• 076月

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    「初のタイトル防衛戦「棋聖戦」初戦勝利」の藤井聡太くん、
    前日に、シリーズを通しての戦略を聞かれて、
    「戦略においては、渡辺名人に一日の長があるかなと思っているので、
    こちらがしっかり考えて対応していければと思います」と。

    普通の18歳が「一日の長」なんて言葉を使う、使えるのだろうか。
    自分はどうだったか。今でこそ、その意味を知ってはいるものの、
    18の時はもとより、これまで日常会話で使ったことがあっただろうかと。

    偉大なり。

    「藤井棋聖は、木更津名物の「あさりカレー」。渡辺三冠は「カツ丼」。
    両者ともにドリンクは注文しなかった。」という報道が貧弱に見えます。
    まあ、何を食べたかが常に話題になっているから、いいんですが。

    で、言わずもがなですが、「一日の長」の読みは「いちじつのちょう」、
    「いちにちのちょう」ではありませんので、念のため。

    ※私のLINEのプロフィール写真。将棋がなかったのでチェスで代替。

  • 026月
    Categories: ことば Comments: 0

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    たとえば就業後の職場で、
    自分が帰ったらその人が一人になってしまうようなときに、
    その人に向かって「ねずみにひかれないようにね」って、
    ・・・言いませんか?
    「え?何それ?」って顔をされることが多いんですが。
    (実は今日の二人もそういう反応でした。)

    言葉って、意味や語源を教えてもらって覚えるのではなく、
    人が使っているのを聞いて、その場面や状況と一緒に覚える、
    そうやって身につけるっていうこと、とても多いと思います。

    知らないっていうのは、使う環境にいないっていうこと?
    それを知らない人が、それを使う環境を作るということはない、
    すると、それを知る人、使う人がいなくなる。
    そうやって言葉がなくなる。
    味わいのある言葉も消えていく。寂しい…ってだけの問題?
    言葉ってそういうもの?

    「ネズミにひかれそう」、大辞林には、
    家の中に一人きりでいて寂しいさまを言う。・・・とありますが、
    そこにあった物が神隠しにでもあったように、いつの間にか姿を
    消してしまうこと。もっと詳しく知りたい方は、こちら

    学校にいる私とzoomをしたことがある方は見覚えがあるかも。
    この写真のぬいぐるみの前に座って、私は仕事をしています。

  • 175月

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    困ったときの、◯年前の今日の写真。
    これ、2年前の今日、学校近くの台湾家庭料理「新竹」。
    誰かの歓迎会だったり、海外からのお客さん来日だったり、
    なんだかんだで、こんな食事会というか、飲み会というか、
    こんな会を、教職員皆に声をかけて、しょっちゅうしてました。
    座る席は毎回くじ引きで。これ良い習慣。

    ところで、のみニケーション、『大辞林』にも出てるんですね。
    「俗に、一緒に酒を飲むことで、親睦や交流を深めること。」
    Wikipediaにもあります。
    「飲みニケーションにおいては、居酒屋や居室等に集合し、
    酒を摂取しながらコミュニケーションを行う。酒に含まれる
    エタノールによって、参加者は酔い、脳が麻痺するため、
    抑止力が低下し、本音で話ができる等の変化が起こる」と。

    私は好きです。好きなのに、もう一年以上機会がないなんて。
    ・・・でも、あと少し。きっとあと少し。

  • 143月

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    クリスマスローズとヒマラヤユキノシタという名の花らしい。
    向かいの奥さんに、庭に咲いたのをいただいたと、
    実家の母から写真が送られてきました。

    今まだ自分の言葉として私の脳みそに格納されていない、
    たとえばワーケーションとかワークバランスとか、
    そういう言葉も、いろんな人が私との話の中に織り交ぜて
    くるので、その度に私は一旦立ち止まって、
    自分の中の日本語の意味と照らし合わせて話を続けます。

    この間の沖縄での数日がワーケーションで、
    私は、これあり!と思ったのですが、半リタイア後のスタイル
    なんでしょうかねえ、管理優先の日本では。
    それとまあ、対面が前提の私たちのような稼業では難しい。

    ワークバランスは、仕事とプライベートのバランスってこと?
    仕事が趣味と言われて大否定できない過去は過去でいいとして、
    私のこれからのこと、考えてしまいました。
    三つ子の魂なんとかだから、考えることに意味ない気はしつつ。

  • 093月

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    『きらめく拍手の音』手で話す人々とともに生きる
    イギル・ボラ 著 矢澤浩子 訳(リトルモア)

    訳者の矢澤さんから、
    「手話は言語であり、聾はひとつの文化であると教えてくれる本書は、
    二つの言語と二つの文化の間で生きる私の胸に響いたように、
    異文化・多文化、そして言語教育に携わる加藤先生にも何か伝わる
    のではと思い、お送りしました」という手紙と共に届いてから2ヶ月、
    読み始めた先週金曜日と今日とで読み終えました。

    矢澤さんが書いてくれた通りでした。
    今まで私が言ってきた異文化間理解だったり、多文化共生だったり、
    その中に当たり前に在ることなのに、意識の中に置いていなかった。
    本当にもう、今の今、それに気づかせてもらったという気持ちです。

    正確に言うと、気づいたのは先週の金曜日、沖縄に向かう飛行機の中。
    285ページ中まだ83ページまでしか読み終えていなかったのに、
    あ、これ、同じことだと、土曜日の文化庁の日本語教師初任研修で
    (トークショーのように)最終回の講座をする中で突然思い、
    衝動的に画面の向こうにいる受講生の皆さんにこの本の話をしました。

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    写真に印字された日付によると、1996年7月26日。
    当時委託されていたアメリカのある大学からの交換留学生クラスの
    学生たちとの小旅行。どこだったかな。
    緑の西田先生と、ピンクの私と、白の矢澤先生が矢澤さん。

    今、自分の時間が止まった、いえ、止めたからできた時間です。
    そこで本を読み、自分を振り返り、これからを考え…。
    こんな時間、そしてこの本、どうぞ皆様も。

  • 252月

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    今日の懐かしい写真は、2013年タイ。
    秋山さん(佐々木さん)と共に、から始まり、木戸さんを経て、
    坂本さん、…と続いた、留学フェアに着物で臨む、の時代。

    写真、後列右側の赤いはっぴの卒業生、ムックさんが、
    かつて雑誌のインタビューで話してくれた記事を偶然見つけました。

    —-
    ホームステイ先のホストママ(お母さん)に
    「うれしいわ」の “わ” はお嬢様言葉だと聞いたのに、
    ある日パパが「俺、寝るわ!」と言ったので
    “パパがお嬢様言葉⁉︎” とビックリしました!
    —-

    こんな、学生のビックリを集めるの、好きです。
    10代の頃から何度もインターカルトで勉強してくれたムックさん、
    ついこの間、日本で”お嫁さん”になったそうです(祝!)。

    卒業生が、結婚して、その子供がインターカルトに入学、
    ということ、今までに何度もありました。
    いろんな口コミがありますが、親が子に、自分の母校を勧めるって、
    それ、花丸もらった以上にうれしいことだと、その度に思います。

    (追記)
    故郷、足利の山火事、まだまだ延焼の途中。
    せめて大雨が降ってくれたら。

  • 112月

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    野村克也さんが旅立たれてから、今日で一年だそうです。
    野村さん、言葉をたくさん遺してらっしゃるんですね。
    私が、いいなと思った言葉。

    ・戦いは創造と修正の連続である。
    ・言い訳は進歩の敵。
    ・進歩とは変わること。変わることが進歩である。
    ・無駄な努力はするな。正しい努力をしろ。
    ・いいフォームだからストライクが入るのではない。
     ストライクが入ったからいいフォームなんだ。
    ・職業は野球選手だが、仕事は勝つことだ。
    ・組織の力量は、リーダーの力量以上にはなりえない。

    データ重視のID野球と言われた野村さん。
    勘と勢いで生きながらえている私も、遅ればせながら、
    でも、野村さんの歳まで20余年、データ重視に転向〜!
    と、思っただけでなれないのは重々承知で、新たな進歩。

    今日は、旧暦の大晦日。
    写真左下は、5年前に丑年の今年のために⁉︎撮りました。
    上は8年前の台湾での同窓会に参加の新旧教職員一行17名。
    ああ、もう8年になるんだ。この中にも丑年数名。
    で、右下は20年前。孫さんもWindyさんも私も若い。

    最後に、野村さんが好んで引用したという後藤新平の言葉。
    ・財を残すを下、仕事(事業)を残すを中、人を残すを上とす
    私のこれからは、最後の「人」に注力します。上ですね。
    中は、勘と勢い、時々データで自分用に。
    下は、これ無理だから考えない。

    でもね、何より大事なのは健康だって思います。
    攻めも大事だけど、自分の身体は最大限の守りでですよね。

  • 301月

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    願わくば、さりげなく生きていきたいと願っているのだけれど、
    さりげなくって、それは無理か。

    …と昨日書きましたが、こういう場面で私が「さりげなく」という
    言葉を使うようになったきっかけは、山口百恵です。
    「精一杯、さりげなく生きていきたいと思います」と言って、
    舞台にマイクを置いて引退した山口百恵。

    私は山口百恵の一つ下の学年です。※学校違います。
    山口百恵と桜田淳子と森昌子が中三トリオだったとき、中二でした。
    NHKでさっきまで放映していた引退コンサートは、
    間の1時間、zoomミーティングのため見られず。
    今思い出してもほんとに楽しかった中学時代の思い出に浸りながら、
    現実と行ったり来たりって、まさに自分そのもの。

    自分の引退はいつなのだろうと思います。
    そもそも引退って何を指すのか。人生最後の日が引退の日のようにも。
    まだまだしたいことがいっぱいありすぎて、
    でも自分は一人しかいなくて、時間も1日24時間しかないのに、
    どうしましょうね。優先順位つけられないから。

    写真は、季節外れですが曼珠沙華。山口百恵の歌では「まんじゅしゃか」。

  • 291月

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    昨日ここに「勘と勢いで生きながらえてきた私…」と書きましたが、
    「生きながらえる」の『大辞林』の例文がふるっていて、
    「生きながらえて老醜をさらす」。私、大丈夫か。

    5年ほど前に、内部の先生たちの勉強会「語りを聴く」というのに
    呼んでもらったときに、話しながら引用した我が拙歌、
    2015年前後に詠んだのを並べます。

    22歳、新卒で就職した職場時代
    ・百歩前いでてゴールで一等賞取ってようやく男と並ぶ
    ・課長いる?男はほかに誰かいる?その要件をなぜ吾に言わぬ

    日本語教師初期、インドネシア時代、ビジネス部門時代
    ・はしたない仕事の対価言うなかれ女の前に女はだかる
    ・呑み食いで仕事はせぬと電話切る打ちっぱなしも三度でやめる
    ・ニッポンの女は凄いとサムスンの男言いしをしかと受け取る

    そしてごく最近
    ・第一線退いたならこの鎧シールを貼って火曜に出すべし
    ・引き時と言いつつ我は澱のごと瓶底にあり時に漂う
    ・棺まで持ちゆくことの随分とたまれり春の還暦間近

    今もこれからも
    ・隔てなきたった一つの太陽を七十億の民が眺むる

    生きながらえて老醜をさらすことのないように、
    願わくば、さりげなく生きていきたいと願っているのだけれど、
    さりげなくって、それは無理か。

    写真は今朝の朝焼け、うちのベランダから。

  • 241月

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    「業態」という言葉について、
    今までかなり無造作に何も考えないで使ってきたなと、今朝、気づきました。

    「業態」とは「小売業や外食産業などの商業で使われる、顧客のセグメント・
    対象とする生活場面・その来店頻度などによる分類」とネット上にあります。
    「例えば小売業の業態には小売店・コンビニエンスストア・スーパーマーケット
    ・百貨店・セレクトショップ・ネットショップなど」がある。なるほど。

    小売業や外食産業でなくても、
    どのような戦術や戦略、営業方法でビジネスを展開するか、利益を上げるか…と
    考えることは、とても重要なことですよね。

    日本語学校における「業態」。
    いやいやそもそも、と教育をビジネスの線上で考えることに否定的な方もいる
    かと思いますが、教育もビジネスの視点を持たなかったら、自己満足に陥る危険、
    さらには、自分のしていることの淘汰に自ら進んで出るようなものだと思います。

    タイの長谷川さんのブログから、勝手にバトンを受け取って書いています。

    >「いかに我々は「業態」に対して試行錯誤してこなかったか」
    >「語学だけでなく、すべての勉強は、もっと美味しくなる必要がある」

    これらに大いに賛同しながら、敢えて異を唱えるなら、
    食べ物の目的は、腹を満たす
    ことばの目的は、身につける
    料理と語学、いや、食べ物とことば、目的はこれなのかなあと。

    ことばを身につけることはゴールではなく、ゴールはその先にある。
    次のステップに進む、願いや希望に近づく、人生を豊かにする。
    そう、それが美味しさで、そのために学び、我々はそれを提供する。

    そうか、その美味しさの分類が日本語学校の「業態」?? ん?

    すみません、夜も更けてまいりました。今夜はこの辺でお開きということで。
    明日は重要な会議に出席することになっています。
    公認日本語教師の資格と、日本語教育機関の類型化とその範囲を話し合う
    文化庁が主催する調査研究協力者会議。

    奇しくも、(いや、ふと思っただけですが)、
    この会議の二つ目の議題と、長谷川さんが提起したここでのこの話、
    とっても近いことなんじゃないかと。
    ああ、私の思考回路ではそれこそ同じ線上にあります、これとこれ。

    上の写真は2020年2月、コロナ渡航制限ギリギリのところで行ったバンコク。
    2020年最初で最後の出張、そして最後の海外での会食…です。

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    ついでに、インターカルト日本語学校の創立40周年記念大同窓会の動画
    ここに載せてほんとにお開きに。長谷川さんも出ています。
    この40年の積み重ねの過程で、私たちは私たちの業態を模索してきた、
    今目指そうとしている私たちの形、コロナを経たことでさらに明確になった、
    それが、ああ、そういうことかもしれないと、今思いました。