• 111月
    Categories: JAIST, 雑感 Comments: 0

    学校のは書院で、家のは文豪でした。
    …聞いて「あ、ワープロの話ね」とピンときた人は相応のお年頃。

    私がインターカルトに入る前に新卒で勤めたのは大学で、
    そこには、それはもう上手なんてもんではないほどに達筆の
    年配の女性がいて、証書やその他対外的な正式文書は、
    すべてその方の手書きでした。
    それが、文字を簡単に打て印刷できる機械が入ってきて、・・・、
    あれは定年退職だったのだろうかと、新人だった私にはわからず。

    今朝のウェブニュースで、1985年の「新春ワープロ打ち初め式
    という記事を見て、昔のことを思い出しました。

    今、人工知能(AI)の出現で、どの仕事が残ってどれがなくなるか、
    というような話をよく聞くようになりましたが、
    どんなに必要とされる唯一無二の存在でも、
    外部環境の変化で、ころっと状況が一変する時代なのですよね。

    4年ちょっと勤めた大学で、
    最初私は教務課で、半年後に新規開設の情報処理センターに異動、
    IBM4331という大型コンピュータが導入され、その研修も受けました。
    あれから数十年、私が受けているこの間の夜の授業で、
    コンピュータ会社からビジネスソリューションの会社にシフトした
    IBMの話を聞いて、ああ、そうだったかと今さらながら。

    人だけじゃなく、会社やお店、病院や学校も、
    唯一無二の存在でい続けられるって、それは確実に不確実。
    ぼーっとしていちゃいけないってことは、確実に確実。ですよね。