前にも書いた気がするのですが、
実家の仏壇にある父の写真が、何年か前から、
長女の私も記憶にない、ものすごく若い頃のに変わりました。
違和感ありですが、母にとっての父はこれなのでしょう。
というわけで、足利に来ました。北関東の一軒家、寒い。
猫の額ほどもない府中の狭いベランダで野菜作りをするために、
足利のホームセンターで苗を買いました。目指せファーマー。
「春バテ」という言葉、さっきNHKニュースで初めて知りました。
一日の寒暖差が激しいことによるバテだそうです。
夏バテはもちろん知っている。
じゃあ、秋バテ、冬バテは?と思って検索したら、どちらもあり。
そしたらわざわざ季節を言わないでバテるだけでもいいんじゃないか。
そもそもバテるって?
—
ばてる(動タ下一)
動けなくなるほど疲れる。「暑さに—てた」
〔「果てる」の転か。もと、スポーツや競馬で用いられていた語。
昭和30年代以降、一般にも用いられるようになった〕【大辞林】
—
バテると私、それほど年が違わないことがわかりました。
写真は、パクチーともコリアンダーとも香菜とも言う葉っぱ。
この間、学校の近くの佐竹商店街の八百屋さんで売っていた、
立派な根っこつきのを買ってきて、葉っぱを食べて植えました。
せかせかした毎日だけど、こんな心の余裕もあるのですよねー。
帰りの電車。
勝手にシンドバッド♪が耳の奥のイヤホンから。
19のとき、
ビール瓶をマイク代わりにこれ歌っていた同級生。
カラオケなんてまだ全然なかったころ。
土鍋の蓋の穴を中指でふさいで日本酒ついで、
一気一気と私もそんなことしてたころ。
今日もたくさんのzoomと電話と打ち合わせとメールの返信。
だからもっと大きな視点で、私たちは何を目指すのか、
そこんとこちゃんと考えないとと、威勢よく言ってるけれど、
主体性はないの?と年かさの人に言われて、主体性って何?
って思ったのも、19のころ。
それ考えると、ずいぶん成長して偉そうなことをね。
そして今、港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ♪
あんた、あの娘のなんなのさ、のころが懐かしい。
まもなく府中。今日も一日お疲れ。
一時代を共に築いできた三人会の〆のデザート。
ところで、以前受けたインタビューの最後に、次世代の日本語教師たちにメッセージをと。
次の世代の人たちには、私たちの世代に追いつこうとか追い越そうとか思うのではなく、
一人一人がこれだという自分自身のフィールドを持ってほしい。
私たち先人の描いた地図の塗り残しをどうしようなんて、
そんなことに時間使ってないで、そんなもの気にしないで、
ちゃんと自分の地図を描いていってほしいです。だって、時代が違うんですから。
と答えたのが本になるらしいです。
他のインタビューを受けた先生たち、というか、先輩の先生たちと並んで出られるのは、
ちょっと、花道を飾ってる感満載…(^^;;
でも私はまだ〆きっていないので、あとちょっとしばらくはその辺うろうろ。かな。
「〆」は文字のひとつで、和製漢字。部首は丿部1画。
5月生まれということもあると思うのだけれど、
若葉がきらきら輝く新緑のこの季節が一番好きです。
学校の近くの下谷神社のお祭り、今年は平常通りに。
公園の脇にはお祭りの提灯と選挙のポスター。
久しぶりにいろいろが動き出してるなという風景。
居住地、府中の大國魂神社のくらやみ祭りも平常に。
家に帰ったら、ポストに府中市議会議員選挙の公報紙が
入っていたので、真面目に端から端まで全部読みました。
定員30人、立候補者35人。その35人のを全員分。
そしたら、35人のうち私より年上は、なんと、3人だけ。
(見た目で絶対年上と見誤った人、8人。がっくり。)
でもこれ私の持論で、聞いたことあるって人、
たくさんいると思うのですが、若い人でいいんです。
政治家、つまり、今を未来に繋げる人は、
10年後、20年後に現役で損得こうむる人じゃなかったら、
本気で将来考えられないですよね。
その時にいるかいないかわからないような人だったら、
別にどう転んだって自分には関係ないわけだから。
これ、社長も理事長も◯◯長とつく人、皆同じじゃないかと。
引き際、大事だと思います。それは自分で決めないと。
「乙女さび薫る若葉よ産湯の日」
私が生まれたときに、祖母が詠んだ俳句です。
世の中の誰もが自分より年上だったときですよねー。
朝イチで「病院」、その次の「美容院」までの時間を駅のPRONTで。
(病院は、帯状疱疹のワクチンとついでに採血。)
ところで、「びょういん」と「びよういん」、外国人の学生には難しい。
美容院では、昨日来たという外国人のお客さんが言った、
「カード、カード」と聞こえたのが、「カット」だったという話。
それで思い出した昔々、35年前の超入門クラスの学生が授業中に突然、
「先生、お金持ち!」「は?」「先生、カード」(クレジットカード?)
「いや、私、かとう」。
別のクラスでは、教室に行ったら教卓にバースデーケーキが。感激。
でも、ケーキの上のチョコレートの文字が「かど先生おめでとう」。
「いや、私はかとう」。
山口周さんが、Twitterに「日本脱出のススメ」というのを載せていて、
おもしろいなと思いながら読んで、もう一度読もうと見てみたら、
なんだかいろんな意見があったとかで、一旦引っ込められていました。
「何をするか」より「どこにいるか」が人生では大事というような話。
市場選択の視点での。日本語を教える、その周辺の仕事、とかも多分。
復活祭。今年は今日だそうです。
私にとっては今までまったく関係なく存在し続けてきたので、
今さらそのことを話題にするのも少々憚られる感じです。
5年前にヒューストンのともこさんが送ってくれた、
イースターのウサギ。いつ出したらいいかわからなくて、
久しぶりに登場。記念撮影。
こちらは、6年前にヒューストンで自分で買ったトナカイ。
右端にいるこれは、毎年、クリスマスに登場させてます。
ウサギにもトナカイにも名前はまだない。
子どもの時に可愛がっていたクマのぬいぐるみに、
クマちゃんと名づけた程度のセンスだから、まあ、なくても。
今日は天気がいいですね。
※追記 トナカイ、自分で買ったのではなく、買ってもらった
のだったかもと、ふと。記録なし、記憶曖昧。
インターカルトの今週の「Weekly FUN PLUS」は、
人気YouTuber「Ryuuu TVとお勉強!スペシャル」。
たとえば彼らの番組「學日文看日本」(日本語を学んで日本を見る)は、
チャンネル登録者数182万人!182万人て??
私が教室を覗いたとき、プログラムの参加者(=ファン)たちは、
ハイテンション、かつ真面目に人生について語り合っていました。
そして本日、2023年度4月生入学式。
ノリのよかった新入生たち、アメリカ、アルゼンチン、イギリス、
イタリア、インド、エジプト、オーストラリア、オランダ、カナダ、
サウジアラビア、シンガポール、スウェーデン、スペイン、タイ、
チリ、ドイツ、フィンランド、ブラジル、フランス、ペルー、
マレーシア、ロシア、台湾、中国、香港、日本。
夜は、養成同期のK先生と学校近くのおでん屋さん、大月に。
おでんもシメサバもアスパラガスのなんだかも、皆おいしかった。
ちなみに大月は私の旧姓ですが、このお店との関係は、なしです。
で、実は今、私の左手はこんな。
骨挫傷だそうです。2/8につまずいて左手ついたのが原因かと。
今頃こんなに。まいったまいったマイケルジャクソンです。
皆さんは、痛いと思ったら、放っておかないでぜひすぐ病院に。
まったく全然、読書家ではないので、
強い興味か、強い必要性か、勧めてくれてありがとう、
・・・そのいずれかの理由で購入した本だけが、
脈絡なく私のKindleライブラリーに並んでいます。
その中から最近の三選、結果的に漫画2冊、エッセイ1冊。
そのうち2冊は、作者のお父さん知ってます…でした。
以下、読んだ順に。
●『18=81(エイティーン エイティ)』
岩渕竜子(講談社)
お父さんの岩渕さんは、私が新卒で就職した職場の先輩。
竜子さん、まだ年寄りしたことないのに、どうしてこんなに
溌剌とおもしろかなしく描けるんだろう。。上手。
●『ポンコツ一家』
にしおかすみこ(講談社)
お父さんの西岡さんは、語学教育界で有名な出版社の方。
すごく可笑しいのにすごく哀しい。すごくいい話。
何かあったら、いや、何もなくてもまた読もうと思った。
●『スティーブズ』
漫画:うめ 原作:松永肇一(コルク)
お父さん、知りません。
世界を変えるには二つのことをしなければならない。
一つは、正しいことをする。誰もがいいと思うものを作る。
もう一つは、世界を正しくする。本気で世界を変える気持ちを持つ。
一夜明けて、京都第四弾は宗田先生と。
難民問題専門情報番組「難民ナウ!」の主宰者で、
ミャンマーコミュニティ、NPO法人PEACEの事務局長。
理事長のマリップさん、各民族代表の理事の皆さん、
そして宗田先生とは、10年前、PEACEが文化庁から
受託した日本語教室のお手伝いから始まったご縁です。
宗田先生と、海外での難民支援と国内での今のこと、
そして、PEACEでも日本語教育と並行して子どもたちに
行っているミャンマー語教育、ことばの継承のこと、
さらに、さて残りの人生どのように…みたいなことまで、
京野菜のお料理食べながら話したあっという間の時間。
これは昨年末の写真です。
PEACEの理事の各民族の皆さん、宗田先生も最前列に。
本当の本当にひょんなことからお手伝いすることになった
日本語教室で知り合った皆さんなのですが、
でも、この縁、偶然じゃなく必然だったのかも、と写真を
見ながら思ったりしています。
以上、京都で濃い週末を過ごし、東京に戻ってきました。