1992年に私がいたインターカルトのインドネシア校
(Widhia Pratama Inter-Cult Indonesia)に、
インドネシア人ではない学生がいました。
彼はビルマ人、名前はテッゾーさん。
(ミャンマーではなくビルマだと強く言っていました)、
政治的な問題で国を出て、今インドネシアにいるけれど、
できたら日本に行きたいと言っていました。
が、私はインドネシアにいたし、それ以前の問題として、
どうしたら彼が日本に行けるのか(ただ行きたいのでは
なかったと思う、日本語を勉強していたということは。
それに政治的な問題って…?)私には何の知恵もなく、
結局何もできず。今、彼がどこにいるのかわかりません。
ところで、昨日は日本語教員養成研究所のプチ公開講座、
「ミャンマーの現状と日本の難民について」。
講師は、奇しくも私がインドネシアにいた1992年に、
迫害から逃れるために日本に亡命したというマリップさん。
(ミャンマーの少数民族を支援するNPO「PEACE」理事長)
お話を聞いて、1992年のあの時期にどうして彼は国を出たのか、
なぜミャンマーではなくビルマ人だと言ったのか、
色々なことがわかりました。
あの時もっとわかっていたら、何かできたのか。…いや。