留学生の論文指導をしている方とやり取りしていて、
突然、『言葉とは何か』(丸山圭三郎)という、
去年買ったままの本があったなと思い出したので、
今朝かばんに入れて行き、電車の中で第一章を読みました。
アジアの学生と日本の学生たちが、それぞれの国の
ポップスや民謡を翻訳し合ったという話がありました。
その翻訳作業が困難を極めたという話です。
大変だったのは文法などではなく、
文化そのものの違いだったそうです。
(引用)——
たとえば、かぐや姫が歌ってヒットした「神田川」を
マレー語に訳したマレーシアの留学生には、
まず「風呂屋」という語が翻訳不能だったし、
「同棲」は母国では恥ずべき行為。
まして「洗い髪が芯まで冷え、小さな石鹸がカタカタ鳴る」
まで待たされた女が、
「あなたのやさしさが怖かった」などと言うその心情は、
マレーシア人には到底理解できなかったと言っています。
——
日本語を教えるということも、昨今の自動翻訳機も、
冒頭の論文を書いている留学生も、
問題や課題は、つまりこういうことかな、と思った、
第一章でした。
ことばと文化は切り離せない。でもイコールではない。
写真は昨日、代々木のオリンピック記念青少年センターの
窓から見えた、赤い夕日と遠くの富士山。
ことばと文化です、今の興味とテーマは。