今年のカレンダー、あっという間に最後の一枚。
その最後の一枚も、あと20日。
来年のカレンダー170部が海外に向けて送られていきました。
2021年は、海外から一人の新入生も迎えられないまま、
一年を終えることになりました。
たくさんの学生たちが、今なお入学できる日を待ってくれている
一方で、留学を諦めざるを得なくなった学生たちもいます。
2022年は必ず必ず良い年に………と祈るしかないです。
撮影日が2015年10月11日のこの写真、
どこで撮ったのだっけ?と、2015年の手帳を見たら、
この日はミャンマーとありました。
男子はまあいいとして、この中腰の女子は?
片手上げてるけど、え?こんな格好で?(まさか)
ところで「トイレはどこですか」は、
先生をしていた頃の一芸でした。
そのクラスの学生のことばでそれを言う。
화장실은 어디입니까? …韓国語で。
卫生间在哪里? 衛生間在哪裡? …中国語で。
Di mana kamar kecil? …インドネシア語で。
Wo ist die Toilette? …ドイツ語で。
こういう小技で、初めてのクラスとか、授業にメリハリ
つけたいときとかに、真面目系、お遊び系、いろいろ
考えては、取り混ぜてやっていました。
いろんなことばで「I love you」シリーズもあります。
先生が授業を楽しんでいたら、学生も楽しいに違いない、
と信じて。先生してた良き時代。
昔々に流行った、野坂昭如の歌。
ソ・ソ・ソクラテスかプラトンか、み〜んな悩んで大きくなった♪
悩まず生きられるようになるのは不惑。四十にして迷わず。
その不惑の年から、生まれた子が成人するほどの年月が流れているのに、
人間、いくつになっても悩みは尽きないものですよねぇ。
基本、結論は自分で出す。だから、基本、人に相談しない。
だから、一人であっちに揺れこっちに揺れ、ぐるぐる考えていて、
脳みそが痺れてきました。
人に話すときは背中を押してほしいとき。つまりすでに決めている。
夕方、ベクトルが同じ人たちに話して、少しほっとしました。
あっち向いてる写真の人形は、香港の教え子たちの留学30周年記念の
会でプレゼントしてもらった私です。
19時ごろ、皆がほとんど帰ってから学校の全館が停電しました。
10分ほどで電気はついたのですが、その後のあれこれで、
今まだ帰宅途中です。
数年前から出番のある異文化理解の講座。
そこで「転校したことがありますか」とよく聞きます。
つまり、転校生の経験がある人は、日本に来たばかりの
外国人の気持ち、理解できますよね?という流れです。
けれど、そういう自分に転校の経験はありません。
ただ、転校生の気持ちがわかったからか何だったのか、
転校生が来ると色々教えてあげたり、世話をしたりと、
率先してお節介を焼いていた記憶がずっとありました。
数年前に中学の同級会が突然開かれ、数十年ぶりの再会。
その会場で、何人かの転校生だった人たちから、
私のお節介に対するお礼を言われ、びっくりしました。
私は、男女問わず転校生の世話を焼いていたのでした。
今日、真鯒(まごち)の煮付けなどなどを食べながら、
一回りくらい下の他所の偉い方の話に、あれやこれやと、
頼まれもしていないアドバイスをしたのは、習性。
三つ子の魂百までも。
11月1日発行という新500円硬貨。(iPadの上に置いて撮った。)
この間、新しい500円ですよー!といただいたのですが、
今日、使ってしまいました。
幼稚園のときに(って、恐ろしく古い話)、
給食(おやつ?)に出たパンの上に乗っていたくるみを、
後で食べようと机の上に置いて包装紙を捨てに行っている間に、
クラスの子に食べられてしまったという経験から、
好きなものは絶対に後に残したりしない、先に食べる、と心に決め、
今もそれを守っています。
新しい500円玉をすぐに使ってしまうというのも、同一線状にある
心理なんですが、ちょっと違うのかな。ま、なんであれ。
世の中も、私たち日本語教育機関も、色々色々が止まっているのに、
反対に、だからなのか何なのか、なんだかんだで物凄く忙しいです。
明日からまた、全教職員面談週間が始まります。
総勢何百何千ではないので、2週間で。全員一人一人と個別に話します。
夏にそれをしていて、そのときに話したことを受けての3か月後の今回の
・・・です。世に言うPDCAサイクルってものです。
窮地に強いから…と、この間久しぶりに会った人に言われました。
強いかどうかはよくわからないけれど、次々と訪れる窮地や
環境の変化を結果的に乗り越えて今がある、みたいな感じです。
が、窮地にあるときにこそ元気が湧いてくるのは事実のような。
この間お呼ばれしたセミナーで話をするために年表を作ったら、
2000年にこの役に就いてからの10年間が凄まじかった。
2002年 重症急性呼吸器症候群(SARS)流行
2004年 入国在留管理の厳格化
2009年 新型インフルエンザ流行
2011年 東日本大震災発生、そして2012年の…。
もちろん、同じ時代を生きてきた他校さんも、同じようにこれらを
乗り越えてこられたわけですが、
私たちは、さらにその後、新たな環境にも身を置くことになります。
いろんなことがあったけど、何があってもめげない。
ダメだからこそ手を尽くしてみる。究極、ダメを楽しむ。
これらの中で何が一番辛かったかと言ったら、
それは、今まさに進行中の、このコロナ禍にほかなりません。
ああ、もうやってらんないと思ったら、原点に戻ってみる。
一泊旅行の宴会とか、学生たちのテーマなしのお習字とか川柳とか。
そうしたら、ありたい姿が見えてくる。何をすべきかが見えてくる。
めげてる暇はないと思えてくる。・・・なんてね。
今日、まず現れたのは10年前の卒業生、夏さん。
Facebookで「2021.9.28 運命の歯車が動き出した」という文と一緒に
女の人との写真を載せているのを見たので知っていたのですが、
今日、その歯車を動かした素敵な人と一緒に学校に来てくれました。
日本の父、母たちに彼女を紹介するの図。
吉野家の店長、夏さんに春がきた、です^^
そして次に現れたのは、1年前の卒業生で、
今、専門学校に通っている李さんが一足早いクリスマスプレゼントを。
一つ一つ綺麗な包装紙にくるまれたクリスマスのケーキ、
シュトーレンをた〜くさん持ってきてくれました。
夏さん、李さん、ほか、卒業後に訪ねてきてくれる彼らに接するたびに、
日本語学校ってただの言葉の学校じゃないんだということを実感して、
とても幸せな気持ちになります。
それは他の日本語学校の皆さんも同じですよね。
もっともっと、世界中のみんなに卒業生になってほしい。
その予備軍、じゃない、本来であればもう卒業生になっているはずの
新入生たち、自国で足止めされている彼らが、ぽつりぽつりと、
今回の入国停止を受けて、もう待てないと、留学を諦めて違う道に
進もうとしています。
留学したからこそ出会えた日本人の彼女、いや、これから伴侶となる人、
留学したからこそ開けたパン職人、いや、ブーランジェへの道。
そんな幸せと巡りあうチャンスを、
どうか国で待ちわびている、彼ら彼女らにも与えてください。