牡蠣三昧。
生ガキ、焼きガキ、酒蒸し。
大多府島。
足利時代の元Boys & Girlsと。
中の一人が隣の頭島に移住していて、
岡山から赤穂線に乗って来た日生(ひなせ)から、
瀬戸内海を彼のヨットで来ました。
晴れ、時々、逃避行。
そうしたら、雨も嵐も避けて通れるような気がして、
かどうかはわからないけど、最近はなんだか時々こんなこと。
ときどき懐かしく思い出す光景。
2017年3月のアメリカ、オースティン。
FingeBoardのセミオシス、都築さんたちが、
EdTechのコンテストで入賞して参加したSXSWedu。
くっついて行ってから7年。
今年の文化庁委託、現職日本語教師研修プログラムでの、
「地域の日本語教室におけるデジタルツール活用人材研修」。
都築さんたちの担当で、札幌、仙台に続き、東京も終了。
研修プログラムの中ですでに授業をし終えた、
伊東先生と仙田先生が、この研修に参加するために、
わざわざ秋田と島根から来てくださいました。
時に教える人、時に学ぶ人、
この、上とか下とか関係ないという関係が、好きです。
ところで今日は、二人の、ぐっと年上の方それぞれから、
体を大事にしてと…。年中駆けずりまわっているからか。
大丈夫、このシリーズあと2回、大阪も福岡も行きます。
「心の旅」byチューリップ。今かかっている曲です。
今日は、世代を超えた友人、
海外での学生募集のパートナーMr.タマ乱歩、玉置さんと、
数十年前に新卒で就職した時の職場の先輩、岩渕さんと、
小江戸、川越に遠足。どうしてこの3人かというと、縁です。
川越駅近くのお店で美味しい和食をいただいて、
喜多院、五百羅漢、蔵造りの町並み、時の鐘、
22から4年間、川越で仕事をしていたのだけれど、
歴史の一つ一つを、こんなにじっくり見たのは初めて。
そして川越は「一地方都市じゃないぞ!」の本気度が圧巻でした。
昨日は、朝9時半から夜7時まで、
対面とオンラインの会議や打ち合わせ、計7つ。
一つ一つとても意味深かった。が、さすがに疲れました。
だからこそ今日みたいな日が大事なんじゃないかなと。
人との繋がりとか、いつもと違う刺激とか、歩数13,573歩とか。
以下宣伝です。
岩渕さんの娘さんの新作漫画が出版されていました。
親バカを辞めたとかで教えてもらえてなくて今日まで気づかず。
ストーリー展開、私一押しのこちら。
朝イチの打ち合わせに早く着きすぎてクリームソーダ。
移動して次の用事を終えて、気づいたら、
次はオンライン。しかし学校に戻る時間がない。
そのまま、外の緑が見える席で発言しなくていい会議。
一日、あちこち動き回って、そしていろいろの今日でした。
10年前は何を書いていたんだろうと、ふと。
—
「おたがいさま」「おかげさま」「おつかれさま」、そして、
「おもいやり」「おんがえし」と、頭に「お」がつくのだけでも
いろいろ浮かびました。いいなと思う日本の言葉。
—
過去を辿るのに、このblogはとても便利。
20年前は、短期コースで来ていた台湾の高校生たちと、
連体修飾(〜ている人)を習った後のフルーツバスケットのこと。
—–
「首に線があります!」
「首に線がある人、でしょ。ん? でも首に線があるって何?」
「先生、先生!」
皆が私を指さしていました。
何てことはない、私の首にある皺(しわ)のこと。
—–
このblogを始めたのは、この年の2月。
なんと20年も前から、ここになんだかんだと…。
20年前は、まさか新宿のお店で電話を目の前に置いて会議に参加、
なんて、想像もできなかったですよね。
その電話機がカメラになっちゃう、っていうのだってねえ。
昨日の晩は、みぞおちと背中の痛みに加え、頭まで痛くなって、
これはいかがなものかと案じたものの、とりあえず仕事に出かけたら、
午後と夜と、会った人たちとの話がそれぞれ物凄くおもしろくて、
痛みも消えて、終わってみればそんな一日でした。
いつも、私のことを言っているのだと思いながら読む占いに、
「野生に生息する動物が、衣装を着て出勤している」みたいだとありました。
私の中の獣性が、「人間社会の色々なルール、面倒くせー」と叫びたくなる
ようなことがあったりすると。ぴんぽん。
家に帰って、「未来に生きてこそ意味がある」みたいなことを言っていたら、
ぴらっと見せられたのが上の写真の文字。「過去に学び 現在と対話する」。
人生にできた余裕の一部を、城郭や歴史の検定に費やす夫は、
まあ、それはとても素晴らしいこととして、でも私は現在と未来を繋ぐのだと、
それもまあ、また、わざわざここで宣言しなくてもいいことだと思いながら。
11月11日午後1時から、1人で。お芝居はたいてい。
重かったです。「ニール・サイモン作だからコメディ」ではなく、
青春の1ページだけでもなく、戦争の1ページ。
舞台上で起こることの一つ一つが嫌だなぁと思いました。
でも、このお芝居が嫌いという意味では決してなく。
嫌のすべてに共通するのは、理不尽。
私の日常で、私が一番我慢ならないのは理不尽、と、
つい最近も思ったばかりでした。
でも何でも、演出のゆうなさん、淡々と。凄いなといつも。
ビロクシー・ブルース→こちらです。
戦争、人種、民族、宗教、今。いつもとはちょっと違う気分での帰宅。
エプスタイン、その役を演じた宮崎秋人さん…、両方とも好きでした。
日本列島はいきなり初冬。
まったりとは日本語の副詞である。
近畿方言で主に味覚を表す擬態語として用いられたが、
1990年代後半からのんびりと落ち着いた様子・気分を表す
若者言葉として全国的に用いられるようになった。
(Wikipedia)
ですよね。
近畿以外の若者が1990年代の後半からの使用だったら、
私がそれを理解語彙ではなく使用語彙にしたのが今日であっても
不思議ではない。
今晩の熟年男女たちの集まりが、この場違いな感じのお洒落なお店、
ということを来るまでわかっていなくて、でも、仕事が早く終わり、
一人ものすごく早く着いてしまったために、
まったり、アイリッシュハイボール飲みながらオリーブ齧ってます。
秋。
もう30年前、ロバート・B・パーカーの『初秋』という本を紹介され、
その後、この人の日本で出版されている小説を全部読みました。
主人公の探偵、スペンサーという人がとてもとてもかっこよくて、
その彼女、スーザンの、オリーブを少し齧ってはお酒を飲む描写が、
これまたもうものすごくかっこよくて憧れたのだけれど、
結局全然そうはなれなかったなーと、一人まったり人待ち時間。
日本語の授業を委託され、教師養成でもお世話になっている、
郡山の会社。先日、再々訪したときの写真です。
技能実習生と、そこから特定技能に移行した人と、
さらに社員になった人、合計7人のインドネシアから来た人たち。
たまたま工場内にいた新人の二人も加わって。
この間のJLPT、一人はほぼ満点で、一人は合格点プラス1点で
N4にパスしたそうです。次はN3だかんな、と真ん中の会長さん。
会長さんの家の空き地いっぱいに100本の唐辛子。
あいつら、それを1年経たないうちに全部食っちゃうんだよな。
×××の毛がどんどん薄くなってきたから、
うちにあるのとおんなじ毛生え薬、買ってやったんですよ。
大洪水で彼らの寮が水浸しになったとき、右端の部長さんは、
当時いた4人の人たちを、2ヶ月間、自宅で預かりました。
あいつらと話す会長さんの言葉には愛情がこもっています。
そしてそのあいつらは、全員みんな郡山弁で話します。
技能実習と特定技能の制度が変わりますね。
点で見ず、線でも面でもすべて、あちこちから見て聞いて俯瞰して、
どうかどうかいい制度にしてください。…と願っています。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という経験、
今でもくっきり脳裏に浮かぶのは、東日本大震災の後の冬。
福島県の国際交流協会からのお声がけで、
外国人に対する日本語支援者のための講座をしに東京から。
トンネルを抜けた瞬間、そこはまさに雪国でした。
福島駅からタクシーで協会前まで。
道端がドカ雪のため車を寄せられず、ど真ん中で降ろされて、
ずぶずぶずぶっと膝あたりまで雪に埋まりながら、
協会の入口の階段までたどり着いて、中に入ったら、
大勢の方たちがすでに集まっていて大感激しました。
けれど私もまた、大雪の中を、そして震災直後の福島に、
よく来てくれましたと感激してもらい、そうかそうだったと。
昨日はその福島県国際交流協会に久しぶりに。
そして今日は、あの大雪の日、豪雪の会津から来てくださった
青山さんと一緒に会津の国際交流協会を訪ねました。
仙台、郡山、福島、会津若松の行脚を終えて、東京に帰ります。
福島サテライトの主柱、佐藤美華さんとの中〆。
生ガキとあん肝とお刺身五種盛りを食べて、蟹汁吸って、
日本酒飲みながら、あれやこれや、これからのことの語り合い。