昨日は、久しぶりにアジア学生文化協会(ABK)に行きました。
現理事長の白石さんに「福田ドクトリン、見たっけ?」と促され、
???のまま行ったら、これがありました。
石碑に白石さんと自分の姿を映して、畏れ多い記念撮影。
福田ドクトリン。
1977年8月に当時の福田赳夫内閣総理大臣が東南アジア歴訪の際に、
フィリピン・マニラで表明した東南アジア外交3原則。
一.日本は軍事大国とならず、世界の平和と繁栄に貢献すること
二.心と心の触れ合う信頼関係を構築すること
三.日本はASEANと対等なパートナーとしてASEAN諸国の平和と発展に
寄与すること
どうしてこれがABKにあるかということも含め、その他詳しいことは、
ABK刊行の『アジアの友』のこちらにあります。
2007年に、協会の創立50周年記念式典にお呼ばれしたとき、
東南アジア中の国を代表する方たちが一堂に会しているのを見て、
いやぁ、これは歴史の歴史が違うと思ったのでした。
そんな畏れ多いところが、いつしかABKと呼ばれるようになった
のですが(それまでは、アジ文(あじぶん)と皆さん呼んでました)、
その後AKB48が世に出てきたとき、前理事長の今は亡き小木曽先生が、
「うちの平均年齢は48よりもっと高いよ」と。
ABKとAKB、いろいろが違って可笑しかったことも歴史になりました。
白石さんとは、私が30そこそこの駆け出しの頃に、
青山スクールの今は亡き中西郁夫校長先生に引っ張られて、
一緒に共同研究のデータ整理と原稿書きをした仲なのだけれど、
それも今は昔、
揃ってお粥のランチを食べました。そんな年頃に^^;