6月2日に日本語教育機関認定法が成立しました。
これは、私たちが国の中に位置付けられたということです。
文部科学省という教育を所管するところに身を置くことは、
今までとは違う動きにくさもあるかもしれませんが、
それ以上に、私たちにとって意義ある歴史的な大きな出来事、
だと思っています。
法律の成立に伴い、日本語学校と養成講座に係る様々な細則を
検討するためのワーキンググループが動き始めました。
私も、登録実践研修機関と登録日本語教員養成機関のグループで、
多くの大学の先生たちに混じって議論に加わっているのですが、
私たち420時間の養成講座の文脈では一瞬理解できないような
筋立てや書き振りに遭遇しては、ふうっ…と。
これは日本語学校の議論も同様で、そもそも語学学校とは、
というところでの理解を含め、ふうっ、そうじゃなくて!と。
もう何十年も言い続けてきたけれど、でもまだまだというのは、
こちらがまだまだちゃんと伝えきれていないからとも考えて、
これからも丁寧に、エビデンスも示しながら伝えていきます。
写真左は、1977年にインターカルト日本語学校を創った、
山内庸生氏のことを書いた本です。(1987年刊)
右は、1989年にインターカルト日本語学校の母体が窮地に
陥ったときに経営に参画してくださった今野康裕氏の本です。
(1993年刊)
この間、その今野さんがふらっと現れたことがきっかけで、
この2冊を並べるに至ったのですが、改めて読んでみたところ…。
1987年の「はじめに」
国際間の理解は口でいうほど簡単なものではない。
いま、日本の新聞や雑誌には、国際化とか国際人とかいう言葉が
しきりに使われているけれども、それは言葉だけが踊っているので
あって、日本や日本人が国際的になっているわけでは決してない。
1993年の「まえがき」
日本語学校の経営に携わっていて痛切に感じさせられることがある。
日本人の大半が日本語学校およびそこで勉学に励む外国人学生の
存在を知らないということだ。
あれから36年と、あれから30年の、今2023年。
日本の国際化も、日本語学校の認知も、ほとんど変わっていない、
ということなのだなと。
でも、今度の法律が変えてくれる。じゃない。
法律で変える。これから真のプレイヤーとなる私たちが。
・・・と思いながら、昭和の時代からインターカルトで36年、
こんな立場になって23年の私、もうひと踏ん張り。