、それを焼きながら
喋っていたら黒こげになってしまったのはとても残念。
注文したサラダに、全体を覆うように薄切りのきゅうりが
かぶさって出てきたのは残念すぎ。
(一昨日書いたように私はきゅうりが苦手なので。)
いと口惜しのこと、あまたあるけれど、
それを上回る、嬉しきこと、楽しきこともあまたあるので、
行って帰ってで、まあ、よしとしましょうですね。
写真は、私のフォルダ検索したら出てきた、
世界あちこちで食べたとうもろこし。
食べ物の中で、きゅうりが唯一苦手です。
そのきゅうりが今よりずっと青臭かった高校時代、
鼻で臭いを感じないように、口だけで息をしながら、
きゅうりの薄切りの練習をしました。
普通科と家政科がある女子校の普通科だったんですが、
家庭科検定?を受けるのは普通科の生徒も必須でした。
どうしてこの話題を思いついたかというと、今朝の日経、
「4月1日 高校で新指導要領が始動」という記事を読んで。
IT・投資、実学的学びが拡充されるそうです。
ITは知っていたけど、投資も?? いいな今の高校生。
自分の10代のころは、中学から男女別々の科目ができて、
男子は柔道、木工、女子はダンス、調理実習、といった具合。
柔道やりたい、木工やりたいと、先生に言いに行ったけれど、
認められず。そんなことを単独でしてたのでしたよ。
思い出すと、良妻賢母育成を目指していたのかなと思うような
高校(地方なので選択肢が少ない)での家庭科検定でした。
が、そんな中、倫理社会の課題で書かされた!?作文、
「主婦について」だったか、そんな内容に対する自分の意見。
考えに考えて、主婦は報酬はないけれど立派な仕事、みたいな
ことを書いた私の文に、課題を出した女性の先生は、赤ペンで、
経済的基盤のない自立はあり得ません。
それが今の自分に繋がっているのかどうかはわかりません。
が、事あるごとに思い出す、このO先生の文字です。
その女子校は今年の春、男子校と統合されて校名が変わります。
私の後、何年ごろまで、きゅうりを切る家庭科検定の受験が
必須だったのかは知りません。
写真は今。近未来の!?日本語教育を話し合う次世代の人たち。