外国人の学生でも養成講座の日本人の学生でも、
えこひいきではなく、関係や繋がりの強い弱い、深い浅いがあります。
私が関わった日本語教師養成講座での一番は、1999年の10月期生たち。
福島サテライトの佐藤さんや、FingerBoard開発者の都築さんたちの期、
今もFacebook等で繋がり、縁が続いている人が圧倒的に多い期です。
私が初級と中級両方の実習を担当していたのと、確か12人がインターカルトに
採用されて日本語学校の新人教師になり、その面倒をみたことが要因かと。
2,3年前に「あの時の先生(私)と同じ年になりました!」と、
私とちょうど20歳、年の違う女性たちに言われ、なんとも言えぬ感慨というか…。
今日は、その中の一人でインターカルトの先生もした渡邊さんに会いました。
博多駅の大きな時計の下で待ち合わせ。彼女とは20年ぶりだったかも。
インターカルトを辞めてドイツに行って、帰ってきて、そして、・・・。
私が知らない世界の、でも一貫性のある生きてきた道のり、素敵でした。
それなりの変化のある人生を歩んできたように思ってきた自分の人生だけれど、
もしかしたら同じ海の中を泳ぎ回っていただけかもと。いや、確かにそう。
教え子というのがおこがましいような人たちと会って話して、よく思うこと。
青は藍より出でて藍より青し。