学校のは書院で、家のは文豪でした。
…聞いて「あ、ワープロの話ね」とピンときた人は相応のお年頃。
私がインターカルトに入る前に新卒で勤めたのは大学で、
そこには、それはもう上手なんてもんではないほどに達筆の
年配の女性がいて、証書やその他対外的な正式文書は、
すべてその方の手書きでした。
それが、文字を簡単に打て印刷できる機械が入ってきて、・・・、
あれは定年退職だったのだろうかと、新人だった私にはわからず。
今朝のウェブニュースで、1985年の「新春ワープロ打ち初め式」
という記事を見て、昔のことを思い出しました。
今、人工知能(AI)の出現で、どの仕事が残ってどれがなくなるか、
というような話をよく聞くようになりましたが、
どんなに必要とされる唯一無二の存在でも、
外部環境の変化で、ころっと状況が一変する時代なのですよね。
4年ちょっと勤めた大学で、
最初私は教務課で、半年後に新規開設の情報処理センターに異動、
IBM4331という大型コンピュータが導入され、その研修も受けました。
あれから数十年、私が受けているこの間の夜の授業で、
コンピュータ会社からビジネスソリューションの会社にシフトした
IBMの話を聞いて、ああ、そうだったかと今さらながら。
人だけじゃなく、会社やお店、病院や学校も、
唯一無二の存在でい続けられるって、それは確実に不確実。
ぼーっとしていちゃいけないってことは、確実に確実。ですよね。