• 298月
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    昨日一昨日と夜中の更新に難儀したので、今日は明るいうちに。
    写真は、ここのところのマイブーム、沖縄。
    今年の3月に、文化庁日本語教師研修普及事業の生活者初任研修の、
    那覇でのセミナーに行って、ちょっと滞在を延ばしたときの。

    部屋から見える海に向かって座り、パソコン開いて仕事してました。
    いやいや、できるのですよね、私みたいな仕事だと。

    今日はもちろん沖縄ではなく、家にいるのだけれど、
    涼しい部屋の中で音楽聴きながら読書、と、私らしくない時間。
    でも、あちこちの人とLINEしながらだから、ま、私らしいか。

    板書するとき、なぜそこにそれを書くか、理由がなければならない。
    学期ごとのクラスの教師のシフト表を作るとき、
    どうしてそのクラスにその教師を置くか、理念がなければならない。
    読解のテスト問題は、答えを出すためのただの問題じゃいけない。
    それを受けた学生がその文から得る、感動がなければいけない。

    こういう面倒くさい論理をかざしながら今日まできたかなと……。

    最後のは特に、文章に対する思い入れが、私自身ことのほか強いから。
    でも冷静に考えると、本当は他にも突き詰めなければならないことが
    あるのに、自分が不得意ゆえに、興味がないゆえに、
    ないがしろにしてこなかったか。それ、ないわけないですね。

    「論理的」であるということは、第三者を説得し納得させ得ること、
    そして、他者と関係を作りながらそれを共有できたら、
    それが論理的であったという唯一の根拠になる、と、
    これ、書いてあったことの私の意訳ですが。

    そういうことが書いてある本を読んでいたら、
    板書と、シフト表と、読解のテスト問題の文章について、
    自分が言ってきたことが蘇ってきました。

    今、かかっている曲、渡辺真知子の「かもめが跳んだ日」。
    大学1年のとき休講の教室に友達といたら、コンサート行かない?と、
    知らない2人組に声かけられて、横浜まで行って聴いた懐かしい曲。

    年とるって、思い出が増えること。……いいですね。
    上に書いた本のことは、読み終わったらまた書きます。