他の国のことばではそのニュアンスを
うまく表現できない「翻訳できないことば」たち。
たとえば、
IKTSUARPOK(イクトゥアルポク:イヌイット語)は、
だれか来ているのではないかと期待して、
何度も何度も外に出て見てみること。…だそうです。
SAUDADE(サウダージ:ポルトガル語)は、
心の中になんとなくずっと持ち続けている、
存在しないものへの渇望や、
または、愛し失った人やものへの郷愁。…だそうです。
BOKETTO(ボケット:日本語)は、
なにも特別なことを考えずに、
ぼんやりと遠くを見ているときの気持ち。…ですね。
などなどが、きれいな絵とともに。
どうして二冊あるかというと、
これを私に貸してくださった人がいて、読んでみたら、
返すのが惜しくなり、自分用に買ったからです。
年が明けたらお返しします。と、この間連絡しました。
今年はほんとに色々なことがありました。
以下、楽しい版。
KARELU(カレル:トゥル語)
肌についた、締めつけるもののあと。
(靴下のゴムのあととか?)
MURR-MA(ムルマ:ワギマン語)
足だけを使って、水の中で何かを探すこと。
(プールの中に落とした…なんだろ?)
COTISUELTO(コティスエルト:カリブ・スペイン語)
シャツの裾を絶対ズボンの中に入れようとしない男。
良いお年を!