1987年、日本語教師養成講座の文法初日、
「見れるとか、食べれるという言葉を使う人、手を挙げて」
と文法担当のS先生が私たちに問いかけた時、
(※見られるとか、食べられるではなく…という意味です)
私は「なに!?」とあやうく声をあげそうに。
曲がりなりにも日本語教師を目指す者が、
ら抜き言葉など使うはずないだろ。
しかし、何人かがぱらぱらと挙手するのを見て、
ひっくり返りそうに。あり得ん。
後に、S先生曰く「あの時の加藤さん、物凄く怖い顔していた」。
「「ら抜き」初の多数派」という文化庁発の記事。
もちろん私も大人になって、というか、
言葉は生きている、だから時代時代で変わってゆくものなのだ、
ということが理解できるようになったのだけれど、
でもね、やっぱり。
蓮の花托のプレート、ホテルの部屋のトイレのです。
「蓮は泥より出でて泥に染まらず」なのだそうです。
こういう正義感あるぞ!みたいな生き方、好きです。
30年近くたっても、相変わらず憤慨したりお節介を焼いたり。
今、ホーチミンの空港。クアラルンプールに向かう飛行機を待ってます。