「不要不急の外出は避けて」と言われる中での、
海外への外出終了。
考えるべきことが日本で待っています。
バンコクのスワンナプーム国際空港で搭乗待ち。
滞在中お世話になった皆さま、ありがとうございました。
明日の朝(時差2時間なので日本はもう今日ですね)、
羽田着です。
タイなのに、カンボジアのお金を持ってきてしまいました。
出張先別に、残ったお金をバインダー式の透明のファイルに
入れているのですが、間違えた。。
文字が似ている。…と、外国人の私の目には見える。
「タイ語の文法は、日本語と比べたらずっとやさしいですよ」と、
昨日、ブースの手伝いをしてくれた卒業生のヤヤさんが。
「でもcharacter(文字)がね、難しいでしょ?」と。
しかし、ひらがなと、カタカナと、漢字、3つも文字がある日本語は
さらにハードルが高い。
…にもかかわらず、日本を目指して、
マスクして会場まできてくださった皆さん、ありがたいです。
会場にあったお習字をするコーナーで書いた「夢」→下の写真の右下。
留学は、夢をかなえる扉だと思う。
夜は、タイが初めて、3度目、18年ぶりという皆さんと。
昔々、私が初めてタイに来た時に、インターカルト養成同窓生の、
当時、バンコク在住だったmoriさんに連れて行ってもらった、
素敵なホテルで食事と夜景。
今日の日曜日、フェア2日目です。
未来につながる皆さんと出会えますように。
文字をはじめ、今のさまざまな問題、共に乗り越えましょ〜。
今日はバレンタインデーなのですよね。
だから何なのだ!…という日になって久しい。
「ウイルス防衛隊」という勇ましい名前の消毒スプレー、
羽田空港の売店で、お一人様一本限りで売っていたので
買いました。
日本人のマスク姿は見慣れているけれど、
羽田でもバンコクでも、あまたの外国顔の方たちのその姿、
その違和感が、全世界的危機感の象徴。
観光客の大群がそぞろ歩く姿が見えないのも違和感。
世界経済の大危機じゃないか。
日本語教育の世界は、公認日本語教師。
いよいよ日本語教師が国家資格に向けて動き出した。
いくつかの懸案事項を残しながらも、まずは大きな一歩。
しかし、
資格→価値の認知→やりがい→、でその先、→待遇⤴︎
それがついてこなかったら、自立を伴う資格でなかったら、
しょうがない。
労働にはそれに比例した対価があるべき、と言ったら、
「かとうさんに愛はないの?」と先輩先生に返された。
愛はあるに決まってる、でも、
愛だけではご飯は食べられません…とは言い返せなかった、
日本語教師3年生くらいの頃、30年前。
あの時と同じままで、次世代にバトンを渡してはいけない。
が、とりあえず睡眠補充しますね、バンコク第一夜zzz…
追加の記事→「日本語教師の「国家資格」大枠固まる」
你好!
昨日は、高雄と台中の二手に分かれて。
孫さんと青山先生が高雄組、
私は30年前の教え子の李さんと一緒に台中組。
李さんとは台中駅で落ち合いました。
それがまるで「はじめてのお使い」状態。というのは、
私、20年以上前から何十回も台湾に来ているにも関わらず、
皆さんに大事にしてもらっているおかげで、
初めての新幹線一人旅。皆々から、
子供に言うような説明や注意を受けて台中に向かいました。
そして今日は台北。朝、会場の壁面に映った私たち。
時代の流れを感じながらの、とっても忙しい一日でした。
明日授業がある青山先生は一足先に帰国するべく空港へ。
四人揃っての記念写真を撮り忘れたため、合成してみました。
私は、明日の超早朝の便で日本に帰ります。
お世話になった皆々様に謝謝!
台湾です。
朝から、貿易センタービルの中の会社でミーティング。
いつの間にか姿を消した駅の切符切りとか、牛乳配達の人とかと、
入れ替わりのようにして現れた、今の新しい職業の人たち。
たとえばAIだったり、新たな形のプロモーションだったり、××だったり。
そういう、過去の事例を持たない人の仕事を見て、面白いなあと思う。
「予想で動いてはいけない。きっちりとデータを見て、数字で決める」
と、今日会った人が言っていました。なるほど。_φ(・_・
午後、一日遅れで日本から青山先生がやってきました。
その後も色々な人と会って話して、新たな発見。
発見を発展につなげるためには、
思い立ったが吉日の猪突猛進ではダメ、と自分のアクセルを少し緩める。
ところでイノシシ、
この間の台風で河川敷が水没して、そこから出てきたらしい…です。
今日は朝から実家の母や同級生たち、亥年生まれの皆々が
この話題をしていました。LINEで。
過去の事例を持たないこういうことの対応は、本当に難しいですよね。
気をつけてね、と言っても気をつけようがないなと思うけれど、
気をつけてほしいです。イノシシにはどうか猛進しないでと。
韓国+台湾出張、帰国前夜は四川料理と紹興酒、
二次会は台湾人マイケル経営のSake Dinner Barで岩手のお酒。
写真右上、インターカルトの台湾事務所が引っ越した先の、
太平洋商務中心(Pacific Business Center)、この中の一室です。
前と同じ信義區、世界貿易センターのそば、台北101が見えます。
写真左上は、物持ちのいいLさんのiPadのアルバムにあった、
2001年の写真。孫さんと私の18年前、−18㎏の時代…じゃあないか。
私が現職に就いた直後、若かったのですよねー、ほんとにねえ。
某国で、インターカルトは教師上がりの女がトップになったから云々…
という噂が立っていると、わざわざ電話をかけてきた人の話を聞いて、
なにくそと思った2000年10月から、まもなく20年です。
今、学生の出身国50数ヶ国からと言いながら、
でも振り返ってみると、私にとって一番馴染み深い、力も注いだのが、
台湾と韓国だったなと改めて思います。
日本国内の事情が急激に変化して、すわ!外国人材と唐突に叫ばれる今、
その影響がもろに出ているのを体感した今回の出張。
現職20周年を前に、こりゃあもうひと頑張りしかないなと、
握りこぶしかざして、…今晩帰ります^^