• 183月

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    高校の後、さて…という時に、
    4年も大学にいったらお嫁にいき遅れるから短大に、と母。
    父は、とにかく一度は東京に出て東京で生活しなさいと。
    結局、大学に進み、結果、東京での生活を最大限謳歌し、
    伴侶にも出会い、将来は物書きにと密かに志す。

    しかし、いきなり物書きで食べられないのは百も承知、
    なので一応、大学4年の10月解禁という当時のきまりに従って
    就活もどきのことをして、物を書く時間が取れそうな仕事、
    と思って受けた東京隣接県の大学に入れてもらう。

    教務課3ヶ月の後、情報処理センターの開設準備室に異動。
    IBMでコンピューターの研修、フォートランとかコボルとか、
    確かピーエルワンとかベーシックとか、
    おかしな話だけれど、通信でプログラミングの講座を受けたり、
    新しもん好きなので、毎日わくわく楽しい4年間でした。

    でも、情報処理センターの運営が軌道に乗り一部門になると、
    私は本来コンピューターには興味がないのだから、
    必然的に、ただの受付と事務のお姉さんに。

    そこに現れたのがその大学の中国人留学生で、
    日本語が流暢な彼にパソコンのログインの仕方を教えながら、
    ん?誰が彼に日本語を教えたのだ!?!?
    それがきっかけで、私は日本語教師を目指すことにしたのでした。

    その後の、前職を辞めて日本語教師養成講座に通うまでのこと、
    養成講座受講中のことも色々ありますが、〜中略〜。

    日本語教師になって10年経った頃、
    大学、そして大学院に日本語教育の専門課程が設置され始め、
    私も、資格はないよりあった方がいい(よろしくない理由)、
    でもそんな時間ないな、と思っていた確か2001年、
    他校の校長先生が、放送大学が大学院を開設するらしいよと。
    それで受験して大学院の一期生に。競争率7倍には後日びっくり。
    文化科学研究科教育開発プログラムというところで、
    とても素晴らしい担当教官と他分野で活躍するゼミ仲間に恵まれ、
    これまた有意義な、仕事をしながらの2年間でありました。

    そして、それが縁で、では全然ないのですが、
    精神的にも履歴的にも密接な関係にある放送大学とご縁があって、
    この度、当校日本語教員養成研究所は、
    連携協力プログラムをスタートさせることになりました。

    (で、…物書きの夢は何処に。)

    今日の写真は、本文とはまったく関係ない、
    当校のオリジナルテキスト『Weekly J』シリーズの著者たちです。

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