• 1212月

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    水戸黄門が「朝日の立ち昇る様は領内随一」と言ったことから
    名付けられたという茨城県の日立に行きました。
    ガラス張りの駅舎。薄曇りの向こうに海がありました。

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    松浦校長先生が、私のことを師匠の師匠と呼んでくれる理由は、
    新人での着任校で教えを乞うたのが、今、ヒューストンで活躍の
    井上とも子さんで、その井上さんをインターカルトの養成講座で
    教えたというかなんというかなのが私、という縁からです。

    松浦先生自慢の学生たち、先生たち、事務の人たちががいる、
    日立さくら日本語学校は、まさに松浦先生。
    それぞれがそれぞれを大好きで、大事に思っているというのが、
    ふぁあっと伝わってきました。これ、すごく大事。

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    「いつでも夢を」の作曲家、吉田正さんの音楽記念館で、
    海を眺めながら、今までのこと、これからのことをあれやこれやと。
    星よりひそかに、雨よりやさしく〜♪
    往復3時間、滞在3時間半、特急ひたちに飛び乗ってのとんぼ返り。
    時間の濃さは時間の長さじゃないのですよ…。

  • 1012月

    去年、日本語教師養成講座/久留米サテライトで教育実習を受け、
    今、日本語教師として活躍しているお二人。
    タイのサテライト校、Jセンターの先生になった中野さんと、
    実習校の久留米ゼミナールに採用されて日本語を教える栁さん。

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    「これからの日本語教師の可能性と展望〜令和6年4月、国家資格〜」
    と題されたセミナーで、それぞれの“今”を話してくださいました。

    日本語の先生としてだけでなくタイ中に日本と日本語を広める活動
    長年続けた仕事の後の新たな人生での選択。そこからさらに描く夢。

    人生30年と、×2の人生の転機で日本語教師を選んだお二人の話は、
    私が、インターカルト日本語学校のスピーチ大会や、
    温泉での一泊旅行の大宴会場にずらっと並ぶ学生たちを見ながら
    毎年毎年抱く、この仕事をしてよかったと思うのと同じ気持ち。

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    これからの日本語教師はやりがいだけではダメ。日本語教師を、
    仕事ではなく職業に。と、タイの中野さん×2+αの私は、強く。
    そのために目指すのは、オンリーワンのレアな人材になること、
    そういう人材を育てること。令和6年から日本語教師が国家資格に。
    オンリーワンのレア度の高い日本語教師を養成していかなくちゃと。

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    12月とは思えない暖かさ、の日本列島。堂々の20℃超え。
    北半球のクリスマスには似合わない。
    法律施行後に行われる新たな日本語教員試験の施行試験が、
    12月10日、ここ福岡でも。

  • 0112月

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    日付けを見ると2015年7月4日なので、
    島崎先生も私も少し若かった時の応援メッセージ、
    ですが、なんであれJLPT、明後日ですね。

    ふぁいと!

  • 309月

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    昨日は、久しぶりにアジア学生文化協会(ABK)に行きました。
    現理事長の白石さんに「福田ドクトリン、見たっけ?」と促され、
    ???のまま行ったら、これがありました。
    石碑に白石さんと自分の姿を映して、畏れ多い記念撮影。

    福田ドクトリン。
    1977年8月に当時の福田赳夫内閣総理大臣が東南アジア歴訪の際に、
    フィリピン・マニラで表明した東南アジア外交3原則。
    一.日本は軍事大国とならず、世界の平和と繁栄に貢献すること
    二.心と心の触れ合う信頼関係を構築すること
    三.日本はASEANと対等なパートナーとしてASEAN諸国の平和と発展に
      寄与すること

    どうしてこれがABKにあるかということも含め、その他詳しいことは、
    ABK刊行の『アジアの友』のこちらにあります。

    2007年に、協会の創立50周年記念式典にお呼ばれしたとき、
    東南アジア中の国を代表する方たちが一堂に会しているのを見て、
    いやぁ、これは歴史の歴史が違うと思ったのでした。

    そんな畏れ多いところが、いつしかABKと呼ばれるようになった
    のですが(それまでは、アジ文(あじぶん)と皆さん呼んでました)、
    その後AKB48が世に出てきたとき、前理事長の今は亡き小木曽先生が、
    「うちの平均年齢は48よりもっと高いよ」と。
    ABKとAKB、いろいろが違って可笑しかったことも歴史になりました。

    白石さんとは、私が30そこそこの駆け出しの頃に、
    青山スクールの今は亡き中西郁夫校長先生に引っ張られて、
    一緒に共同研究のデータ整理と原稿書きをした仲なのだけれど、
    それも今は昔、

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    揃ってお粥のランチを食べました。そんな年頃に^^;

  • 099月

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    32から33にかけていた、
    インドネシアでの赴任を終えて帰ってくる時にもらった盾。
    家にしまってあったのをこの間見つけました。
    贈呈者のNUSYIRWAN氏はインターカルトインドネシア校が
    お願いしていた印刷屋さん(大統領でも大臣でも市長でもない)、
    私と事務のRimiさんは「printer」と呼んでいました。

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    あっちこっち飛んで歩いた3週間が明けて迎えた土曜日。
    9時半から、オンライン日本語クラス冒頭の会話練習パートに
    参加。勉強する皆さんはインドネシアと日本国内からで、
    インドネシア人の先生の下、JLPT/N3を目指す人たちです。

    先週から始まったクラス。
    インドネシアとの縁が切れてないことをまず喜んでます。

    9時半に出番終了。
    すぐにZOOMを切り替えて、文化庁の生活者初任研修に。
    第3回の今回は、京大の大木充先生との二本立てでの、
    CEFR、日本語教育の参照枠がテーマでした。

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    参照枠とこれからの日本語教育。
    日本語教育機関、日本語教師、そして日本語教師養成も。
    正直、まだ霧の中にいる感ありです。
    それを晴らしていく役割を背負っているのだと思うのですが…。
    どうだったでしょう。

    12時45分に今日の私のタスク終了。お昼を食べて、速攻昼寝。
    インドネシアで盾をもらった頃と同じだけの体力…ないです。

  • 308月

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    昨日から札幌です。いろいろしました。

    ポストコロナ時代の言語教育におけるオンライン授業と
    翻訳AI・生成AIへの対応に関する研究集会(北海道大学)。
    ・・・
    第3回登録実践研修機関及び登録日本語教員養成機関の
    登録手続きに関するワーキンググループ(ZOOM)。
    ・・・
    令和5年度文化庁普及事業「生活者としての外国人」に
    対する日本語教師【初任】研修北海道ブロックとのM。

    今回の来道/来札のきっかけを作ってくださった、
    CEFR/日本語教育の参照枠、AI時代の新たな教材開発で
    繋がっている/繋がろうとしている京都大学の大木充先生、
    そして文化庁の生活者や海外事業を共にしている/していた、
    北海道のドンの皆さんとの本当に充実した時間でした。

    北大での研究集会は、いやぁおもしろかった、だけでなく、
    私のモチベーションをぐうんと引き上げてくれました。
    ここのところ体力気力共に落ちたと自認…の私ですが、
    前代未聞という猛暑を乗り越えた北海道の爽やかな夜風に
    吹かれながら、単純にも復活を遂げそうな気配です。

    明日東京に帰ります。

  • 268月

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    土曜日。
    今日から文化庁委託の生活者初任研修スタート。
    6時前に起きてまもなく8時半に学校に到着予定です。
    いつもよりずっと早い。出張直後だというのに偉いな。
    (と、褒めないと眠気が覚めない。)

    写真は今年5月のです。
    今、隣の家は取り壊し済み、右端角の酒屋さんもまもなく。
    その、向かって右隣2軒の後方L字型に建っている学校には、
    黒いシートがかかり、今、壁面の修繕をしています。
    風景が変わりました。
    隣に新しい建物が建ったらまたもっと変わりますね。

    日本語教育を取り巻く色々も日々変わろうとしています。
    今年の6月に日本語教育機関認定法ができ、その省令案も
    先日出て、今、パブリックコメントの募集中です。
    現職の関係者も、これから携わろうとする人も、
    まず、自分事としてとらえることが大事だと思います。

    以下、ご参考に。

    日本語教育の適正かつ確実な実施を図るための日本語教育機関の
    認定等に関する法律施行規則案、認定日本語教育機関認定基準案
    及び告示案に関するパブリックコメント(意見公募手続)の実施について

    そして、2024年4月の試行に向けて、さらに進んだ詳細を話し合う
    ワーキンググループが今月末から開かれ、YouTubeでライブ配信。
    以下から視聴申し込みできます。
    2は日本語学校、3は日本語教師養成と現職日本語教師関係です。

    ●ワーキンググループ2
    「認定日本語教育機関の認定基準等の検討に関するWG」
     2023年8月29日(火)15時~17時 →傍聴申し込み

    ●ワーキンググループ3
    「登録実践研修機関及び登録日本語教員養成機関の登録に関するWG」
     2023年8月30日(水)10時~12時 →傍聴申し込み

  • 048月

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    私は、昭和62年(1987年)に、
    今はない国際教育専修学校日本語教師養成科、
    現在のインターカルト日本語教師養成講座に入学しました。
    インターカルトは昭和52年(1977年)創立なので、
    日本語学校としてのインターカルトと、翌年できた養成講座は
    すでにありましたが、学校法人の専修学校ができたのは、
    昭和60年(1985年)に文部省に置かれた「日本語教育施策の
    推進に関する調査研究会」が出した報告の翌年です。
    ※文化庁のこのページにそのあたりの流れが書いてあります。

    この報告書に初めて「標準的な教育内容」というものが示され、
    その内容に沿った、その後の資格につながる、いわゆる長期の
    日本語教師養成講座がインターカルトにもできました。
    私はそれから2年目の学生、1年に2期動いていたので、
    期で言うと4期生になります。今から36年前。

    令和元年(2019年)に日本語教育推進法が成立、
    今年、令和5年(2023年)6月に日本語教育機関認定法が成立、
    来年4月1日から施行されます。

    それに伴い、日本語教育小委員会(文化審議会)の下に、
    日本語教育機関と日本語教師養成機関のワーキンググループが
    できて、ものすごい勢いで政省令案について話し合われています。
    そして、その中の現職日本語教師にとっての重大事項、
    「登録日本語教員(国家資格)になるための経過措置」において
    とても重要なのが、自分がいつ養成講座で学んだか、です。

    日本語教師が学ぶべき内容は今まで何度か更新されています。
    まずは、私が学んだ昭和60年の①「標準的な教育内容」、
    次が、平成12年の②「日本語教員養成における教育内容」、
    そして、令和3年の③「必須の教育内容」が最新、50項目のです。

    この③→②→①の順に、学んだ内容が違う(=少ない)ので、
    移行措置の際、微妙に課せられるもの(試験や講習)に違いが
    でてくるかもしれない、というのが今の状況(未定)です。

    今日、久しぶりに学校に現れてくれた私の2期先輩、養成2期生の
    小林直人先生(平成5年(1993年)に奥さんのベッツィーさんと
    共に渡米して以来、ずっと日本語教師をしていた)のことを書く
    つもりが、前置きが長くなりました。

    写真の上2枚が今日撮った写真です。
    そして下の2枚は小林先生と私、それぞれの30数年前。…歴史。
    写真に写ってる人は全員、「必須の教育内容50」の前の前組です。
    (前置き以外が非常に短い・・・小林先生のことはまた改めて。)

  • 306月

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    6月2日に日本語教育機関認定法が成立しました。
    これは、私たちが国の中に位置付けられたということです。
    文部科学省という教育を所管するところに身を置くことは、
    今までとは違う動きにくさもあるかもしれませんが、
    それ以上に、私たちにとって意義ある歴史的な大きな出来事、
    だと思っています。

    法律の成立に伴い、日本語学校と養成講座に係る様々な細則を
    検討するためのワーキンググループが動き始めました。
    私も、登録実践研修機関と登録日本語教員養成機関のグループで、
    多くの大学の先生たちに混じって議論に加わっているのですが、
    私たち420時間の養成講座の文脈では一瞬理解できないような
    筋立てや書き振りに遭遇しては、ふうっ…と。
    これは日本語学校の議論も同様で、そもそも語学学校とは、
    というところでの理解を含め、ふうっ、そうじゃなくて!と。

    もう何十年も言い続けてきたけれど、でもまだまだというのは、
    こちらがまだまだちゃんと伝えきれていないからとも考えて、
    これからも丁寧に、エビデンスも示しながら伝えていきます。

    写真左は、1977年にインターカルト日本語学校を創った、
    山内庸生氏のことを書いた本です。(1987年刊)
    右は、1989年にインターカルト日本語学校の母体が窮地に
    陥ったときに経営に参画してくださった今野康裕氏の本です。
    (1993年刊)

    この間、その今野さんがふらっと現れたことがきっかけで、
    この2冊を並べるに至ったのですが、改めて読んでみたところ…。

    1987年の「はじめに」
    国際間の理解は口でいうほど簡単なものではない。
    いま、日本の新聞や雑誌には、国際化とか国際人とかいう言葉が
    しきりに使われているけれども、それは言葉だけが踊っているので
    あって、日本や日本人が国際的になっているわけでは決してない。

    1993年の「まえがき」
    日本語学校の経営に携わっていて痛切に感じさせられることがある。
    日本人の大半が日本語学校およびそこで勉学に励む外国人学生の
    存在を知らないということだ。

    あれから36年と、あれから30年の、今2023年。
    日本の国際化も、日本語学校の認知も、ほとんど変わっていない、
    ということなのだなと。
    でも、今度の法律が変えてくれる。じゃない。
    法律で変える。これから真のプレイヤーとなる私たちが。

    ・・・と思いながら、昭和の時代からインターカルトで36年、
    こんな立場になって23年の私、もうひと踏ん張り。

  • 046月

    昨日。
    午前中は、アメリカから帰国中のカルダー先生と目黒のさぽーと21。
    矢崎さんから‘難民’についてのことをたくさん教えていただきました。
    まだまだまだまだ知らないことが数多あるのだと…。

    そこから、カルダー先生を残して信濃町に移動。
    ヤクルト、楽天戦。(私はつきあいがとてもいい。)

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    ヤクルト、9-5で勝ちました。
    近年の統計!?を見ると、私が行った日は勝つという結果です。

    午前と午後、まったく色合いの違った昨日。今日はまた違う一日。
    週末も忙しい。