昨日の夕方からのセミナー、
それを主催した会社のスタッフの女性がとことこ、にこにこしながら
私のところにやってきて、「私の父はインターカルトの卒業生です」と。
38年前に当時の高円寺校、進学課程で学んだそうです。
18歳のときに台湾から来日、見せてくれた写真に写るお父さんは今55歳。
娘さんによく、母校インターカルトのことを語ってくださってるそうです。
そのセミナーに行く途中で受け取ったメッセージの主は5年前の卒業生。
大学に進学し、今は大学院に進んだ彼が書いたという自身のIdentityに
ついての長い文章が、メッセージに貼られたリンクの先にありました。
Identityについて、私自身はこの仕事を得て、様々な国の学生たちとの
時間を過ごさなかったら、もしかしたらこの年までほとんど何も考えずに
きたかもしれないとも思い、元日本語学校の学生だった彼の作品は、
それを深く強く考えるきっかけを作ってくれたと、素直に思いました。
書かれた日本語はほぼ完璧、もちろんそれも素晴らしいのだけれど、
そうではなく、「書く」という行為の真髄を見た思いで、打ちのめされた
ような思いに襲われました。
そして、卒業生たちは日本人も。
日本語教師養成講座で教えた学生たちが、どんどんどんどん私を追い抜いて、
あちこちで活躍しています。今日、外国人向けに行った国際交流協会での
講座が新聞の記事になっていた修了生Mさんについて、
「青は藍より出でて藍より青し」と言ったら、Mさんの養成講座の教え子が、
自分もいつかM先生の口からその言葉をいただけるように頑張ります!と。
彼にとって私は師匠の師匠だそうなので、つまり私はおばあちゃんらしい^^;
冒頭に書いた昨日のセミナーは、今、究極の状況にある日本語教育業界を、
マクロの視点、ミクロの視点から見て、分析して、
5年後に生き残っていられるためにはどうあらねばならないかということを
考えるというのが趣旨の会だったのですが、頭を整理する良い機会でした。
卒業生のことを書こうとして探した写真、創立40周年の時のボールペン。
過去40年の先には新たな40年、と口で言うのは容易いけれど、
創立80周年が無条件にやってくるわけではない。
しかししかし、いつもふっと現れては驚かせてくれる卒業生たちがいたら、
気づいたら80年なんてこともあるんじゃないかなとも思います。
創立80周年は2057年。人生100年だとしたら、36年後、私、います。