• 194月
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    1992年に私がいたインターカルトのインドネシア校
    (Widhia Pratama Inter-Cult Indonesia)に、
    インドネシア人ではない学生がいました。

    彼はビルマ人、名前はテッゾーさん。
    (ミャンマーではなくビルマだと強く言っていました)、
    政治的な問題で国を出て、今インドネシアにいるけれど、
    できたら日本に行きたいと言っていました。

    が、私はインドネシアにいたし、それ以前の問題として、
    どうしたら彼が日本に行けるのか(ただ行きたいのでは
    なかったと思う、日本語を勉強していたということは。
    それに政治的な問題って…?)私には何の知恵もなく、
    結局何もできず。今、彼がどこにいるのかわかりません。

    ところで、昨日は日本語教員養成研究所のプチ公開講座、
    「ミャンマーの現状と日本の難民について」。
    講師は、奇しくも私がインドネシアにいた1992年に、
    迫害から逃れるために日本に亡命したというマリップさん。
    (ミャンマーの少数民族を支援するNPO「PEACE」理事長)

    maripsan2

    maripsan

    お話を聞いて、1992年のあの時期にどうして彼は国を出たのか、
    なぜミャンマーではなくビルマ人だと言ったのか、
    色々なことがわかりました。

    あの時もっとわかっていたら、何かできたのか。…いや。