OECDからの報告でも、5人のパネリストの発言でも、
当たり前に「語学学校」「日本語教育」という言葉連発。
私たちは何ができているのか、どこの誰と何をすべきなのか、
・・・頭を巡らせながら。
ハイブリッド開催。会場に行って参加しました。
旧知の人々含め、多方面、多分野の方々で会場はいっぱい。
帰りの内幸町あたり。
本来の私にとって、とてもとても有意義な時間でした。
この間聞いた、元気な人の元気だったお母さんとのやり取りの話。
「「よしこさん(お母さんの名前)の人生どうだった?」って聞いたら、
「満点だね」って…。」亡くなる前の日の話だそうです。
世間が、高齢者とか、さらには前期だの後期だの、
勝手に決めて言っているけれど、余計なお世話だ。
今、人生100年、マルチステージの時代。
昨日から崔さんとソウルです。
今回の通訳さんは、16年前の高円寺校時代の卒業生、李さん。
私も、遊軍ながら一応働いてます。
実は今日、誕生日。
必ずしも気にいることばかりの毎日ではないけれど、
でも、私は私の「the 私」の生き方を貫いたら、きっと人生満点、
と思いながら目覚めたソウルでの誕生日の朝でした。
フェア初日終了後、お仲間に祝っていただきました。マッコリ飲み過ぎ…。
今、この新幹線に乗っています。新山口→東京。
私は、新幹線の速度は250キロだと思っているのですが、
それは幼い頃に開通した新幹線のことを歌った
童謡の歌詞の記憶から。
♪ ビュワーンビュワーン走る 青い光の超特急
♪ 時速250キロ 飛んでくようだな走る
今日の新山口や度々行く福島の郡山など、
通過する新幹線が多い駅のホームに立っていると、
目の前を通り過ぎる新幹線が、
まさに「飛んでくようだな」で、本気で怖いです。
調べたら、今の新幹線は最高時速320キロなのだとか。
技術の進化。速い。
が、一般のジェット旅客機の速度は900キロだそうだから、
まだ「飛んでく」とは言えない。
まあ、飛んだら新幹線ではなく飛行機だ。
ところで。
「⚪︎⚪︎語ができる」ってどういうこと?
日本語教師のこれからの役割を探る
山口県立大学の日本語教師養成課程の授業に
お招きいただいての、今回の出張でした。
車中、お疲れ様の缶ビールを飲みながら、
授業終了時に提出された、
27枚の「学習の記録」のコピーを読みました。
みんな、きれいな文字でびっしり書いてくれています。
はい、と手を挙げて発言や質問はしないけど
実はちゃんと理解して考えてる。
うちの外国人の学生たち、
社会経験を経た日本人の養成講座の受講生たちは、
まあよく喋る。その違いがおかしい。
今日の学生さんたちには、
臆せず、なんにでもチャレンジして、
ぶっ飛んで行ってほしいなと思います。
速度はまあ何キロでも。本気を出せば何でもできる。
日本語教育を学んだ大学生が、
日本語教師を「職業」として選ぶ時代になることを、
心から願っています。
法律、その方向に向かってできたのだと思い、
信じています。
・・・さっき名古屋を通過。あと少し。
大学院で所属していた研究室の先生と若き同期のお二人と、品川で。
コロナの直前、2020年3月まで2年半、大学院に行っていました。
北陸先端科学技術大学院大学(JAIST)、品川のサテライトに、
平日の仕事を終えてからと週末に。
きっかけは、すでに学生だった法務省繋がりの知り合いの「すごくおもしろい」。
ちょうどその頃、オンライン教材開発中で、日本語教育の視点だけでなく、
科学的な裏付けがほしいと思っていたところ。
そうだ、自分で裏付ければいいんだ、と突然スイッチが入って受験しました。
価値の共創、イノベーション、知識経営、・・・そのとき知って考えたこと。
共に学んだ人たちは皆さんほぼ理系の、若い、大企業に勤務する男子たち。
私といったら、年齢いってる、ばりばり文系、性別女。気後れ以前。
オンライン教材の科学的裏付けはできなかったけれど、
学んだことをディスカッションし、それを持ち帰って自分の仕事の現場に
落とし込んでレポートを書く、等々が、ものすごくおもしろかったです。
日本語教育を深めたい、極めたいという人はもちろん大学院で日本語教育を。
けれど、日本語教育を広義に捉えて、超えて、当然そこにある外界と繋がったら、
実はそこに考えるべき課題や答えがあることに気づく。
授業がある週は、毎日この時間(10時近く)までいた品川サテライト。
お三方がいらっしゃらなかったら私の修了はなかった。
企業での現場経験を有するからこその内平先生と、同期の優秀なお二人、
黄さんと押手さんに感謝しながら四人で見上げたビルです。
日本語を学ぶ人と、英語を学ぶ人と、中国語を学ぶ人と、
日本語を教える人と、英語を教える人と、中国語を教える人と、
海外に留学して帰国した人と、日本に留学している人と、
留学のサポートをする人と、語学の学習をサポートする人が、
大集合の異文化交流会が、本日午後。
インターカルト日本語学校と、英会話のイーオンと、
ハオ中国語アカデミーと、留学ジャーナルは同じグループです。
下の写真は、午前中にしたオールスタッフミーティング。
去年の11月から、ミーティングを重ねてきたこの企画。
学んだ言葉を使ってみる、学ぶ人の異文化交流が目的でしたが、
私たち、それぞれの組織同士の異文化の気づきも新鮮でした。
会場が、英語と中国語と日本語で、終始、喧騒状態。
英会話と中国語を学んでいる日本の人たち、あっぱれでした。
インターカルトの学生たちも、今日もいい味出してました。
またします。
伊能忠敬(いのうただたか 1745年〜1818年)、
平均寿命30〜40代の時代に50歳で隠居、その後17年かけて、
日本列島の地図を完成させたのだそうです。
地図作りの元々の動機は、地球の大きさを計りたくなったから。
それで、67歳まで海岸線を歩いたのですね。1日40,000歩。
今日の私の歩数は、13,015歩。
地球の大きさを測りたいとか知りたいとかではないけれど、
日本や世界は常に頭の中にあって、それで毎日歩いています。
なんだけれど、
こういう、日本や世界を背負っている、みたいな思いや自負は、
なかなか世間一般の理解を得られない。
組織は違っても、この仕事をしている人たちとの間では
当たり前の思いなのに。
伊能忠敬の像は富岡八幡宮です。先々週、そのそばで深川めし。
毎月一回、駒込の鍼灸院に母とかかりに行っているのですが、
その帰りにあっちこっちでしている食べ歩きで。
私の父方の祖父=父の父は、名を大月薫之助といったのですが、
前に家系図を見た時から気になっていた、そのルーツが知りたくて、
家系図作成を生業の一部にする、父の姉の孫=私の従兄の息子に
話を聞きに、群馬県邑楽郡まで行きました。
軍人だったその従兄の息子のおじいさん=私の父の姉の夫の写真や葉書。
下の写真は、在りし日、そして幼いときの私の父=大月薫之助の末っ子。
従兄の息子は、さすが家系図を生業にするだけあって、
絡み合った人と時代と歴史のいろいろを解きほぐしながら、
できる限りの最大限、私の疑問のあらかたに答えてくれました。
ファミリーヒストリーに登場するかなりの人がすでにこの世にいない中、
母=大月薫之助の息子の妻は、道々、ポケモンをゲットしながら帰宅、
帰り着くや否や元気に水撒きをしておりました。
2024年5月5日、こどもの日。なんだか平和で、そして良き一日でした。