6年前の今日の写真。場所はおそらく秋葉原。
お酒を飲みながら親交を深めるというのは、
別に、日本特有の文化ではないですよね。
異論がある人もいると思いますが、
私は、お酒にはその力があると思っています。
今日も親交を深めて、気づけば深夜。花金だから?
あ、花金(はなきん)て、今は使わない死語ですね。
Friday Night ♪は、アラベスク。
Saturday Night Fever ♪は、ジョントラボルタ。
今聞いたらものすごく懐かしい。
6年前の今日の写真。場所はおそらく秋葉原。
お酒を飲みながら親交を深めるというのは、
別に、日本特有の文化ではないですよね。
異論がある人もいると思いますが、
私は、お酒にはその力があると思っています。
今日も親交を深めて、気づけば深夜。花金だから?
あ、花金(はなきん)て、今は使わない死語ですね。
Friday Night ♪は、アラベスク。
Saturday Night Fever ♪は、ジョントラボルタ。
今聞いたらものすごく懐かしい。
なんだか最近、愚痴っぽい気がして、ほんと嫌です。
そんなときに会った、一緒にいるだけでほっとする人。
成田から直行で来てくれました。
お互いの今と昔とこれからのことをあれこれ喋りながら、
赤い辛口のスパークリングワイン一本、そのほとんどを
その人が空けて、それじゃあまたと別れて帰ってきました。
自分は何をしたいのか。
日本の社会と、世界のためにしたいことがあります。
今すぐ何を?には、パッと明確に答えられないのだけれど、
でも、いつものようにここだという時に必ず閃くと思います。
余分なストレスなしに、閃いたことをし続けられたら、
予定通り、ぽっくりいく前の日まで、あくせく働きながら
生きていけるなと、ほっとする人と話しながら思いました。
第一線退いたならこの鎧シールを貼って火曜に出すべし
2014年に作った(詠んだ)短歌。
そして、2014年に台湾で撮った写真。
2014年から何が変わったのか、変わらないのか。
でも、そろそろ鎧を脱ぐ準備と思っていたのですよね。
2014年の今日、何してたのかと思って見たら、梅の話題。
そして翌日は、なんと往復10時間かけて日帰りで、
広島に出張、県庁にプレゼンに行った日。タフ。
これは、翌年2015年、
タフと無茶違いはよくはわからねどシャンプー台でこくんと眠る
今日は、マンションの、一年務めた理事としての最後の総会。
今期は大規模修繕工事があって、皆で屋上や各階の廊下を
点検したり、そのついでに管理会社や工事業者の人も一緒に
いろいろ喋ったりなんかして、楽しい一年でした(前向き^^)
基本的に、社交系のことは適材適所で私の仕事というのが
暗黙のルール、だから私が出席するのだけれど、
でも、理事としての名前は世帯主。
今期は監事で、総会で監査報告みたいな台詞も言ったのだけど、
私の名前はどこにも出てこないのですよねー。
前々回の、理事長をした時ももちろんそうでした。うーむ。
このマンション、共同名義なんですよー。
ちなみに、今日の総会の資料の、次期役員選任のところには、
「本マンションの組合員・同居する配偶者又は同居する一親等内
の親族」。そうか私は同居人、加藤さんちの奥さん。~_~;
さらに思い出しましたが、選挙の時に郵送される投票用紙の
宛名は「加藤●●様 他一名」ですよ。私は他一名。~_~;
「日本は時代遅れの「世帯主制度」をそろそろやめては?」
という記事をNewsweekが載せていました。
これはやっぱりおかしいですよね。
議員の半数を女性にとか、目標としてはもちろんいいけれど、
無理やりそうして解決する問題じゃない。
今朝、オーストラリアに住む友だちの明子さんがFBにこんなことを。
今、わがQueensland州のトップにいる女性たち。
州首相、州の総督、州の最高裁判所所長、
そして州の警察署長も女性です。
載せていた写真を拝借。素直にかっこいい。
でも、これが当たり前の社会は、もっとかっこいい。
一生懸命とか、頑張るとか、努力とか、
そんな言葉をわざわざ使うのはカッコ悪いと思うので、
あえて使わないようにしているんですが、
一生懸命生きている人は、実はカッコいいと思います。
学校の近くの商店街にある、ネパールのカレー屋さんの
壁に貼られた、一生懸命書かれたカタカナ。(写真)
カレーもナンも、一生懸命作っているから美味しくて、
お店を出るときの、独特のイントネーションで言う、
「ありがとうございましたぁ、ありがとうございました」
も、惰性っぽく聞こえるけれど、たぶん一生懸命。
私は基本、したいことを力強くしているだけなのだけれど、
それを一生懸命と言うのだったら、
一生懸命生きるのは本当に疲れます。特に最近は。
身体がコロナ仕様になってしまっているので、なおさら。
でも、あともうひと本気、ふた本気、一生懸命やらねば
ならぬのです。
父、
「うちの子が足が速いわけない」とか、
「歴史ができるはずがない」みたいなことを、
普通に言いました。
小学生の頃、学校に行きたくない朝、
「おなかが痛い気がする」みたいなことを言うと、
父は、「休んじゃえ」と言い、私はテレビの前に布団を
敷いてNHKの教育テレビを見て過ごしたりしていました。
いや、毎日休んでいたわけではないです。時々です。
高校卒業前には、
「進学でも就職でもいいから、一度は東京で暮らしなさい」、
「アルバイトと学生運動はしてはいけない」。
まさに昭和の父で、怖いなんてもんじゃないほど怖かった、
はずなのに、思い出して書き並べるとそうでもない不思議。
ついでに思い出したこと。
私の大学時代に流行っていた、オーバーオールで帰省したら
「作業員みたいな格好するな」(父)
小学生の時にミニスカートで祖母の家に行ったら、
「きれ(布)が買えないみたいじゃない」(祖母)
「お嫁に行くのが遅くなるから、短大に」(母)
この考えは、当時は割と当たり前だったかも。
あと一つ。
就職した私に「職場の花になりなさい」(祖母)(-。-;
以上。芋づる式に思い出したこと。
父と祖母はすでに他界。母は非常に元気に暮らしています。