• 166月

    マレーシアの人はすごいです。
    今日会ったリャンさんの知り合いたちは、話す相手によって、
    英語、マレー語、北京語、広東語、客家語、福建語を
    使い分ける。リャンさんはさらに一つ、私に向かって話す日本語。

    日本語しかない日本人にとっては、とても不思議な光景。

    午前中お邪魔した高校はムスリムの学校なので、
    皆さんの公用語はマレー語、私たちに対しては英語でした。
    そこで日本語の授業を見学。
    国際交流基金の北浦和での教師研修を受けたという、
    メリッサ先生の授業はテンポよく明るく楽しく、
    1クラス30人全員が一体化していたのは先生の手腕ですねー。

    ところでマレー語とインドネシア語、
    兄弟言語でかなりの部分が同じだけれど、微妙にちと違う。
    でもコタキナバルがあるボルネオ島は、
    マレーシアとインドネシアが半分半分、地続きなので、
    コタキナバルで使われるマレー語はインドネシア語に近いのだと
    校長先生がおっしゃっていました。
    なので、私の(N5レベルの)インドネシア語もすんなり通じました^^

    昔々インターカルトのクラスにいたマレーシアの女の子が、
    子供の頃からいろんな言葉をまぜこぜに喋っているから、
    どの言葉もちゃんと正確には喋れないのだと言っていたけれど、
    どうなのだろう。
    正確であることと、たくさんの言葉を使って人と意思を通じ合えること。

    今日のコタキナバルの海。日が沈むずっと前もベスト10に入れたいなと…。

  • 166月
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    昨日来たマレーシアは、いつものクアラルンプールではなく、
    ボルネオ島のコタキナバル。

    コタキナバルの夕日。
    世界の夕日ランキングのトップ10に入っているんだそうです。
    時々こういうのを見るのは精神衛生上とてもよいですねー。
    毎日見られたらきっともっと。

    自分の歴史を振り返る機会が増えたのは、
    自分の歴史がそれだけ長くなったから。

    1988年に日本語の先生を始めた時は非常勤教師で、最初の1年は
    とにかく早く一人前の先生になりたくて、3つの学校を掛け持ち。
    その中の一校、渋谷の学校のクラスにいた人たちと再会。
    リャンさんとチョンさん。あの時、私も皆も20代。

    リャンさんの合気道仲間の方達とも。
    先生と生徒、先輩と後輩。
    私の周りに合気道をする人は1人もいないのに、すごいな合気道。

    今回のプロデューサーATOZコタキナバル校のMs.kitadokoro先生も、
    授業後に合流してくれました。これから合流者が続々と…2人。